2005年11月23日 日曜から今日まで名古屋、京都方面を取材&ジャズ屋巡り。初日は知立市の「グッドベイト」。マスターと様々な話題で盛り上がり、3日目にも再度訪問、昼間っからどっぷり飲む。店内の壁面裏側に増築したレコード室に約1万5000枚のレコードがぎっしり。稀少盤の数々に目がくらむ。マスターはドルフィーのたいへんなコレクターでもあって、棚を占めるドルフィーのレコードの枚数は尋常ではない。それにしても、ドルフィーとクリフォード・ブラウンのセッション音源があるとは衝撃だった。録音状態は悪いがドルフィーの自宅にてブラウン~ローチのメンツが参加したもの。55年の録音なのでドルフィーはまったくの無名時代。パーカー系のバッパーという印象だが、語尾の上がる感じがすでにドルフィー・スタイルだ。レコードの委託販売もやっていて、これもすごい宝庫。ちょうど300枚程入荷したばかりで、なかなか出回らないレコードも一枚1000円で分けていただき収穫だった。お客さんをめぐる恐怖のエピソードは来春発行の文庫本に収録する予定。名古屋周辺のジャズ屋裏情報はここでも書くことができない。ジャスラックの関わり方、土地によってずいぶん異なっているのはおかしい。それにしても「グッドベイト」、素晴らしいお店。名古屋方面に行く機会があればぜひ寄っていただきたいところだ。 二日目は長距離バスに揺られて京都まで。交通渋滞で30分遅れ3時間の道程。隣のおっさんの臭いも強烈だったけれど、見慣れない風景に飽きることはない。京都は週刊誌の記者時代に何度も取材で訪れた場所だが、10年以上たつと何となく雰囲気も変わっている。だいたい京都駅が新しくなっている。目的地は「YAMATOYA」と「JAZZ   IN   ろくでなし」。ろくでなしに行けばお酒を飲むに決まっているので、まずは「YAMATOYA」。熊野神社側だというので相当距離があるのだが、徒歩で行こうと決心。東山三条あたりからかなりへばってしまった。途中五条大橋のあたりで、「仁義なき戦い」のロケ地を発見! あの「バイク買い取ります」の看板は間違いなく「天政会」の文字が掲げられていたところ。頭のおかしくなった大友が拳銃を腰に差し、タクシーを拾うために手を挙げたところを検挙されたエリアである。すかさず記念撮影し、仁義なき戦いのテーマを脳内に鳴らしつつ、京都を歩く。さすが映画の町。途中食事休憩をとったものの「YAMATOYA」到着に2時間もかかってしまう。「JAZZ  IN  ろくでなし」のマスターは写真を掲載したいほど音楽屋さんぽい風情の方。元バイカーで札幌でも数カ月過ごしたことがあるらしく、札幌の音楽業界の方とも知り合いがいるので一気に距離が狭まった。第三者にろくでなしのマスターの話をするとき、「ろくでなしのマスター」とつい言ってしまうので何だか笑ってしまう。映画ファンでもあってこれまた北海道の話題が登場、狭い世界だなあとつくづく思う。狭くてごちゃごちゃした店内は10人も入れば満杯というのに、ライブも映画上映も積極的に行っている。話していくうちに昨年新潟ですっかりお気に入りの店になった「楽屋」のマスターが自分の店をオープンする前に3カ月修業したということも判明し、この業界狭いと痛感。その後、ろくでなしのマスターとパーカーハウスロールというライブハウスに行き、ネオシャンソンのソワレのライブを鑑賞。新宿ゴールデン街のオーナーでもあるソワレ、なかなかの実力派。この人、これからもっと出てくるのではないか。 パーカーハウスロールではろくでなしのマスターにいろんな人を紹介されたが、その中に渋谷毅専門に呼び屋をやっている女性がいた。当然北海道にもその関係で知り合いがいるわけで、日本のジャズ界は狭いですね、悪いことできませんね、悪口言えませんねなどと話す。ちなみにパーカーハウスロールは今店名もオーナーも別の店だが、元々は浅川マキ仕様の店であり、店名にちなんだ曲もあるということなのだった。もっとゆっくりしたかったけれど、この日の宿も名古屋のため帰りは新幹線で帰路につく。行きは3時間かかったけれど新幹線を使うと30分以内で到着してしまうという近さだった。 名古屋での空き時間に「ALWAYS 三丁目の夕日」を鑑賞。なんだい、これ、いいじゃん。後半断続的に泣かされっぱなし。どこか喜八ものを思い出させる。しかし、同時に役者不在の日本映画の現状もふと思う。堤や小雪の線の細さ。堤の役柄が三船敏郎だったらどれほど笑えただろうかなどと…。あと1週間ほどずれていたらハスミさんの講演も聴けていたのにちょっと残念。仙台、京都、名古屋あたりではそのような企画をやっているんだけどね、北海道はだめですねえ。昨日は札幌のトロンボーン奏者がちょうどラブリーに出演しているので訪問。連絡せずに顔を出したので驚かれる。ラブリーで思い出したが森山さんは病気は大丈夫なのだろうか。マイケル・ブレッカーも大丈夫なのだろうか。

 本日は帰り際、常滑のブルーノート。グッドベイトのマスターが行った際、客がエバン・パーカーを聴きながら焼きそばを食べていて衝撃を受けたという話に興味をもった。もちろん今はオーソドックスなジャズだけなんだけど、丸10年はフリー・ジャズだけかけていたとマスター。フリー・ジャズも行くとこまで行くと聴くものがなくなっていく。ジャズ批評のジャズ日本列島のコメントもなかなか笑える。あんなこと言ってるけど、歴然たるジャズ喫茶だと思う。コーヒーは350円。ジャズ批評と言えば今回の特集あまりにもの内容で、本当に大丈夫なんだろうか。覚えるのがたいへんな名前だがグッドベイトのマスターにいただいたスールヴァイグ・シュレッタイエル、なかなかよいです。

10月30日 どうも日常生活では集中力を欠き、大通で地下鉄を降りるつもりがバスセンター前駅だったり、建物を間違って入っていったりしているなあ。毎日眠りが浅いせいだろうか。ところで昨晩は中古レコード専門店で知り合いの先生にばったり遭遇。家も近所なのでそのままご自宅を訪問。以前から「どうぞレコード見に来て下さい」とおっしゃっていたが、想像以上の枚数に驚いた。LPだけで2,3000枚、あとは10インチ盤に国内ものなど5000枚はいくのだろうか。LPは100%オリジナル盤で、写真の鮮明さ、色合いなど、持っているレコードとは明らかに違う。とても見切れないのでブルーノート中心に眺めていたが(番号順にすべて並んでる!)、ジャケットの訴え方にはただならぬものを感じた。ネット配信などパッケージに対する感覚がどんどん薄れていく時代にあって、この力は本当に不要なものなのだろうか。DJの方たちはジャケットおかまいなしにじゃんじゃん安いジャズLPを購入していくらしい。大収穫はおそらくジャズ雑誌、書籍等で一度も紹介されたことはないであろう、ニューオリンズの黒人女性ボーカルを聴けたこと。COOKレーベル10インチ、酒飲みの一曲を黒人にしてはあっさり声で、さらにかるーく歌実に雰囲気がいい。こんな歌手がいたのだなあ。あ、収穫もうひとつ。酒のつまみにいただいた熊本産の山ウニ豆腐。要は豆腐のみそ煮なんだが、めちゃ濃い味で種類によってはシングルモルトにも合いそうな味わい。

10月23日 ダグ・アルネセンの新譜、なかなかよいので購入したいのだが札幌のCDショップには置いていない。あと2カ月強は休日返上で仕事し続けなければ。と言いつつ昨日は早朝「上海から来た女」。素晴らしい。カット尻の数コマ、あえて短くカットしてスピーディに編集している印象をもったのだが。よせばいいのに、昨晩はテレビで「踊る大捜査線」の2作目を放映していたので観たのだが、どこにも映画は存在していなかった。これは映画ではない。の一言。

10月20日 ある中古CDを探していたら全国でも扱っているのが、札幌の一件だけ。早速お店に行ってみると、ネット情報と違い店頭に置いていない。店員に尋ねると、「ときどきいるんですが、欲しいものをときどき隠しちゃう人がいるですよ」。ということで、店員と共に店内にあるCDを全あたり。結局みつからず、まったくの無駄足になってしまう。これ、自分もレコード店に勤務していたのでわかるけど、確かにある話。ジャズ盤で欲しいと思ってもお金が足りなくて買えないとなると、まったく予想もしないアイドル系のコーナーなんかにこっそりもってって隠しちゃう人がいる。新人バイトが来ると、必ずえさ箱(業界ではレコード棚をそう呼ぶ)チェックをさせるので、たいがいばれるんだけど。結局、目的のCDは買えなかったが、別店でオリジナル盤を購入できた。それにしても札幌は新品、中古含めて品揃えにはやはり厳しいものがある。輸入盤にしても仕入れ枚数はまったく異なるので、アルバムによっては枚数が東京都内に行き渡って完結してしまうものが少なくない。従って中古もこんな地方都市までは流れてこないものがあるのだ。インターネットという便利なものができたので状況は一変したが、ネットにはのってこないような日常的な出し入れというものもあるはずで。書籍と一緒で、ものが売れるのは関東、関西圏だからしょうがないことではあるけれど。γGTPが200まであがってしまった。とほほ。「上海から来た女」が録画できたので、うずうずしているのだが、なかなか観られない。鏡のシーンが「燃えよドラゴン」に引用されたのは有名な話だが、登場人物の「オハラ」という名前まで引用しているということはないだろうな。ロバート・クローズさん、そんな繊細なシネフィルであるわけがないもんな。

10月10日 連休中とは言え、朝から晩までジャズ漬けの日々。もちろん決して苦痛ではなく心地よい。ジャック・ウィルソンのピアノを久々に聴いていたが、このジェットコースター的なアドリブは何度聴いてもユニークで面白い。「イースタリー・ウインズ」も大好きだが、ウィルソンを楽しむならやはりピアノ・トリオ。昨晩は出張後、すすきのに割と最近できたジャズ・バーへ。大きめの音量でうれしかった。お酒主体となるジャズ・バーでは会話できることが前提となるが、ボリュームが問題。小さすぎても大きすぎてもだめだが、できればなるべく大きな音で聴きたいのが本音。とはいえ、なかなか難しいところではあるなあ。先週、「シン・シティ」。コミックをまんま映画にしちゃおうという、CG時代ならではの異色作。ロドリゲスの考え方はユニークで、作者のコマ割りが十分に映画になっているので、作者も監督に引っぱり込んでしまったというのだ。ゲスト監督にタランティーノまで呼んでしまい、結果この映画には3人の監督が存在している。タランティーノが演出した、すでに死者になっているべニチオ・デル・トロが復活するところが面白かった。野球映画の佳作「がんばれベアーズ」のリメイクが公開されてので、気になってしょうがないのだが出来はどうだろう。

10月5日 ジョルジュ・アルバニタスが急死したという。まあ、お歳だからなあ。でもけっこうショック。今回真っ先に原稿を書いたのもアルバニタスで、こんなに長きにわたって安定したアルバムを出し続けた人もいるようでそういない。残念です。それにしてもものすごいことになっちゃってるらしいゴダールの新作「アワーミュージック」はよりによって札幌ではあそこで上映ですか。これは大いに困ったことで…

10月4日 年内はジャズ本の執筆におわれる日々が続く。毎日のようにCDとレコードを漁る。「チャーリーとチョコレート工場」はなかなかの出来だと思う。「シンデレラマン」は結局いただけない。それにしても朝日新聞に書いている沢木の映画評なんとかならないものか。昨日の夕刊はその「シンデレラマン」だが、物語ばかりおっていて映画のことは1行も書いていない。当然ファーストカットの記憶などないのだろう。蓮實さんの新刊が出た。「ゴダール革命」。黒沢さんとの対談もあり。今ゆっくり読めないが当然購入。「男の隠れ家」という雑誌があるが、次回はジャズ喫茶特集だという。先日、ライターとカメラマンがロンドに取材に来たそうだ。先週は函館出張。久々にJB。シングルモルトをとことん堪能。深淵なる世界。映画やジャズにはまるように、はまっていきそうな世界。マスターの御指南で新たな発見多々。

9月24日 どん底からでも上に導く梯子は誰にでも開かれている。ドブの底から星空まで。シコはパリのスラム街の下水掃除人。そこはどん底のどん底と呼ばれる場所だ。しかしどんなに貧しくとも将来への希望を失わないシコはボロアパートの7階に住み、そこを「第七天国」と名付けている。そんなシコが仕事を終えたある日、アル中の姉にむち打たれ、疲れ果てたディアーヌを救う。ディアーヌは第七天国に招かれ、生まれて初めて安堵の地を見いだす。正義感からディアーヌを救っただけだったはずのシコも、身元調査に訪れた警官に「私の妻だ」と偽るうち、次第に彼女に惹かれていくようになる。その思いが確信となった日、シコは二人だけの結婚式をあげようとウエディングドレスをプレゼントする。式をあげるにはどうしても愛の言葉を直接彼の口から聞きたいとディアーヌ。が、陽気で正義感の強いシコもさすがにこのセリフだけは言えない。何度トライしてもどうしても言葉がつかえてしまう。そして、こんな言い方ならできると彼は提案し、こう言う。「シコ。ディアーヌ。天国」。ディアーヌは感激し、何度も言ってとせがむ。そのとき、第一次世界大戦が勃発したというニュースが飛び込み、1時間後にはシコもることになってしまう―。 フランク・ボーゼージの「第七天国」は素晴らしい映画的感性で通俗的メロドラマの域を軽やかに超える。とくに第七天国と呼ばれるボロアパートの造形と撮影が素晴らしい。サイレント映画ながら登場人物たちのセリフは躍動し、最小限の言葉と豊かな映像描写で映画の真の素晴らしさを堪能させてくれる。朴訥なシコの愛の告白は不意打ちのように心を打ち、涙が溢れる。物語はこの後、出征したシコとディアーヌのやりとりまで描かれるが、ファーストカットはシコが下水のボロを引き上げるアップから始まる。ドブの底から星空の見える第七天国、天と地の対比がいい。そして戦場とパリの下町で毎日午前11時に天を見上げながら語り合う二人。どん底の貧しさの中で、天を見上げながら何かを獲得していく二人の姿が美しい。ディアーヌを演じるのはジャネット・ゲイナー(第一回のアカデミー賞を受賞したなどどうでもよい話)。ジャネット・ゲイナーといえば、ムルナウの震える傑作「サンライズ」である。愛を題材にしたサイレント期のこの充実ぶり。フランスではジャン・ヴィゴの「アタラント号」もあるぞ。一頃、セカチューだのなんだのと純愛映画ブームとやらがあったわけだが、これらの傑作を前に一体どうし映画を作る勇気など持ちうるのだろうか。

9月23日 田壮壮(ティエン・チュアンチュアンと読む)の「春の惑い」をようやく。戦後の蘇州、冷めた生活を営むある若夫婦のもとに、夫の旧友であり妻の初恋の人であった医師が訪ねてくるところから、それぞれの登場人物たちの心のざわめきが屋内と屋外の見事な風景の中で描かれる。日中の光線の室内への入り具合やろうそくと電球の灯りの使い方も「映画」そのもの。ろうそくをつけるために妻がマッチに火をつけ、それを吹き消すと息がすーっと伸びていくのがわかるあたりにもドキリとした。陰惨な話をこれだけ美しく撮れる演出力はすごいことだと思う。しかし、こうした題材を考えるとき、成瀬巳喜男を観てしまった今ではあらためて成瀬のすごさを思い知らされる。淡々と見えるようで、成瀬の世界的な突出ぶりはただごとではない。そしてその圧倒的本数の充実ぶりにただただ呆然とする。

9月15日 中北千枝子さんが亡くなった。79歳だったという。成瀬巳喜男作品の常連俳優として、というよりも成瀬といえば実は中北さんだったのだと言えると思う。それが成瀬生誕100年のこの年に、しかも成瀬の誕生日である8月20日をしっかりと見届けたうえで亡くなられたのだ。何たる映画の人。生前のインタビューで中北さんは語っている。成瀬が亡くなった年、やはりショックで女優をやめようと思ったと。女優になった当時、あの娘すぐやめるよなどと言われていたらしいが、どうにか女優らしく通用するようになったのも成瀬作品に出られたからだと述懐している。成瀬作品の実力派女優陣の中にあって、中北さんの存在はいかにも地味。本人曰く「シケた」役が多かったということだが、成瀬作品の中に入っていくと、最も印象に残るのが中北さんなのだ。「浮雲」では森雅之、高峰秀子の他に中北千枝子が成瀬自筆で台本に名前が書かれていたという。「浮雲」では金歯をはめた森の夫人。「山の音」ではホウレンソウのゆで方に失敗し、父の山村聰がまずそうに食べて烈火のごとく怒る。「稲妻」はシケた妾で金をせびる。「めし」では赤ん坊を背負って新聞を売る。「女が階段を上る時」ではラーメンをすするホス。「流れる」では畳の上でデレーっと座っている芸者(撮影前に成瀬が寄ってきて浴衣をグジャグジャしちゃったという)。個人的には息子を田中絹代の家に預け美容師の勉強を続ける「おかあさん」の役柄が一番好きだった。成瀬と同じ東京の下町に生まれ育った中北千枝子はどこか共通のにおいと感覚を持ち合わせた人だったに違いない。「俺が俺が」という人種が多い役者陣にあって、欲がなく力がいかにもぬけた芝居をしながら、こんなに素敵な女優さんがいたことを忘れてはならないと思う。また、まだ今いちわからないという方は成瀬映画を観て、ぜひ中北さんを発見していただきたいと思う。 ところで火曜に魚の骨が喉に突き刺さり(マス)、そのうち自然に抜けるだろうとときどきご飯の丸飲みをしながら3日程ほっておいたものの、いっこうにとれる気配がなく、とうとう病院行き。口を開ければすぐに見える位置にあったらしく3秒で抜かれる。透明ケースに入れてお土産にもたせてくれたが、1センチはある大きな骨だった。4ミリ近く刺さっていたようなので、ほっておいても抜けないはずだ。魚の骨ごときで病院に行くなど、誰もしないだろうなあと思っていたらけっこういるらしい。中には魚の骨が刺さったあげく亡くなった人もいるとのことで、医者から「もっとあわてろ」と叱られる。おまけに初診料+手術料の3割負担で2080円もとられる。でも魚の骨の刺さっていない喉ってなんとすがすがしいのだろうと実感した。

9月14日 現在発売中の週刊ダイアモンドはジャスラック問題の必見記事を掲載(9月17日号)。ジャスラックの年間著作徴収料が1000億円に上る実態に対し、管理業務の手数料を差し引いた金額の分配疑惑を暴いている。最も大きな金額に上るのが幹部報酬で、常務理事クラスでも3000万円近い報酬を得ているだけでなく、その報酬を決める役員報酬審議会のほとんどがジャスラックの理事であるという。会員には組織運営に疑義を唱える永六輔、野坂昭如、小林亜星ら改革派も存在するが、理事選出にあたり彼らの声が反映されない巧妙なからくりがあることも示されている。ジャスラックの理事会を牛耳っているのは演歌関係の多数派理事。さらに文部官僚の天下り先としても半世紀にわたる癒着の歴史をもち、古賀政男音楽文化振興財団に対する巨額融資問題も94年に発覚したが、当時の文部省官房長によって闇に葬られることになったことが紹介されている。必読。ないし、買いそびれた方にはコピーを差し上げます。9月8日 昨日まで上京。来春大和書房から出版する文庫本の打ち合わせのため。ディスクユニオンにてヨアヒム・キューンの新譜「ポイズン」を購入。薬物に関する曲ばかり選んだアルバムで、眼光鋭いキューンのジャケット写真をみて思わずチョイス。中身はなかなか美しく、「ANGEL  DUST」にはまる。ジャケといえばアケタズ・ディスクの新譜「OLD  FOLKS」の武田和命と渋谷毅の写真がいい。武田はトレンチコートにジーンズ、二人とも煙草を吸っている瞬間の写真だが、共に同じ方向を向いて座り、視線はうつむき加減。深い一瞬をとらえた素晴らしいショットだと思う。撮影者の浦充伸氏も02年7月に死去とある。ベースは川端民夫だ。共に購入したアレックス・リールトリオの「WHAT  HAPPENED」も大当たり。中古でもいい買い物ができた。友人と会うまで時間があるのでジョージ・A・ロメロの新作「ランド・オブ・ザ・デッド」を観て、高田馬場の「MILESTONE」へ行く。移転後、初めて行ったのだけれど、落ち着いてジャズが聴けて短時間ではあるがいい時間を過ごすことができた。何より久々の馬場も懐かしく、いい町だなあと思う。「ランド・オブ・ザ・デッド」は傑作。花火を見上げるゾンビのイメージが素晴らしいたのは明らかにホークスの「ヨーク軍曹」を意識したシーンがあったこと。「ヨーク軍曹」を観ていれば、誰でも明らかにわかるシーン。ロメロって「ゾンビ」でアクションの撮れる人なんだと感心したことはあったけれど、シネフィル的なことをする人ではなかったはず。メジャー作品でタッチをちょっと変えたのか。もちろん、そのこともひっくるめてさすがロメロとますます好きになってしまう。元気なうちにゾンビ新3部作に突入してほしい。札幌は本当に人がいない。8月24日 最近はマイク・ノックやらヤンシー・キョロシーやら個性豊かなピアノ・トリオものを聴いていたので、アラン・ブロードベントなど聴くと妙に和んでしまう。が、「ラウンド・ミッドナイト」はベースがブライアン・ブローバーグなのでブロードベントのお尻にも火がついた感じでなかなかスリリングではある。ブロードベントというと、月並みではあるがやはりアイリーン・クラールとの共演作を思い出す。とくに「ホエア・イズ・ラブ」は今思い出しても涙が溢れそうな名盤だ。個人的に好きなボーカルアルバムの中でも間違いなく上位に入れてしまう作品なのだけれど、ブロッサム・ディアリーの「I  Like You,You`re NICE」や「NEVER LET ME GO」も大好きだが、とくに感じ入ってしまうのは「WHEN I LOOK IN  YOUR   EYES」という曲。ダイアナ・クラールさんも歌ってましたよねえ。レスリー・ブリッカスのこの曲、初めて聴いたのは「ドリトル先生不思議な旅」を観た中3の夏休みだった。前編後編の2週に分けての放映であったが、映画自体の面白さもさることながら、音楽にもけっこう感動しながら観ており、次の1週間を待ち焦がれていたことを思い出す。映画ではもちろん主演のレックス・ハリスンが歌うのテレビは吹き替えである。吹き替えなど滅多にしない宝田明さんの器用に、大丈夫なのだろうかなどと思ってしまう生意気な中学生ではあったが、宝田明の声にあっという間に惚れ込んでしまうウブな中学生でもあったっけ。そして、宝田の吹き替える歌というのもまた絶品で、日本語に訳して歌う「WHEN  I LOOK IN YOUR  EYES」が実によかったのだった。残念ながらこの曲の日本語の歌詞は忘れてしまったけれど、別のアップテンポの曲は「先生の言うには、お星様はアップル!」などと歌われ、未だ頭の片隅に残っている。宝田吹き替え版付きのDVDが発売されれば今にも購入したいところだが。ちなみに「ドリトル先生不思議な旅」、監督はリチャード・フライシャーである。もう30年も観ていない作品だけれど、今観ても絶対面白いだろう。アラン・ブロードベントからずいぶん飛躍してしまった。 ところで、うちのぽんこは月曜に避妊手術、今日、口で傷口と糸を触らぬよう襟巻きをした状態で帰ってきたところ。さすがに憔悴したらしく、動きが何となく緩慢で階段の上り下りにも時間がかかっているようだ。可哀相だけれど、あと1週間我慢してくれい、と言い聞かせているところ。

8月21日 編集部の同僚が鬱病で休職後、上司が入院するという状況でほとんどのページを一人で書くハードな日々がようやく一段落。時間の使い道さえ工夫すれば何とかなるもんだと実感。昨年のきつい時期は睡眠時間を削って対処したけれど、今回は飲んだり映画を観る余裕もあったりして。8月は終戦記念日のあることもあって日本の戦争映画をよく観た。松林宗恵が自らの代表作だという「人間魚雷回天」のほか、「連合艦隊」「さらばラバウル」「太平洋の翼」「野火」「明治天皇と日露大戦争」「日の果て」「戦艦大和」「太平洋の鷲」「加藤隼戦闘隊」「太平洋奇跡の作戦キスカ」など。再見の「キスカ」は玉砕直前のキスカ島の兵士たちを救うべく米軍がうようよする中を霧に紛れて艦隊が救いに行くというミッションもので、実に面白い一篇。昨晩は積丹で一泊。帰る途中乗った水中観察船は思いのほか楽しかった。船に乗った途端、海中にぎっしり魚と蟹がいるのに呆然。海底は養殖の紫ウニがうじゃうじゃ。若干気持ち悪かったが、波をきって疾走する船首の風が心地よい。船長がカモメ用にと食パンを無料配布、海上でばらまくが適度に湿ってなんかうまいパンだった。最近は時間があると中古店をよくのぞく。滅多にみかけないヤンシー・キョロシーの「アイデンティフィケーション」もあっさりと1500円以下で売っており即購入。ほか、ジョルジオ・アルバニタス、ヤン・ラングレン、マイク・ノック、ティエリー・ラング、ヤン・ガルバレク、ジェフ・ワッツ、ラーシュ・ヤンソン、峰厚介、植松孝夫、ポンタボックス、宮澤昭、ランディ・ウエストンなど。

7月31日 久々に取材も何もない週末で、土日にかけて成瀬巳喜男の追加録画分で「放浪記」「秀子の車掌さん」「秋立ちぬ」「銀座化粧」「くちづけ」「浦島太郎の後裔」「白い野獣」、その他佐藤純彌「暴力団再武装」、鈴木清太郎「8時間の恐怖」など。成瀬さん、観れば観るほど恐るべき映画監督で駄作が一本もない。しかし20年前に観たならこんなにいいと思っただろうか。ある程度年齢を経なければその面白さは十分に理解できないような気もする。「秀子の車掌さん」はまだ17歳の高峰秀子主演。成瀬との記念すべきコンビ第一作である。とある田舎町のバス会社の車掌、秀子が客を少しでも増やそうと名所案内をやろうと言い出す。そこで運転手、藤原釜足と共に売れない作家、夏川大二郎のもとに台本を依頼しにいく。夏川が自ら書いた台本をバスガイド口調で読み上げるおかしさ。二人が再び作家の元を訪ねた際、夏川は温泉で足を子供のようにバタ足にして他愛もなく楽しんでいる。先生と呼ばれる割に大人げない動作が妙におかしい。バス会社の社長は腹巻き姿で、何かというとかき氷にラムネをひっかけて客人にもふるまっている。何とものんきな登場人物たちの狭間で、秀子の初々しさがローカルな風景の中にしてあざとくなく際立っていく。この映画的光景の何たる至福感。ハッピーエンドのようでいて、さすがは成瀬監督、もうひとつ巧妙で皮肉めいた仕掛けが施されている。 昨晩はジャズ屋関係の方とビール園、居酒屋、最後に狸小路商店街の夏祭り。6丁目会場ではサルサの生演奏。こういう場ではサルサがよく似合う。狸小路商店街のテーマ曲をサルサでやっても意外とノレて面白かった。夏のビールと言えば、家の者と市内ホテルのビアホールでどうも自分は幽霊を見たらしい。自分の目でははっきりと見たのに、他の人が見ていないというのは信じたくないけれど幽霊なのだろう。

7月29日 中古店でルーマニア出身のピアニスト、ヤンシー・キョロッシーの「キョロッシー」を購入。くら~い音使いで、切れ味の鋭いソロがばんばん飛び出し、一見クールな東欧人がピアノを前にきれまくっている感じで、すっかりはまってしまう。ジョニー・ラドゥカンの強靱なベースもすごいがソロピアノも面白い。「ボディ・アンド・ソウル」などどこがボディ・アンド・ソウルなんだかわからないほどアレンジがユニーク。ためてなどいられない、つっこみ変態系のピアニストと言えるんだろうなあ。これは好き。  西村潔の「白昼の襲撃」をようやく観ることができた。黒沢年男主演のハードボイルドアクション。日野皓正がラッシュを観ながら即興で音楽を担当。冒頭で演奏するシーンもあって元彦さんがドラムを叩いている。横浜の元町で血まみれの黒沢がのたうちまわって死ぬんだけど、ぶっつけ本番で撮ったらしく、なかなかの迫力。西村さんは後に「黄金のパートナー」なども撮っているが、自殺してしまったのが何とも惜しい。昨晩は千里とくうで飲酒。千里ではジャズ関係の方々にばったり遭遇。猫話。串カツと小エビの揚げ物が美味だった。

7月28日 今週は月、火曜と帯広、釧路方面に出張。帯広で取材後すぐ釧路に移動して、という動きはさすがに疲れた。大雨に遭遇することはなかったが釧路に向かう途中から霧が発生し、列車は徐行運転。鹿の飛び出しで急ブレーキをかけることがあるかもしれないという車内アナウンスが入るのもこちらならでは。市内に入ると完全に霧に閉ざされた感じで、夕方でも視界が悪い。駅前通り、夜になると本当に人気がなくなる。しかし霧の中、幣舞橋のあたりを歩くとフリッツ・ラングの「マンハント」のジョーン・ベネットとウォルター・ピジョンのシーンを思い出して実にいいんだなあ。あれはロンドン橋が舞台であった。その後「ジス・イズ」に寄りマスターにご挨拶。 「プロデューサー金子正且の仕事」読了。貴重な話もけっこうあったがインタビュアーに疑問符の残る発言も散見。「昭和史の謎 檄文に秘められた真実」読了。二・二六主謀の磯部浅一の獄中記はすごい。私は今陛下をお叱り申し上げるところにまで精神が高まりましたと述べながら、何という御失政、何というザマですかと結んでいく。「図説2・26事件」読了。有名な「今カラデモ遅クナイカラ原隊ヘ帰レ」の呼びかけのもと、兵隊と下士官は原隊に戻るのだが、何も裁かれずに済むわけではなく、一時隔離された後いじめとしごきに遭い、帰省中も憲兵の監視がついたり、除隊後も何度も兵隊にとられた人がいた。これはむごい。書き忘れていたが、横山秀夫の「クライマーズ・ハイ」、めちゃめちゃ面白い小説。「潜水艦イー57降伏せず」、日本の潜水艦ものの傑作。「ドーン・オブ・ザ・デッド」、何度観てもいい。屋上のやりとりが面白い。「パッション」は周囲の醜悪な騒ぎぶりにマカロニ・ウエスタンを思い出してしまう。

7月15日 最近佐分利信が監督した「叛乱」(病気による途中降板で残り3分の1は阿部豊が撮影)を観たせいか、二・二六事件に関する本を読んでいる。二・二六事件を扱った映画というと健さんものの「動乱」やら五社の「226」など惨憺たる作品ばかりで、もっとも吉田喜重氏の「戒厳令」という作品もあったけれど、「動乱」や「226」に比べれば家族やら女性とのエピソードにぶれさせることなく皇道派青年将校たちと戒厳司令部とのやりとりに力点を置き遙かにがんばっている。が「昭和の劇」で笠原和夫氏が安藤輝三大尉と秩父宮の関係や弾薬庫を巡り安藤に鍵を渡した軍曹が収監後、風呂の縁に立って自殺ダイビングし失敗して頭がおかしくなっちゃうエピソードをはじめ、この事件はとても2時間で収拾がつきそうにない。ところで、この事件が起きたのは昭和11年、1936年であってなるほど軍国化が加速的に進む時代と、映画の全盛時代は一致していたのだなあとふと思う。1936年といえばトーキーに移行した小津が「一人息子」を発表しているし、戦死する山中貞雄の「河内山宗俊」が封切られている。成瀬は前年に「乙女ごゝろ三人姉妹」「妻よ薔薇のように」「噂の娘」など充実の五連発を発表し翌年「桃中軒雲右衛門」という時代で、マキノさんはさすがに約30本を撮っている。映画はこの翌年から巻頭に「挙国一致」「銃後を護れ」などのタイトルを挿入することが義務づけられ、日本軍は南京を占領する。 つくづく映画全盛と戦争の時代は一致するわけで生まれ年をみると二・二六事件主謀将校の安藤や磯部浅一は1905年生まれ、もちろん今年生誕100年の成瀬さんと同年の生まれになる。ついでに言えば二・二六事件の直後に起き当時の暗い時代背景の中でエログロナンセンスの象徴となった阿部定事件の主役、阿部定も1905年生まれで今年生誕100年なのだった。愛人のあそこをちょんぎって持ち歩き、愛人を殺した12時間後には別のパトロンと性交に及び、その際「変な話だがお前は少しくさい」と言われちゃったという。二・二六の年、青年将校と阿部定と成瀬さんは31歳を迎える年だったのか。

7月4日 最近は漫画もけっこう読んだ。岡崎京子ってけっこう面白かったんですねえ。最初からぶっこわれた人間関係。ずれまくっているスクリーントーン。河原に放置された死体に安心する「リバーズエッジ」。この人、事故に遭わなくてもこのままいけば漫画を描けなくなっていたのではないだろうか。我が家にあった山岸涼子の「日出処の天子」も今更ながらだが、感心した。中古屋で発見した武田和命の追悼「INFINITY」。武田さんの才能を再発見。何よりテナーの音が素晴らしい。ベースは吉野弘志、ドラムスは古澤良治郎だ。ライブ盤だが拍手の少ないこと。何せアケタの店だから。「ルビー・マイ・ディア」のソロの後の拍手など一人だし。武田薬品のCMの「タケダタケダタケダー」を12回歌うとブルースになっちゃうという「武田ブルース」、生で聞きたかったなあ。

6月16日 「ミリオンダラー・ベイビー」再び。たぶんまた観に行くような気がする。同じ映画を観に何度も映画館に足を運ぶのは「ジョーズ」以来だろうか。映画を観ていない方のため、書くことがはばかられるところがあって書きにくい。が、それ以前に相変わらず、感動が実に言葉に表しにくい。宗教で語る方もいるだろう。医療で語る方もいるだろう。アイルランドで語る方もいるだろう。ボクシングで語る方もいるだろう。すべて違うと思う。映画で語られなければならない。そのことはプロの評論家に任せるとして。 イーストウッドは90分の作家ではない。視覚的要素の強まったハリウッド映画がそうであるように、「ミリオンダラー・ベイビー」の上映時間は若干短いが133分。上映時間は現代的でありながら、今どきの映画とは一線を画しているのもイーストウッド映画の特色かもしれない。むしろハリウッド・スタイル=映画を継承している現役監督はジョン・カーペンターだ(でありながら題材はホラーなのが変態ですごい)。それはともかく、視覚性優位の題材でなく130分を撮るイーストウッドはやはり希有な存在だ。ジョン・カサベテスのように俳優が過剰になることもない。むしろ出演俳優はすべて抑制的な演技を強いられているといえるかもしれない。物語る上で過剰な描写はあっただろうか。それもないだろう。どころか複数の原作で脚本化し、さらにイエーツの詩を付け加え厚みを増している。が、それぞれの場面はいわゆるハリウッド映画がそうであるように、極めて簡潔な経済性をもって物語られる。無駄がないのだ。90分を無駄なく130分で語ること。イーストウッドはそのことを平然とやってのけている。と思う。それにしても2度目はまいった。ヒラリー・スワンクが登場しただけで涙が溢れた。

6月15日 欠員を出したままの締切が続き書いても書いても追いつかず。ストレスがかなりたまる。最近はあまり映画も観ていない。楽しみはわずかの時間に聴くCDだけ。大友良英の「Guitar  Solo」は素晴らしい。塩田明彦や相米慎二の映画音楽はじめ、ムードインディゴ、ミスティなどのスタンダードがまたいいのだ。気持ちよく癒されそうでいて神経がとんがってくる感じ。ロンリーウーマンは録音中てんとう虫がマイクにとまったときの衝撃音が残されデュオだと大友氏。クロノスカルテット、「ヌエボ」聴けば聴くほど素晴らしい。「モンク・スイート」に遡ったが後の活躍を考えればずいぶんと大人しい印象。目立たないがベースはロン・カーターよりもチャック・イスラエルのほうが遙かにいい。そうだ、チャック・イスラエルという人が好きだったことを思い出した。ラファロとゴメスに挟まれ、損をしているがエバンス時代のイスラエルは絶品だったし、ドン・フリードマンやチックとの共演も印象に残っている。ヨーロッパのベーシストみたいなアメリカ人、みたいな印象。昔売り飛ばしてしまったジム・ペッパーの「カミン・アンド・ゴーイン」を中古屋で発見し、懐かしむ。インディアンの子孫とナナ・バスコンセロス、ドン・チェリー、コリン・ウォルコット、さらにジョン・スコフィールドの共演というのはますます無国籍的でそそられるものがあった。おじいちゃんやお父さん、お母さんをはじめ、祖先にまでアルバムが捧げられ、そりゃ死ぬよなあと何故か思う。購入直後、出張先のホテルでぼんやりと観ていた「スリーパーズ」という映画のケビン・ベーコンに復讐するシーンで、このアルバムの「Witchi  tia  to」が引き金を引く際の高揚感を示す音楽として使われていた。ハリウッドの人ってこんなの聴くんだ。ってかヒット曲だったのだろうか。

6月3日 「ミリオンダラー・ベイビー」がイーストウッドらしいと言いつつも、今回の場合はその完成度が桁外れのもので、観た日以降とらわれ続けている。イーストウッドという人は基本的には自分で物語を作らず原作を探してきて映画化するパターンの人で、でありながらも常にイーストウッドのための企画だったとしか思えないほどイーストウッド的主題があちこちで繰り返され、今回も描写的には亡霊あるいは消失、擬似的家族、仰角と俯瞰で行われる殺人、肉体的な損傷や刻み込む行為等々が重苦しくリフレインしている。「イニスフリー」ということではフォード映画がすかさず想起され、「ぺイルライダー」にジョン・ラッセルを起用したように映画史的なつながりに感動的に思いを巡らせることもできるだろう。が、観た日以降続くこの衝撃具合はそんな話ですませられるものではなく、これまでのイーストウッド作品のレベルをさらに凌駕しており、どうにも言葉にならないのだ。 映画ではアイルランドの詩人イェーツの初期の詩である「イニスフリーの島へ」が重要な形で引用されるのだが、これはイェーツ自身がロンドンに在住した時代に故郷イニスフリーを思いうたったものだ。とりわけ第2節が感動的で、真昼は目もくらむ光に満ち、夜はふけてもほの明るく、夕刻には胸赤鳥が感動的に群れ舞う自然豊かな場所であることを慈しむようにうたう。当時、イェーツ自身一人暮らしをしにイニスフリーに帰りたいと語っていたというが、つまり孤独を希望した詩であり、またイニスフリー自体が非常に霊的な場であり、少年時代の幸福な時間を取り戻せるわけはなく、そう考えていけば生と死の境もあいまいになってくるような気がしてくる。だとすれば映画での引用は結末に向けて暗示的な意味合いが込められているのかもしれない。これはイェーツの詩の部分の話であってあくまで映画の部分でしかない。映画はさらに…といってうまい言葉が思い浮かばないままいるのだが、イーストウッド自身のより生々しい何かを突きつけられたようで、そのずっしりとした重みは「許されざる者」や「ミスティック・リバー」の比ではないように思う。 横道にそれると、イニスフリーはギル湖の島で実在し、妖精伝説などの残る一種独特の場として認識されているらしい。存在の根元的な場として、自分の求める場として、暗喩的に「イニスフリー」という誰しもが持ちうる場の名称として使うことができるだろう。そんな風に思いを巡らせると、実際にはコング等でロケしたフォードが「静かなる男」のあの村を「イニスフリー」と名付けたとき、どのような思いが込められたのだろうか。「ミリオンダラー・ベイビー」はアイルランドとの関連から単にフォードを想起させたわけでなく、少なくとも自分にとっては、フォードにとってイニスフリーとはいかなるものだったのだろうかと、逆にフォードを問い直すことさえ考えさせてしまう映画だったともいえる。もちろんこれはあくまで個人的な感想であり、映画自身の話とはそれてしまうのでこのへんにしておこう。それにしても今ここにきて、十年に一本出るか出ないかという程の傑作に同時代に巡り会えたことを感謝するほかない。5月31日 唐突だが今日はクリント・イーストウッドの誕生日だという。1930年生まれなので75歳。というわけで「ミリオンダラー・ベイビー」、何を撮っても傑作になってしまうイーストウッドの、実にイーストウッドらしい作品だった。スポーツを題材とした点ではアルドリッチの「カリフォルニア・ドールズ」に軍配が上がると思うのだが、その後の展開が一気に変容する様にはイーストウッドの陰の部分がどーんと比重を占め、その痛々しさがあくまでイーストウッドらしかった。ぱっくりと刻まれる肉体の傷、イニシエーション、亡霊、これまでの作品にみられたテーマが見事な手並みで物語にとけ込む。古典的手法を用いつつもあくまで50年代以降の作家として映画を撮ってきたイーストウッド、今回はフォードがちらつきやしないか。だいたいあのゲール語、「モ・クシュラ」の意味が明かされるとき、ちょっと鳥肌ものだったが、もっと前のシーンで読まれる詩の一節に登場する地名はもろにフォードではないか。ところで今年75歳になるイーストウッドは現役の監督の中では高齢の部類に入るが、日本にはもっと上の監督が、鈴木清順さんがいらっしゃる。1923年生まれ、誕生日はイーストウッドと1週間違いの5月24日オペレッタ狸御殿」はこれからのお楽しみ。5月21日 連休中、久しぶりに矢野顕子を聴いていたが、あらためてこの人は才人だなあと感心した。初期のものでは名曲「ひとつだけ」が入っている「ごはんができたよ」が好きなんだけど、8分30秒に及ぶ大作「げんこつやまのおにぎりさま」は複数の主題から成り立っている構成で、メロディとリズムのギアチェンジをはかりながらかっとばしていく様に圧倒される。原曲はもちろん、「げんこーつやーまのたーぬきさん…」というやつだが、おむすびを結ぶ「ぎゅぎゅぎゅうっ」の「ぎゅうっ」の部分を非常に愛らしく聴かせるのがうまく、ついつい聴き惚れてしまう。矢野さんは歌詞とメロディの相乗効果という点も実によく心得た人で、パット・メセニーがギターを弾いちゃってる「いいこ いいこ」など、子育て中のお母さんだって褒められたいという視点もユニークだが、「いいこー、いいこー」と歌を締め括って歌詞とメロディーを効果的に一致させる。「夢のヒヨコ」の「ピヨピヨピピピー ヒヨコがぴょん」と歌うところも印象的で、日本語で音楽的にキメてくれるところがいいのかもしれない。「愛がなくちゃね」の収録曲「どんなときも どんなときも どんなときも」はカデンツァのようにエンディングで書いまうと恥ずかしい歌詞が入ってくるのだけど、その語りかけ方は何度聴いても感動してしまう。 矢野顕子さんという人はデビューしたての頃、「丘をこえて」を面白く歌うおねえちゃんが登場したということで話題になっていたのではなかったかな。うろ覚えだが、それで「題名のない音楽会」にも出演していたと思うのだが。矢野さんは「ごはんができたよ」でも「青い山脈」を歌っていたが、後の世代が懐メロ的な歌を歌うのはその歌手の勝手なのだけれど、独自のセンスが加味されなければどうも心をひかれない。その尺度というものもこちら側の勝手なわけだが、おおたか静流さんが周防作品でも使った「りんごの木の下で」を歌っていたが、実は微妙なものを感じていた。「悲しくてやりきれない」はいいとしても(これ矢野さんも歌っているけれど)、ぎりぎりセーフという感じかな。個人的には。平井なんとかという人が古い時計がどうしたと歌ってヒットしていたが、あれは最低だと思う。子供の時分の想い出の歌だか何だか知らないが、それは歌の原体験として心の中に大切にしておけばいいのだし、歌うなら「げんこつやま」くらいやってくれよと実は耳にするたびに怒っていた。

5月20日 多忙のせいもあるがパソコンの不調で何度も更新したのが無駄になってしまった。最近仕事中はよくスティーブ・ライヒを聞いている。近作「スリーテイルズ」はヒンデンブルグ、ビキニ島、遺伝子工学をテーマに、これまで進化させてきた手法をすべて投入したような力作。音楽とテクノロジーの関係に並々ならぬ関心をもってきたライヒは音楽的流行とはまったく無関係に自身の音楽的必然からラップ的手法やサンプリングをいち早く導入していた。後のクラブシーンが注目したのも当然なのだろうが、なんせ流行には関係のない人だから、時代がライヒに追いついたとかいう言い回しはふさわしくない。「ディファレント・トレインズ」という作品ではナチスの強制収容所の生き残りの証言をサンプリングし、クロノス・カルテットが演奏した作品だったが、言葉の音楽的活用の見事さに驚かされた。後の「シティーライフ」ではタクシーにし込んだマイクから聞こえてくる音や言葉、例えば「Check  it  out!」という言葉が旋律としてラップ的に活用され、そこにサイレンやらクラクションやら街の喧騒がかぶり都市生活がユニークに描写される。版権の問題で実現しなかったがバルトークの肉声をサンプリングし、クロカルテットに演奏させる試みが実現していたらさぞかし面白い作品が出来上がっただろうに。「スリーテイルズ」では実写フィルムと科学者へのインタビューがライヒの音楽を映像化する形で上演され、DVDで見ることができるが、「20世紀」に始末をつけちゃおうという壮大なオペラになっている。パット・メセニーの楽器演奏能力の高さに着目し、当て書きしたという「エレクトリック・カウンターポイント」は反復とずれによって変幻する曲調がただひたすらかっこいい。ライヒ音楽の特徴のひとつに圧倒的なスピード感があると思うが、「東京/バーモントカウンターポイント」でマリンバ演奏を行った吉田ミカ氏がインタビューで興味深いことを述べている。とくにアフリカやインドのリズムをマスターしていないとライヒの演奏は難しいと、リズムの特徴について述べた点だ。8/15拍子など日本人の感覚ではできないもので、繰り返す、という点でも適当にやっていてはだめ。ガーナ音楽のガンコギ(アフリカのベル)が同じパルスを刻むのに合わせて他のプレイヤーがリズムをのせていくが、そのパルスが崩れたらまったく演奏が成り立たないという。演奏自体は簡単なものだが、正確なリズムとパルスがまず基本で、そのうえに重なってくる旋律のラインがみそになってくるわけだ。ライヒ自身ガーナでドラミングを学び、またバリで民族楽器、エルサレムで詠唱法を学んだ経歴をもち、名曲「18人の音楽家のための音楽」で演奏者がパートを交代して演奏しているのは民族音楽から来ているだろうと推察している。日本人がライヒ音楽を雰囲気的に演奏しているのは大きな間違いで、吉田氏自身アフリカのリズムを徹底的にたたき込まれたことでライヒの音楽がようやく体に入ってきたと述懐する。ところでクロノス・カルテットの「ヌエボ」というアルバム、メキシコの伝統音楽やら老ストリートミュージシャンやら「ちょっとだけよ~」で有名な(古い話題)「タブー」やらいかがわしい曲を弦楽四重奏でやるというたいへん刺激的な作品だった。 

4月20日 17日から19日まで博多周辺。まさか札幌に帰った翌日に再び地震があるとは思わなかった。初めての九州旅は天候にも恵まれ、かろうじて地震にも遭遇することなく恵まれた旅行なのだった。宿泊先は天神駅そば、初日はまずは腹ごしらえと地元餃子の老舗テムジンへ。何せ右も左もわからないうえ、あたりは夜になっているので、携帯にて家の者に誘導してもらっての移動。テムジン本店は見た途端、これはあたりだと直感させる年季の入った店構えで、扉を開けるとカウンターも奥座敷もほぼ満員の状況。職人のあんちゃんもホールのねえちゃん、おばちゃんも極めて感じがよく、すっかり腰が落ち着く。頼んだのはまずは焼き餃子一人前(10個480円也)に、酢醤油でいただくセンマイ刺しにニラキモ。とくに気に入ったのはセンマイ刺しで、底に敷かれたタマネギと合わせて食べるとさらに美味。右隣のお母さんと息子さん二人組のお話ではここ、チャーハンもかなりいけるらしい。左隣のねえちゃん二人組みは焼酎をあおりながら、餃子、馬刺し、手羽先その他注文しまくり。餃子は一個一個が小さいのでみなさん一人につき二人前ずつ注文していた。手羽先などの揚げ物を食べる際は店員さんが一々カウンターに無造作に束ねられた、お尻を拭けば絶対に血が出そうなチリ紙で手を拭いてくださいねとアドバイスする。その後近所のアイリッシュパブでキルケニーを飲みながら、ジャズそんなに詳しくないけど好きなんですよというバーテンさんから、地元のジャズ屋情報を聞く。が、翌日あまりに参考にならないことが判明する。帰りはホテル側の屋台でラーメンとビール大瓶。日曜だっちゅうのに、博多はよく人が出ている街だ。 翌日はうちと同じ店名で、東京時代お世話になったお店のマスターが通われたお店ということもあって佐賀のロンドに挨拶に伺いたかったのだが、お店の前まで来て営業時間が午後6時からに変更になったことを知り愕然とする。再び博多に戻り、夕刻から午前2時近くまで「JAB」「ADAMS」「コンボ」「ニューコンボ」「HEARTS   FIELD」を連続訪問。JABは博多でも珍しくなってしまったジャズ喫茶。マスターは気さくでかなり面白い方。常連客が来た際、シェリー・マンの「AT   THE BLACK   HAWK」がかかっていたんだけど、「面白くない」と客が言うと、「これは隠れた名盤。聞き込みが足らんと」とつっこんでいた。ADAMSは昨年オープンしたばかりの本格ジャズ喫茶。住宅街のど真ん中という信じがたい場所にあるのだが、坂を上っていくと首輪をつけた犬が野良犬のように歩き回っていて恫喝される。そそくさとADAMSに向かうと男性が一人ぼっと立っていて、「お客さんがいなくてね」とマスターなのだった。店内では天井裏に住みついた野良猫が子供を産んだらしく終始ミーミーという声が聞こえ、猫同居者の新人としてはそっちも気になってしまう。 「コンボ」にはまだ20代の若手がバイトで入っていて、彼は鹿児島のジャズ喫茶ジャンゴの息子さん。途中彼の友人K君も来て3人で盛り上がる。「そうだよね」と同調の意味の言葉を鹿児島弁では「だからよぉ」と言うそうだ。それを知らない人間に「だからよぉ」とつい使ってしまうと、「だからなんなんだよ」といつもつっこまれてしまうらしい。K君は博多では有名な「秀ちゃんラーメン」の職人さん。味には自信があるが店員の態度の悪いことでも有名らしい。飲みながら作ることもあるが腕がよければそれでよし。あの店には九州男児しかおらんたい!と胸をはるK君はちょっとかっこよかった。

4月16日 毎月の雑誌のほうの入稿は終わったものの不測の事態は継続し、入稿ページ数をカウントしてみたら実際にいつもの1・5倍あって道理でぐったりしたわけだ。これが当分続くとは気が重い。ジャズマスターズマガジンの締切は目前だし。昨日のライブは盛況でみなさん非常に楽しんでいってくださったみたいでよかったよかった。蛇池さん、スイッチのみなさまお疲れさま。ところで今日は室蘭出張前の時間に床屋。札幌駅近くに15分1000円のアメリカンスタイルだというお店に初めて入る。席は3席で従業員も3人。ソファーはなくて待ち時間は2つある丸椅子のどっちかに座る。老若男女入店が可能で、実際その通りで今日は子供とおじちゃんとおにいちゃんとおじいちゃんとおばあちゃんが客。二人のうち一人のおばあちゃんはもう足腰が立たず、息子にだっこされての入店。ついでに息子も隣でカット。子供がカットを終えて店を出ると、外で待っていたおばあちゃんにどこを切ったか見せびらしている。ちょっといい光景が続く。時計がふたつ飾ってあって、写真屋の現像時間のように今の時間と終了時間が示されている。自分の担当は元美人さん風という顔立ちで髪の分け目から白髪になっている。15分というのに意外と仕事は丁寧なのだった。ひげ剃りや洗髪はもちろんなし。壁面に掃除機の先にブラシをつけたようなホースがぶら下がっていて、カット後はそれで残った毛をバキュームする。そこもアメリカンスタイルらしいのだけど。自分の隣に丸顔のおばあちゃんが座っていて、全白髪。白髪をカットすると床に落ちる毛も全部白いんだな。当たり前だけど、床一面に落ちた白い髪の毛がなぜかはっと目を引いた。ぽんちゃんの体重は1キロ350グラム程。一ヵ月でちょうど倍。子猫の成長ぶりってすごい。明日から初めての九州に行く。

4月11日 このところ、終日会社とジャズ雑誌の仕事続き。今朝は早朝からぽんに頭を小突かれ(正確には耳たぶ)目が覚める。日中の仕事は不測の事態が発生し、当分は1.5倍増しで仕事をすることになりそうだ。紀伊国屋がオープンしたので近くを通りかかったので見学。映画と音楽関係のコーナーしか見なかったけれど、ちょっと驚いた。映画本充実している。といっても札幌ではということだが。増村の分厚い一冊も持っておきたいなあと思ったが6000円だからなあ、考えちゃう。成瀬映画に関係するスタッフ、キャストへのインタビュー集なども今時の書店でよくぞ置きましたね、というもの。

4月8日 ジャズ本と会社の締切でけっこうきついスケジュールになってきた。今週は映画を一本も観れず。先週末は塩田氏の「カナリア」。塩田作品すべて大好きな映画だったけれど今回はちょっと…。音楽のほうは作業をしながらではあるが、けっこう聴いていて。かなり前の作品になるが細野晴臣、忌野清志郎、坂本冬美のHISもお気に入り。坂本冬美ってちょっと発見。演歌のCDは買ってないが。チーフタンズは倒れそうなほど素晴らしい。これで疲れを癒してとG光堂の店長にもらったオランダのワルツ王と帯にあるアンドレ・リュウのクラシック集、「剣士の入場」から始まる明るさがけっこういいかも。PAPA  GROWS  FUNKのニューオーリンズファンクなどがお気に入りかな。ぽんちゃんは1キロ150グラム。確実に成長しているなあ。

4月3日 昨日はたぶん7年ぶりに琴似の「Fべ」に行く。大量のもやしの載ったラーメンで有名な店だが、どんなもんだっけと行ったわけだが、もやし3袋は入っていて麺になかなか到達できない。家の者は、あれはもやしの載った一カ所に穴を開けるように掘り進み、そこから麺を掘り出すのがコツだという。ひたすらもやしを食べ続け、ようやく下層部に辿り着くと、すでに伸びきった麺が出てきた。スープはこれはうまいと言えるほどではないし、大量のもやしで味が薄まっている。来慣れたおねえちゃんが「スープ濃いめ」と注文していたのは正解なんだ。それにしても夕食を食べる気にもなれないあの量の多さ。ま、それで売っているお店なのだろうけど、あの量は変態だと思う。変態ラーメン屋。来慣れたおねえちゃんも変態だ。ところで、うちのぽんちゃん、本日体重を量ったら1キロと20gあった。

3月27日 この1週間はすっかりぽんちゃん(我が家の猫)に振り回されっぱなしで、早朝から布団の上で仮想のハンティングを始めるものだから異様に早起きになってしまった。2日目には大きな黒豹に襲われ、布団を被って防御するという悪夢を早速見る。従って先週はすっかり寝不足気味。それでも家の者が旅行中であるため、えさをやらねばといそいそと帰っていく自分がいたりして、すっかり親ばか気味。背中に乗っては髪をぺろぺろして毛繕いしてくれるかと思えば、耳たぶめがけて猫パンチを繰り出したりして、予想もつかない行動が非常に面白い。昨日は「未知との遭遇」をけっこう観ていた。何かわかるんだろうか。1週間前の体重750グラム、今800グラム。

3月24日 突然だけれど我が家で猫を飼うことになり、今2カ月のメス猫が家中で暴れ回っている。ペットショップで見たときは大暴れする2匹の雄猫をまったく相手にしようとせず、悠然と構えていたので大人しいやつだと思っていたけれど、やはり猫は猫なんでもう早朝から振り回されっぱなし。ノラ・ジョーンズをかけると下の階から駆け上ってきてニャーニャー一緒に唄っていたので、意外と音楽好きかもしれない。

3月20日 出張の行き帰りの列車で「時効なし」(若松孝二)読了。どうでもいいことだがキネ旬で映画本のベスト10みたいな集計をしていて立ち読みで斜め読みした程度だが、一位は美術の木村威夫本、二位は山田宏一さんだったかなあ。「トリュフォーの映画誌」。で、蓮實さんは10以下にも入ってなくて、川本なんかが圏内に入ってる。そのくせ上位に「香港への道 中川信夫からブルース・リー」は入ってる。所詮キネ旬、こんなもんだよなと見ていたが、その結果をめぐる対談も掲載されていて、「香港への道」の部分では「映画は越境する」ことを話すのだが、ある語り手が国籍を越えて活躍したボリス・カウフマンやらヴィルモス・ジグモンドなどの名前をあげ、「越境することは珍しくない」としながら日本のキャメラマンが香港に渡りブルース・リーまで撮っちゃったのは面白いというニュアンスで語っている。その箇所だけ読んで思わず本を床に叩きつけたくなってしまった。映画は「越境する」ことをそんな一言で片づけちゃっていいのか。あの片づけ方には日本人がブルース・リーを撮ったから面白いという短絡的なニュアンスしか感じられないし、映画への畏怖も愛も感じられない。西本正というキャメラマンは修業時代、三村明さんにも師事しており、その三村さんは映画全盛のハリウッドでジョージ・バーンズに学んだ方で帰国後初めて撮ったのが山中貞雄の遺作「人情紙風船」だった。そしてその西本氏が香港に渡って日本の撮影技術だけでなく日本の映画監督を紹介しながら早撮りの演出術まで広め、そのパイプが日活アクションを香港に広めていくことにも役立つのだろうし、キン・フーにも影響を与え、勝新が登場したり、「東海道四谷怪談」が登場したりして、カンフーアクションやその前のチャンバラやキョンシーやジョン・ウーやチョウ・ユンファやジャッキー・チェンに至るまで大なり小なりの影響を与えていくことになるのだ。元を辿っていけばハリウッド映画があり日本映画があり香港映画があるという、たった一人のキャメラマンを通してもこれだけの映画史が浮上するという面白さをですね、キャメラマンが「越境することは珍しくない」とだけ言って片づけてしまうのは、「許されざる者」だと思うのだなあ。むしろ読まなきゃよかったなあ。ストレスたまるし。

3月19日 最近函館出張が増え、取材後JBハウスに行くのがパターンになりそうだ。昨晩もシングルモルト、ソフトなものから薫香臭の強いものまで各種。アイラモルトの中で最も強烈だというラフロイグはバーボンの樽だけを使用して蒸留するというが、この10年もの、・最初の香り、・ボディ、・フィニッシュ、という酒のたしなみ方でいくと、飲んだ後に戻ってくる感覚、香りはヨード臭そのもの。息を吸ってもはいてもしばらくはその香りが残る。苦手な方はだめだろうが、これがたまらなく美味だった。この系統には合うんですよと言って出されたタコの塩辛がまた抜群に合って。今回は、つくねがうまく、あとはお店のおすすめでというマスター御用達の居酒屋を教えていただいたので、次回のお楽しみ。 

 出張時書店に寄ると「レコードコレクターズ」の表紙が大滝詠一の「ナイアガラ・ムーン」だったのでおもわず購入。この人が爆発的に売れた「ロング・バケーション」は好きになれなかったが、それまでの流れはけっこう好きかも。はっぴいえんどの流れで言うと、細野晴臣という人が大好きで、「トロピカルダンディ」や「泰安洋行」「はらいそ」あたりは今でもときどき聴く(ベーシストとしてのジャズミュージシャンの評価は聞いたことないが)。ナイアガラムーンのエキスとして、だよねえと思えるアルバムが20枚ほど紹介されている。サッチモ、エルビス、バディ・ホリー、ニール・セダカ、クレイジーキャッツ、小林旭、あきれたぼういず、服部良一などなど。そしてドクター・ジョン、ミーターズをはじめとするニューオーリンズサウンド。そうそう細野のソロアルバムやティンパンアレイでも活躍したドラマー林立夫がニューオリンズ風サウンドでもなかなかにきまっていたのだった。それにしてもドクター・ジョンの「ガンボ」ってのは傑作だったけれど、昨年のドクター・ジョンのアルバムその名も「ニューオリンズ」も素晴らしい。一曲ごとの歌もので、ジャズ系ではダーティダズンブラスバンドやニコラス・ぺイトンが参加したほか、ミーターズ、ワイルドマグノリアス、ネビル・ブラザースなど南部の関係者が大勢助っ人で参加している。古くて新しくて過去と未来が自然に同居し、畏怖と尊敬と創造的な感性が通底する心地よい世界。南部から発信されるためのきいたファンクっちゅうのは本当にかっこいい。 同誌はYMOのライブツアーものがCDボックス化されたことで小特集を組んでいたが、当時キリンセッション(といったっけ? 横文字表記だった気がするが思い出せない)というのもあってYMOメンバーのほか海外ツアーにも同行した渡辺香津美など当初はテクノというよりフュージョンの色彩が強かった。当時テレビでもツアーを放映していたが、その後のYMOの方向性を考えれば、一時橋本一子さんなども演奏していたけれど、渡辺などフュージョンの流れとはいくところが違うのだなあ。実際ツアーアルバムは渡辺ソロがカットされ、坂本龍一のソロがかぶせられている。ま、個人的にはどっちも好きで高橋幸宏のライブやYMOの散開ツアーなどにも行っちゃってたんだけれど。YMOはポップな前期より後期の「BGM」と「いわゆるテクノデリック」がお気に入りだった。再結成のテクノドンは全然いいと思えなかったが、YMOって今また聴かれているのか。ならば、ヒカシューとかマライアとかサンディ&サンセッツとかチャクラとか立花ハジメとかムーンライダーズとか。

3月16日 鈴木英夫監督の「魔子恐るべし」、思いの他の面白さ。信州の山奥から絵描きの福田さんに会いたい一心で上京したおねえちゃんのエピソード集という一編。信州弁でなんでも「ほい」と返事をする田舎者なのだけれど、あまりに肉感的な体つきをしているものだから、新宿行きの列車から悪い男がどんどん群がってくる。うぶなようで危機一髪にはめっぽう強く、まったくもって魔子恐るべし。だが肝心の福田さんにはなかなか会えず(何せ周囲の男たちは福田さんなら俺が知ってるよと言い寄ってくるのだ)、「ふくだー!」という歓声が聞こえると飛び込んだ先がプロレス会場、遠目に見ても福田選手は劣勢で、プロレスを知らない魔子は「なぜみんな福田さんを助けにいかないの?」と憤然としながら、なんと大観衆の中リングにあがってしまう。このシーンなど爆笑ものだったなあ。鈴木英夫作品、観るもの観るもの本当に面白い。吉田喜重監督が成瀬巳喜男生誕100年で、成瀬作品についての言われ方はこれまで言われてきたことを踏襲するものでしかなく、若い人たちが今の視点で新たに発見していくべきだと語っている(生誕100年企画、DVD発売も含めて色々あるようだが、今のところ59作品を一挙放映する日本映画専門チャンネルが一番えらいぞ)。同時代的な評価というものがいかに映画への畏れを欠いたものであるか、あまりに恥ずかしいキネ旬ベスト10の例をあげるまでないことだろうけれど、成瀬を今の目で発見していく必要はあるし、鈴木英夫作品もまた同様なのだということを今日も痛感したのだった。「魔子恐るべし」、90分間、そわそわしながら観てしまったぞ。

3月13日 週刊朝日で成瀬生誕100年企画ということで司葉子と草笛光子が対談している。地獄耳など既出の話が多いけれど、高峰秀子が撮影前に毎日干物を買ってきて結髪さんの部屋の火鉢で焼いていたという話、想像するとおかしかった。司葉子も「目刺し食べる?」と言われ、食堂からご飯だけとって食べたそうな。この結髪さんの部屋が女優にとってはアドバイスをもらったり、泣いたりできるたまり場だったのだな。午前中は顔がむくんでいるから絶対に女優のアップは撮らない、女性を知り尽くした監督だったと司は語っている。そういえば、たまたま同誌で中条省平氏がイーストウッドの新作「ミリオンダラー・ベイビー」の紹介をしていて、心躍る内容のようで突如罪と罰を問うような恐ろしい物語に変貌すると語っている。またしても「ミスティック・リバー」並にこわいのか。中条さん、背筋を貫く感動だと。イーストウッドの屈折ぶり、いいもんなあ。ますます早く観たい。おすぎには薦めてほしくない。

3月11日 ジャッキー・チェンの最新作「香港国際警察」楽しめました。最後のあれはちょっと恥ずかしいのだが…。そういえば今月号の文學界、また蓮實さんのフォード論が掲載されているかなあと楽しみにしていたら、載っていなかった。どうやら年内に「フォード論」として単行本化するらしい。それどころか年内には「ゴダール論」と「フィクション論」も刊行し、来年には「ボバリー夫人論」まで予定しているのだとか。

3月10日 病院周りをしていると「事例」としてがん末期の方のお話など普通の会話の中で登場するのだが、それは職業的なこともあるだろうけれど絶対的に自分に関わる話ではないからこそ言える話なのだと思う。しかし、先日もがん化学療法の在宅患者の日記を仕事上見せてもらったが、相手は35歳のまだ若い女性で、余命はあと半年ということが告知されている。外来で化学療法で受ける以外自宅療養のため、その間の情報を把握したいからと書いてもらっているのだが、体調の悪い日もあるだろうにびっしりと几帳面な小さな文字で書き込まれていて、そんな肉筆が目の前のあるととても冷静に話を聞くどころではなかった、というかどんな風にその文字を眺めればいいのかわからなかった。ふだんは自分がいつか死んでしまうことなど考えもせずに生きているものだから、動揺したのだろうか。慢性閉塞性肺疾患の話などいやというほど好んで聞きにいきながら、罹患の可能性が高いにも関わらず煙草もやめようとしない。 以前入院した病院で好きなものばかり食い過ぎてこんなことになったと、眉を八の字にしながら毎日後悔するおっちゃんがいて、指先が不自由なのですみません、ボタン止めてくださいと両手を差し出すのだけれど、以前ほど余裕もってボタン、止められないかもしれない。そういえばこのおっちゃん、夜のいびきが特大級にものすごかった。部屋に戻るとカーテンをぴっと閉めて誰ともコミュニケーションをとろうとしない杖つきのびっこのおっさんが入院してきたのだけど、「お前、いい加減寝ろ!」とベッドのパイプを杖で殴られていた。 「ちくしょう」しか言えなくなっちゃったおじいちゃんが隣のベッドにいて、看護師に話しかけられてちくしょう、奥さんに話しかけられてちくしょう、あれは相当苛立っていたと思うが、何故か医者にはちくしょうと言わず、他人にはユーモラスに見えたのが少し悲しい。ちょっと妙な症状が出るとやたらと不安になって先生僕も喘息じゃないですかなどと医者が通るたびに話しかけながらさほど相手にもされず、娘が心配そうに来るとうるさい、まかせとけいと邪魔そうに威厳を保つくせに、1週間後には便づまりであっけなく死んでしまうじいさんもいた。人間の最期など悲しいのかおかしいのかよくわかりゃしない。あれは病院も最低だったけれど。だって、あんた今度入院するときはここには来るんじゃないよと耳元で囁く看護師のいる病院なのだから。

 普段何を考えて生活していようと、一歩重症者の多い病院に入るとあっという間に死んでいく人ばかりがいる世界が目の前に広がる。お見舞い時間が終了すると、看護師もせいぜい2人から3人の夜勤者だけになり、突然病棟が静まりかえる。あの時間の寂しいこと。今生きている人だけを対象にコマーシャルしているテレビなどあまり観る気にもなれない。4人部屋でもカーテンを閉め切るので嫌でも自分自身と自分の病気に向き合わざるを得ない。便づまりで死んだじいさんが苦しみ出したのもそんな時間帯だった。一々患者に感情移入などしていたら、とても医療者として仕事を継続していけないだろうが、あまり「もの」みたいな言い方をされると違和感を覚える。3月6日 函館出張時、久々に○○ハウス。ジャスラック問題について話していると、その矢先からジャスラックらしきところから電話が。なんせシングルモルトの充実するお店で、マスターにあれこれ教えてもらいながらかなり飲ませていただく。個人的にはジョン・フォードのお母さんの島、アラン島のアランがめちゃくちゃうまかった。ヨード香の強いアイラ・モルト、ローランド・カーク風のシングルモルトなど、その奥深さを垣間見る。なんせ飲む酒飲む酒全部うまいのだ。空きっ腹で飲んだのが堪えたのか、途中で突然酒が回り、ろれつが回らなくなり、マスターに大丈夫ですかタクシー呼びますかと言われながらも大丈夫ですと外に出たものの、タクシーがいっこうにつかまらず、何とか立ち寄ったコンビニで買った焼きそばパンが朝起きると体の下でぺちゃんこになっていた。翌日は幸い午前中取材が入っていなく、時間つぶしに映画館へ。時間的に合うのが「着信アリ2」しかなく、面白くないんだろうなと思ってみると想像以上につまらなく、何より俳優(とくに女優)のへたなことに辟易し(何せ日本語の発音がおかしい)、これじゃ森一生の言う「喫茶ガール」どころじゃすまねえぞ、おいと監督の名前をうらみがましく見ながら、近くの玉光堂で何のはらいせかわからないが「JAWS」のサントラを購入。サントラなのにこっちのほうが遙かに映画的だったぞ、こら。 ところで1月から観続けた我が家の成瀬作品は先月中ですべて鑑賞。「妻」「夫婦」「あにいもうと」「あらくれ」「晩菊」「舞姫」「鰯雲」「三十三間堂通し矢物語」「春のめざめ」「女人哀愁」「母は死なず」「君と行く路」「流れる」など。成瀬作品を観ていると高峰秀子、原節子、杉村春子、山田五十鈴、田中絹代、司葉子など主演級の女優が素晴らしいのはもちろんだが、脇役の女優陣の素晴らしいことにも驚かされる。「妻として女として」の高峰さんとその母親役の飯田蝶子さんのやりとりなども良かったし、何と言ってもわけありの女性ばかり演じる中北千枝子さんがいい。それと「妻」の丹阿弥谷津子! これはよかったです。その他主演級も含め「夫婦」の杉葉子、「おあかあさん」「杏っ子」の香川京子、「舞姫」の高峰三枝子、「妻よ薔薇のように」「噂の娘」の千葉早智子、「石中先生行状記」の若山セツ子、「春のめざめ」の久我美子など日本の代表的女優さんの名前がぞろぞろ出てきてしまう。もちろん「妻の心」の三船敏郎の素晴らしい使い方をはじめ、男優陣もすごいことになってしまっているわけだが、「着信アリ2」の貧困な女優(と呼べるかどうかわからないけれど)を観てしまった後ではますますその落差に呆然とせざるを得なく、女優発見の旅に出るように成瀬映画を観ることは今とてつもなく必要なことなのではないかと思っちゃうのだ。

2月27日 ジャスラック問題で札幌でも署名活動が行われ、多くの署名を頂いた(ご協力いただいたみなさん、どうもありがとうございました)。新潟のSWANではその誓願提出方法について民主党エンタメ議員の川内氏に相談したところ、3月1日に東京の議員会館、ジャスラック、文化庁をまわり、会見を行うことになったと連絡があった。急な話で残念ながら同行できないのだけれど、ママさんは大元と話すチャンスかもしれないと言っている。動向が非常に気になる。

2月21日 うちのが重症のインフルエンザB型にかかり、やべえなあと思っている数日後にうつされてしまう。会社の部署の飲み会直後のことで最初は二日酔いかと思っていたのだが。熱でうかされ、ぼんやりしつつ無意識にムルナウの「サンライズ」を再見。1927年の作品だが、やはりすごい作品だ。田舎の若い青年が都会から来た女性に、妻を殺して一緒に都会に行こうとそそのかされ、沼地のボートで妻を突き落とし溺死させようとするが、あまりの自分の愚かな行動に気付き、愛を取り戻すまでの物語。この時代の作品とは思えないほどキャメラワークが新鮮で、都会の女性と密会するシーンでは、キャメラが青年を移動でとらえつつ、主観的な視点に切り替わり、草むらを抜けるとぼんやりとした月夜の沼地に毒婦が浮かび上がる。しかも妻を溺死させろという字幕の文字が真ん中から水中に沈むように消えてしまうのだ。このあたり、完璧にホラー映画の先駆的なタッチで、キャメラのレンズに草がふれながら正面に移動していくところは怪物の主観的視点として後の恐怖映画もので何度も観られるようになるだろう。そういえばこのとき、毒婦が都会でダンスを踊りたいと言って、突然狂ったように体を痙攣させるのだけど、何かが憑依したようでこれもホラー映画のように恐かった。殺されそうになった妻が沼地からひた走り、突然電車が登場するシーンのあまりに映画的なイメージも素晴らしい。そして、そこから一気に電車の車窓に登場する都会のイメージ。これらを演出するムルナウその人の狂乱の才能に驚かされる。映画は27年にここまで達成していたのだ。ところで今日はくうの山本さんのピンチヒッターで三角山放送のDJ。いやあ、今日はとちりまくり。ろれつがうまくまわらず、滑舌も悪く、反省点が多すぎた。プロじゃないのだからうまく話せるわけもないのだけど、人前でスムーズに話すのって非常に難しいわ。

2月16日 その後の成瀬マラソン鑑賞は「乙女ごころ三人姉妹」「愉しき哉人生」「芝居道」。「芝居道」はこれも長谷川一夫と山田五十鈴さんのコンビもので、それに古川ロッパが絡む芸道もの。役者役の長谷川さん、楽屋で扱いの不当さをごねるのだが、子供のようにすねた感じが天下一品。「鶴八鶴次郎」を思わせる。受ける五十鈴さんがやはり素晴らしい。それにしても成瀬、観る作品観る作品、全部面白いというのはすごい。最近の大収穫は西河克己のデビュー作、「伊豆の艶歌師」。フィルムは1000フィート、撮影日数は2週間以内と制作枠をぎりぎりに切りつめ、新たな2本立て興業を打ち出すという松竹シスターシネマの第一作でもあった。城戸所長がフィルムのあがってきた時点で早速チェックを加え、1カットの長さにまでいちゃもんをつけたという。お前は小津、黒澤並に1カット尺が長い、生意気だと言われましたと、温厚そうなおっちゃん顔になった西河さんが振り返る。伊豆ロケといっても、温泉街やら防波堤やら路地裏やら、撮影場所の一々が素晴らしく、そんな場所で咳き込んで溢れた血が艶歌師のギターにはらりと落ちる瞬間に感動してしまう。木下恵介がやるはずの企画だったというが、西河さんで断然よかったのではないか。劇場では「パッチギ!」がよかった。葬式シーンから俄然上り調子で「イムジン河」の歌と共に一気にラストへ収束する流れは予想外の感動をもたらす。井筒おそるべし。光石研さん、今回も素晴らしい助演をみせくれる。 パット・メセニーの新譜「THE  WAY  UP」いいですねえ。冒頭の構成、またしてもスティーブ・ライヒでうれしい。ところでジョン・ゾーンは札幌ではやらないものだろうか。CDを聞くよりもこの人は完全にライブの人、最近の演奏を聴きたいものだ。2月11日 成瀬巳喜男マラソン鑑賞、昨日は「稲妻」「雪崩」「はたらく一家」。実はその間にもう一本、「高校大パニック」。我ながらこの日はよく観る。「雪崩」の霧立のぼるさん、そこに座れと言われればいつまでも座り続け、例え騙されてもそれと気付かず、気付いたとしても自分のせいにするような健気な女性ぶりが可愛い。そんな彼女もご主人には愛されず、義父が優しく見守る。義父を演じるのは「噂の娘」のおじいちゃん、汐見洋。義父と娘の関係は「山の音」の山村聡と原節子の関係でリフレインし、さらに濃厚に、はっとするような演出が施されることになる。それにしてもフィルムアート社の成瀬本の解説、本当にひどすぎ。まったくあてにならないともう一度繰り返しておこう。

2月9日 締切中ではあるが成瀬巳喜男、あまりにも面白く、一昨日は「娘・妻・母」。昨日は「女の中にいる他人」「妻として女として」。本日は「女の座」「女の歴史」。先週は「乱れる」「ひき逃げ」「女が階段を上る時」「杏っ子」「妻の心」「浮雲」「山の音」「おかあさん」「桃中軒雲右衛門」「噂の娘」「妻よ薔薇のように」「女優と詩人」。成瀬マラソン鑑賞の日々。睡眠時間削ってでも観るぞ。そう言えば今世田谷文学館で成瀬特集をやっているが、「乱れ雲」、褪色のひどいフィルムで顰蹙をかっていたとか。しかし、司葉子さんと石田勝心氏の対談もあり、司さん、高峰秀子さんの口まねをしてえらくうけていたとか。「文學界」最新号購入。蓮實さんのフォード論の続きを読む。21日はくうの山本さんのピンチヒッターで久々に三角山放送の週刊ジャズ日和のDJを担当することになってしまった。

2月7日 今年は成瀬巳喜男の生誕100年にあたる年、我が家で撮りためたビデオをざっと数えると50本を越え、未見すでに観たもの含めて観まくる日々。昨日は戦前作品4本、うち一本は35年の「女優と詩人」で童謡作家と女優の家庭が舞台。主人公が童謡作家ということで劇中音楽もすべて童謡をアレンジしたもので、妙に間の抜けたようなテンポがすでにおかしい。千葉早智子(成瀬の最初の奥さん)演じる女優は童謡作家の主人を「ゲップー、ゲップー」と呼び捨てにする。それは月風というペンネームからくるものだが、このゲップー、今でいう専業主夫の先駈けで炊事洗濯掃除の家事をまめにこなす優しいご主人でもある。後半、このご主人を相手に芝居の稽古をするのだが、夫婦喧嘩の設定で貧乏作家の藤原釜足が本物の喧嘩だと思い、止めに入る。その後、この夫婦喧嘩とまったく同じ設定で本物の喧嘩が始まることになり…という騒動が笑わせてくれた。それにしてもフィルムアート社から出ている映畫読本シリーズの解説はまったくあてにならないので、評価は参考にしないほうがいいと思う。スカパーでは先日長年観たい観たいと思っていたジョセフ・H・リュイスの「拳銃魔」を放映してくれてうれしかった。原題は「GUN   CRAZY」。幼い頃から銃を撃つことが得意な少年、やがて大人になるとある女にそそのかされ、アベック強盗で追われる身に堕ちてゆく。「俺たちに明日はない」で知られる実話を脚色したもの。低予算映画ながらアーサー・ペンものなど話にならぬほどの出来映え。

1月24日 昨日はライターの集まりがあって、道新記者が来月から朝日新聞の金沢支局に転職するというので送別会。財界さっぽろの記者さんもいたりして、妙な取り合わせが面白かった。続いて、トゥッティの和田さんが東京に行ってしまうというのでくうへ。ミュージシャン、お店関係者、ものすごい人でしたなあ。それ以外は週末から週明けにかけてどっぷり映画漬け。成瀬さん、やっぱりすごいです。30~50年代はもちろん、遺作の「乱れ雲」も素晴らしかった。司葉子さんの旦那を不可抗力の自動車事故で殺してしまった加山雄三。いろんなことがあったあげくにこの二人が心惹かれる関係になっていくのだけど、いざ二人が旅館に部屋をとり、結ばれようとするとき、旅館の側で自動車事故が起き、やはり愛し合うことはできないと司が決心する。この間、ほとんどセリフなしで説明していく成瀬の演出力は並のものじゃないし、サイレント映画の経験がいかに映画監督にとって大切であったかを成瀬さんもみせつけてくれる。鈴木英夫の「チエミの婦人靴(ハイヒール)」も思わぬ拾いもの。江利チエミそっくりの田舎娘と靴屋の職人さんの文通物語。チエミが自分のことを太っていて、あまりもてそうにないことを自覚しているのが可愛らしい。靴職人が苦労したあげくハイヒールを作り、プレゼントするが、それをはいて意気揚々と歩いているときに、靴のせいか、体格のせいか、転倒し足を骨折してしまう。それを「こんな米俵みたいな体でハイヒールなど高望みする私が悪かった」と心境を語るところ、けっこう笑ってしまった。そんな自分を戒めるためにも、ハイヒールを天井から吊し、いつも目に届くようにしたのだという。「無法松の一生」、阪妻より三船さん、遙かに素晴らしい。次回くうは、誰も「やらない生誕100年祭」ということで、1905年生まれの監督特集。成瀬さん、稲垣浩、中川信夫などやろうかなということで。

1月19日 片側半分が英語、半分が日本語という体裁で、札幌在住の外国人にも情報提供しようというフリーペーパーがあるらしいのだが、そこで外国人向けに文章を書いたり、翻訳を行っている方と最近知り合った。彼は医師でもあって情報提供した内容というのは主に病気に関することらしい。前回はクラミジア感染症について。というのも、こちら在住の方には積極的に性交渉をもたれている方も多く、性病がなかなかに蔓延しているらしい。なるほど、性感染症の罹患率に関しては北海道はもともと全国ナンバー1の土地柄であるから、ますますたいへんなことになっちゃってるらしい。エイズやHIV治療は全国のエイズ拠点病院が受け入れ施設になっており、人口密度の高さと匿名性のあることから関東のセンターに患者が集中しているが、性感染症の高さから想定すると札幌と釧路はかなり恐い土地であることが伺える。 昨日はフォードの非公開試写版バージョンを含む「荒野の決闘」DVDを鑑賞(劇場公開版はダリル・F・ザナックが編集)。ものすごく久しぶりに観たのだけど、フォード作品の中ではテンションの低さを感じてしまった。もちろん、フォード映画の水準の高さは十分に堪能したうえでのことだけれど。

1月13日 発売中の「文學界」に掲載されている蓮實さんのジョン・フォード論文、多くの示唆に富み、映画を観るうえでの動体視力の必要性をあらためて思い知らされ、まだまだ自分など何も観てはいないのだと深く反省させられつつも、ますます映画が観たくなってしまう面白さだ。蓮實さんの文章に続き、小津安二郎の文章が掲載されているのは憎い編集だと思っているところに、同誌に青山真治のメーキング日誌を執筆した阿部和重が芥川賞を受賞したとのニュースが飛び込み、賞などどうでもいいことではあるけれど、映画を語れる作家が日本にはほとんどいないので喜ばしいことだと思った。

1月6日 とうとうデジタル一眼レフカメラを購入。ペンタックスistD。今年は写真の上達を目標のひとつにしているので、これからがちゃがちゃと。締切の週のわりには今週映画数本。「アモーレスペロス」「煙突の見える場所」「19」「『粘土のお面』より かあちゃん」「教室の子供たち」など。「アモーレス」はタランティーノ以降の映画。日本映画専門チャンネルの原節子特集はどんなもんかなあ。ジェリ・アレンの昨年の新譜もなかなかいい。

2005年1月3日 年が明けた。初日は「カンフーハッスル」。途中までどこに感情移入していいか分からない作りが困ったけれど、香港アクションのアイデアの豊富さには恐れ入る。老人というか、中年たちが活躍する展開にチャウ・シンチーの畏敬の念があふれ、ブルース・リャンの破格の扱いに感動(とはいってもそのスタイルはカッコ悪いハゲ親父)。琴から繰り出される音が刃となって襲うアクションも面白かった。音楽では正月からビッグ・セイタン(ティム・バーン、マルク・デュクレ、トム・レイニー)のピリピリのスピード感に刺激を受けた。あと、映画秘宝企画CDの「アッパーデジロック」所収の「ゴースト・オブ・マーズ」テーマ曲。ジョン・カーペンター、曲を作ってもめちゃめちゃかっこいい。再見を含め昨年印象に残った主な映画(順不同です)。「Dolles」(北野武)、「座頭市」(同)、「青春の夢いまいづこ」(小津安二郎)、「朗らかに歩め」(同)、「六三制愚連隊」(西河克巳)、「竜巻小僧」(同)、「唐獅子警察」(中島貞夫)、「脱獄・広島殺人囚」(同)、「日本の仁義」(同)、「大阪電撃作戦」(同)、「木枯らし紋次郎 関わりござんせん」(同)、「子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる」(三隅研次)、「とむらい師たち」(同)、「酔いどれ博士」(同)、「黒の超特急」(増村保造)、「爛 ただれ」(同)、「ぼくんち」(阪本順治)、「悶絶!!どんでん返し」(神代辰巳)、「黒薔薇昇天」(同)、「新座頭市 破れ唐人剣!」(安田公義)、「悪の階段」(鈴木英夫)、「憎いあンちくしょう」(蔵原惟繕)、「ある機関助士」(土本典昭)、「ドキュメント路上」(同)、「暁の合唱」(清水宏)、「東京の英雄」(同)、「恋も忘れて」(同)、「大学の若旦那」(同)、「次郎長遊侠傳 秋葉の火祭り」(マキノ雅弘)、「次郎長遊侠傳 天木鴉」(同)、「港祭りに来た男」(同)、「人妻集団暴行致死事件」(田中登)、「資金源強奪」(深作欣二)、「ミスティック・リバー」(クリント・イーストウッド)、「ドーン・オブ・ザ・デッド」(ザック・スナイダー)、「キル・ビルvol.2」(クエンティン・タランティーノ)、「スパイダーマン2」(サム・ライミ)、「マッハ!」(プラッチャヤー・ピンゲーオ)、「ソウ」(ジェームズ・ワン)、「ターミナル」(スティーブン・スピルバーグ)、「キス・オブ・ザ・ドラゴン」(クリス・ナオン)、「華氏451」(フランソワ・トリュフォー)、「オープン・ユア・アイズ」(アレハンドロ・アナメバール)、「アザーズ」(同)、「ミッション・トゥ・マーズ」(ブライアン・デ・パルマ)、「K-19」(キャスリーン・ビグロー)、「ポストマン」(ケビン・コスナー)、「英雄」(チャン・イーモウ)、「過去のない男」(アキ・カウリスマキ)、「ヒッチハイカー」(アイダ・ルピノ)、「胸に輝く星」(アンソニー・マン)、「西部の王者」(ウィリアム・A・ウェルマン)、「マン・ハント」(フリッツ・ラング)、「戦火の傷跡」(サミュエル・フラー)、「馬上の二人」(ジョン・フォード)、「ハリウッド的殺人事件」(ロン・シェルトン)、「タイ・カップ」(同)、「エネミー・オブ・アメリカ」(トニー・スコット)、「マイ・ボディガード」(同)、「シティ・オブ・ゴッド」(フェルナンド・メイレレス)、「リベリオン」(カート・ウィマー)、「召使」(ジョセフ・ロージー)、「PNDCエル・パトレイロ」(アレックス・コックス)、「ストレート・トゥ・ヘル」(同)、「気まぐれ天使」(ヘンリー・コスター)、「エニイ・ギブン・サンデー」(オリバー・ストーン)他

 

2004年12月24日 医師への取材はずいぶんと行ってきたが、取材中に担当患者さんが亡くなったのは初めてだった。ポケベルが鳴ってすぐに中断。とはいえ急性期病床ではなく、ホスピスでの取材なので死の準備はできており、大きく慌てる様子はない。「突然死ではなく、がんは死の準備を与えてくれるもの」といったことを語っていたのは誰だったか。先日は肺がん手術を多数行っている医療機関で、女性患者がバイオリン・コンサートを開くからと見に行った。その方はまだ30代、子どもも小さく、自分の病名を知り、まる半年間泣いて暮らしたという。半年経って、自分にはまだバイオリンを弾く時間が残されている、と思ったことが立ち直るきっかけとなったそうだ。それは死を受容することでもあるのだろうけれど、バイオリン、ところどころつかえ、決してうまい演奏ではないのだが、胸をうった。音がすごいというか、力がある。これは何だろうと思う。自分の存在をかけて放つ音の力には耳を傾けざるを得ない。 治療を積極的に行う化学療法をはじめとする、がん治療。終末期を過ごすホスピス。ホスピスは積極的な治療が介入しないところだが、治療を放棄するわけではなく、経過がよくなれば転院も在宅復帰も可能。だから、終末期という言い方は妥当でないかもしれない。先入観をもたれないために中間的なものと考えたほうがいいかもしれない。実態として、そこに入れる患者は対象の1割程度ということになるから、医療機関の在院日数短縮化の顕著な傾向をみても、在宅でいかに看取るかが日本のこれからの医療の方向性になるのだけれど。 それにしても化学療法というのは実態を知るほど恐ろしくなってくる。化学療法剤の種類によって、薬剤自体が発がん性であるから患者はもちろん施行者にとっても非常に危険で管理が重要だ。先日米国の専門家の技術的な講演を聞いたところ、相当厳重な管理のもとに投与しており、漏えい事故が起きた際の写真も紹介していたが、漏えいした周囲の皮膚はほとんどが壊死状態。漏えい時の対応処置のマニュアルはもちろん、薬剤が床にこぼれたとき、廃棄するときのマニュアルもしっかりと完備されている。薬剤投与量は体の大きさから算出することになっていて、そのだんどりも細かく決め事がある。しかし、こちらのある医療者にきくと、未だ薬剤を素手で扱っている状態だったり、算出方法もどうしたらこんな計算になるのか、まったく理解できないケースがあると危惧していた。今、様々取り沙汰される医療事故件数の増加ぶりをみても、患者・家族は自分で自分の身を守ることを考えなければならない時代に入っている。飲み薬くらいは自分で確認できるくらいでなければ。 自分はいつも「死」のことばかり考えているような人間のつもりだったが、意識不明の状態に陥ったことがあって、それは短時間だったけれど、正気に戻った深夜の病棟で、なんて恐ろしい体験だったのかとぽろぽろと泣けてきたことがあった。今一人ぼっちであることが恐ろしく、誰でもいいから手を握ってほしいと心底思った。「死の受容」など、生身の人間が容易にできるわけがない。バイオリンのお母さんには半年必要だったということか。日本にはデスカウンセリング協会というものがあって、今そこの代表者の方に連載記事を書いていただいている。その方も、人間はいつか死ぬことを知っているはずなのに、感情として受け入れることが難しいという。しかし、何故「死にたくないか」とダイレクトに本人に尋ねると、「○○をしていない」「○○へ行けない」「○○を食べていない」とネガティブな答えばかりが返ってくる。反対にすでに死を受容した患者に聞くと、○○をした、やったなどとポジティブな答えが返ってきた。つまり自分の人生のあるある探しをすることが、死の受容につながっていくことに気付いたと代表者は語るのだが、まだまだ自分はとてもそんな心境になれそうにない。とはいえ、人生最大の関心事はやはり「死」に収斂されていくのかな。

12月22日 「マイ・ボディガード」、傑作じゃないですか! やってくれるじゃないですか、人質交換! 万が一、映画を撮るチャンスなどあったりするのならば、一度はやってみたい人質交換だ。人質交換の映画史なんてのも絶対考えられるよなあ。トニー・スコット、かなりいい感じでやっている。間に橋があるのが実によかった。あの距離が何ともいえないのだ。兄貴はいいとは思えないけれど、弟はいいなあ。クリストファー・ウォーケンとジャンカルロ・ジャンニーニの使い方もうれしかった。デンゼルの殺しの仕掛けもユニークだし、メキシコが舞台なのも素晴らしい。脚本のブライアン・ヘルゲランドという人は今年「ミスティックリバー」もあって、いい脚本書いてますねえ。今日は映画館で大満足だ。「ターミナル」はなんでこれをスピルバーグが?ってやはり変な映画。最も残念だと思うのは喜劇になり損ねている点。これ、主役がトム・ハンクスであるし、ゲラゲラものの喜劇でいってほしかった。スピルバーグ、「1941」といい、喜劇は鬼門なのだろうか。でもまあ、これは嫌いではない、いや好きだな、やはり。クライマックスがさらさらいっちゃうのは、妙な気がするが。まさかジャズの話だとは思わなかったので驚き。ジャズファンはびっくりするような大物が登場する。それにしても今か今かと公開を心待ちにしているのは「カンフーハッスル」だ。「インビテーション」誌上での野崎歓さんのやや熱気をおびた文章を読むとますます観たくなった。そうなのだ、ブルース・リーはカンフー(というかジークンドー)がフレッド・アステアに近いことを教えてくれた人でもあったのだ。 

12月16日 こうして日記を書いたりしていると、いつも思うのは、例えば映画について文章にしてしまうことがどれだけそれを言い得たことになるのだろうという疑問だ。映画について、筋を説明する「あらすじ」なんてものをよく見かけるが、筋をどこまで細部にわたって説明しようと、もうそれは映画ではない。もっと極端に簡単にいうと脚本は映画ではない。映画を文字で語ろうとするのなら、また別の装置が必要になるだろう。ゴダールの古いインタビューを読んでいたら、さすがにいいことを言っていて、「今日の映画は、いかにも映像優先のふりはしているが、いつも言葉が先だ。脚本の支配力の方が強いのだ。映像で考えることを再び学ばなければだめだ」などと語っている。なぜこんな話になったかというと、このインタビュアーがよせばいいのにゴダールの回答に対して、「要するに○○ということですね」などとまぜっかえすものだから、今言った言い方で十分だろう、なぜ要するになんて言わなきゃならんのだ。まるで「君を愛している」と言ったときに、相手に「要するに、あなたは私を愛しているのね」なんて言われているみたいじゃないか。君なんか、今日の映画を見なくて、映画を読むほうだろう、などと激しく逆襲されてしまう。さっきのセリフはこの後に続く言葉なのだ。 森崎東さんが黒澤明のリメイクが嫌だったという映画芸術での対談でも、語っていたのは「七人の侍」のラストのセリフ。有名な(のかな?)「勝ったのはわしらではない。あの百姓たちだ」。やっぱりあれも、言わせてどうするんだという野暮ったさを感じるわけで、だからサイレントで映画をばんばん撮ってきた巨匠たちの映像表現力が突出し、というか、それが映画のアベレージというものだったのに、そこに学ばない姿勢が映画を言語的にしてしまう。黒澤と山中の同年代にも関わらず決定的な違いはサイレントの経験の有無にあるといえるだろう(言い方が、もろハスミさんだな)。映画的に聡明であるということは、そのようなことにいかに自覚的、意識的であるか、ということになると思うのだが。無自覚な映画が当たり前になると、それがスタンダードになり、それを映画と呼ぶわけで、観客もそこに落ち着いてしまうのではないか。言語的メディアといえば、テレビは圧倒的に言語的なメディアで、確かにテレビの台頭と共に映画は衰退するわけで、そういえば、最近の若い人は回想シーンというものが理解できないという話を聞いたことがあるが、これもテレビ台頭以降の、映画史の獲得してきた表現方法がわからなくなってきたことの証なのだろうか。 なんじゃこれと思うのはもう日常茶飯事といってよく、最近見た例では「半落ち」。はじめのほうのシーンで、柴田恭平の乗っているパトカーを空撮だったかで撮っていて、急用ができたものだから「おい、Uターンしろ」みたいなことをセリフと映像の両方で示す。車がUターンしているのを見せてるのだから、別にセリフはいらないと思うのだが、まあでもこんなことはよくあるかも。俺はあの映画を映像で考えていったとき、どこがいいのかまるでわからない。原作のほうがもっといろんなこと濃密に描かれていたよ、なんて批判は映画とは別の話だ。 ところで「血と骨」。たけし、すごいですよお、ほんとに。しかし、崔さんの映画、どうもいつも釈然としないのだなあ。「インビテーション」という雑誌で宮台真司と宮崎哲弥という最も映画を語ってほしくない人たちに対談をさせているのだが(作家などに映画を語らせるという昔からよくあるつまんないパターン)、ひとつ良いことを言っていた。それは「血と骨」が日活ロマンポルノみたいだって話なのだが、これ神代辰巳が撮ったらどうだったのだろう、と激しく妄想が膨らんだ。個人的に「血と骨」で最も印象的だったのは、たけしから金を借り、追い込まれたあげく、自殺する男のシーン。自分の体に重しをつけて橋から飛び降りるのだけど、重しがついてる分、想像以上に早くストーンと落ちていく。でも表情の残像だけは残っているような。あれは好き。 しかし、それにしても音楽はすごいと思う。音楽こそ、どうやって言語化するのか、これはいつも思うのだ。できるわけないのだから。ホッピーがまわってきて、もう誰がいったか思い出せないが、「音楽は目がいらない」。これはすごいと思う。黒沢清氏も著書の中で、音楽について、「最後の手段の…」とか、そんな表現で音楽のことを語ったように記憶しているが、もうやめ。ホッピー飲みながら音楽を聴こうかな、今宵は。

12月12日 新潟で飲んだアイルランドビール、キルケニーの味が忘れられず、家の者がネットで検索して知った札幌のアイリッシュパブに行って来た。場所は市立病院の近くなので、交通の便がめちゃくちゃ(というほどでもないが)悪い。お店の雰囲気、確かにアイリッシュとうたっていてるだけあってそれ風。といっても新潟のあの素晴らしいお店しか知らないのだが、基本的に木造り、腰かけ程度の椅子、テーブルと壁面のベンチ。新しい店なもんで、ソファーになっているのだが、あれは固い木でも十分だと思う。ダーツ、テレビでは無音でサッカー戦の放映、延々とアイルランド音楽がかかる(これは何がかかっていても、みんないい)。中央にカウンターがあって客はそこに一回ずつ金を払って、ビールを持ち帰ってくる形式だ。で、キルケニーだが、、、、、、はー、めちゃめちゃおいしい! とくに泡の部分。まるでクリームがのっかっているような柔らかさで、ビールのソフトな飲み心地をますます引き立てる。多少ぬるくてもうまそうなのもすごい。もちろんそこにはギネスもおいていて、あれも大好きなビールだが、新鮮な分、感動が大きい。でも値段が高いのだよなあ。1パイント900円。7時までに入店すれば200円引きだから得なのだが、当に7時は回っている。900円ってことは10杯飲むと9000円でしょ。うちの場合×2でいくので、1万8000円。それはいくらなんでもということで、あとは札幌クラシック400円でいく。で、最後にギネスと。札幌では中央区の某店でもキルケニーを扱っているが、1000円以上するらしい。だから、新潟のアイルランド人のおっちゃんのやっているパブの一杯500円はいかにも格安なのだ。それにしてもキルケニーは900円出しても、たまに飲みたいよなあ。ホッピーちゃんも相変わらず大好きだけど、キルケニー君もいいよなあ。そこの支店、南3条界隈にもあるのだけど。店名は覚えとらん。 アイリッシュパブ話はまだ続き、行った日は何やら東京から来て、間もなく電車だか飛行機だかに乗って北海道を離れるらしいおじさんが一人。どこに座っていいかわからないので、カウンターのねえちゃんに尋ねると、けっこうつっけんどんな感じで印象が悪い。東京のおじさんは札幌にもこんなアイリッシュパブがあるんですねえ!と大興奮しているようで、かなりのアイルランド好きとみた。でもって一生懸命ねえちゃんに話しかけているのだけど(いやらしさは全然なし)、ねえちゃんは普通のお店のねえちゃんで、とくにアイルランドへのこだわりはないもよう、おじさんのテンションとかみあわない。こっちはそんな風景を横目で見つつも、キルケニーが飲みたい一心だから、おかまいなしの動物状態。しばらくすると、女性客が一人、また一人と来る来る。どうやら、奥のボックス席を借りての飲み会なのだ。奥まってて見えなかったが、やつら、がんがん飲まないわりにテンション高く、時間の経過と共にうるせえのなんの。まあ、席が遠いので大して気にはしなかったが。こっちは対称的に、まあ静かにがんがん飲んでいるという感じで(と言うほどでもないかな、その日は)、不思議なことにビールをもらってきた家の者の話では、我々に対するカウンターのねえちゃんの愛想が良くなっているという。奥がうるさいからなのか、ふーんそんなこともあるかと、トイレに行ったついでにビールをもらいにいくと、ねえちゃんに微笑まれてしまった。東京のおじさんはねえちゃんに相手にされなくなったものだから、一人で大人しく飲んでいたが、トイレに行くときと帰ってきたときの両方、金貸し屋のコマーシャルに登場する犬のような目で俺を見ていた。あれ、話相手がほしかったのだろうか。あのおじさん、一見さん風なのに、いつしかボトルを入手、どうやら入れたボトルを持ち帰っていったらしい。 新潟のパブでも感じたことだが、アイリッシュパブって一人でも全然楽勝で入りやすいのがまずいい。あの日はうるさかったが、女性が一人で入ってきて違和感はないだろう。席の形状も関係あるのだろうか。バーでも居酒屋でも喫茶店でもなく、アイリッシュパブって形式が存在するのだろうか。札幌のお店は新しくて小綺麗だから入りやすいってのもあるだろうが、新潟のパブはかなり年季が入っているにも関わらず入りやすかった。もちろん本場のアイリッシュパブに行ったことはないから、本来どのような雰囲気なのかわからないのだが、あえていえば、新潟と札幌のアイリッシュパブは喫茶店のように入れて、帰るときにはしっかりと飲み屋でしたという感じ。入りやすくて、しっかりとお金を落としていくのだから、お店の形態としては最高だよなあ、などということも思いながら、飲んでいたのであった。 アイルランド話はまだ続く。まだ見ぬアイルランドのアイリッシュパブ。日本のアイリッシュパブはアイルランドの本場の香りをどの程度たたえているのだろうか。独特の雰囲気を醸し出す限り、あまりにかけ離れているということはないだろうが、ここはやはり日本だ。家の者がネットサーフィンしつつ発見した、アイルランドに留学した日本人の話では「アイルランド人は愛想がよくて、頭が悪い」印象があるのだという。これは悪く言っているのではない、愛情を込めて語っているのだ。愛想がよくて、頭が悪い…俺はそれは最高の国ではないかと思わず口走ってしまった。そして、チーフタンズを聴きながら、ヴァン・モリソンを聴きながら、どうだどうだと思うのだ。そして、いつかアイルランドに長期滞在することを夢見る者としては、ジョン・フォードの「静かなる男」の世界を思わぬわけにはいかない。ジョン・ウエインとヴィクター・マクラグレンがいよいよ喧嘩するぞと、飛び出していく人だかり。パブの飲み客からIRAから神父から今にも死にそうだったじいさんまでがむっくりと起き、殴り合いの現場に飛び出していく。誰も止めやしない、大声で賭をしながらもっとやれとけしかける。気を失いそうになれば水をかける。ただし、地方独特のルールだけは守る(何とかルールというのがありまして名称は失念)。喧嘩の休憩にパブで飲む。俺が払う、いやお前には払わせんとまた殴り合いになる。あの愛すべき人々。あれは映画の、ジョン・フォードの世界ではあるかもしれないが、アイルランドの香りをまぎれもなく、誇り高くたたえているだろう。悲しくはないがなぜかぽろぽろと泣けてしょうがないあの映画が好きでたまらない。

12月10日 映画秘宝の柳下殻一郎氏の新刊レビューのコーナーで、「映画芸術」の松田政男氏の日誌に気が滅入ったとあって激しく同感。悪酔いだの朝帰りだのポリープだの関節を柔らかくするサプリメントだの、それを一年分しめて12万5000円で販売するP店とはなに? 柳下氏はもちろん歳をとるのだって悪いことではないといいつつ、中川信夫の「東海道四谷怪談」やらブルース・リーの「ドラゴンへの道」の映画キャメラマン西本正へのインタビュー「香港への道」を紹介する。インタビュアーは山田宏一・山根貞男で文句なし。中川にマキノ正博やら石井輝男、キン・フー、レイモンド・チョウ、ブルース・リーのほか満映の甘粕正彦までがこの人を通して並んでしまう裏映画史ともいえる面白さだ。 ところでさきほどの映画芸術最新号では、映画批評の黄金時代がそこまでやってきているという視点でコラムが執筆されている。うーん、どうでございましょう。今年も面白い書籍はけっこうあったとは思ったが、黄金時代といえるのだろうか。ちなみに年末ということで今年刊行の面白かった映画本をあげると、阿部和重「映画覚書VOL.1」、「青山真治と阿部和重と中原昌也のシネコン!」、中島貞夫「遊撃の美学」、高橋洋「映画の魔」、蓮實重彦「映画への不実なる誘い 国籍・演出・歴史」、同「映画狂人最後に笑う」、「国際シンポジウム 小津安二郎」、岡田茂「波瀾万丈の映画人生」、黒沢清他「映画の授業」、「中条省平は二度死ぬ」、「香港への道 中川信夫からブルース・リーまで」あたりだろうか。

12月9日 週刊モーニング連載の「昭和の男」という漫画が最近絶好調で毎回一番最初に読むようになっていたのだが、なんと来週で最終回ということで非常に残念。物語は下町の畳職人で孫には大甘という頑固親父が主人公。孫の幼稚園の友人の祖母がバレエ教師で、彼女の存在が気になりつつも職人と元バレリーナというギャップがいつも行き違う。そのバレエ教師の息子=孫の友人の父親というのがえらいぐうたら者で、へたにルックスがいいものだから孫の母親どころか、頑固親父の奥さんまでが髪を染めだして色めきだつ始末。その男性、妙な縁で頑固職人の元で働き出すのだが、ちぐはぐなやりとりの連続で笑わせる。すべてのキャラがよく立っている印象で、話言葉やらリアクションがやたらと面白い。入江喜和という漫画家の周囲にはけっこうモデルとなっている人がいるのだろうか。ぐうたら父のはずれぶりもおかしく、頑固親父の20万円を持ったまま消え、あと1O年待つから一人前になって返せと許されるのだが、「あと10年てえと、僕は何らかの形でブレイクしてるだろうけど、お父さんの存在そのものはあやぶまれない?」などと言ってしまう。悪気のないところが憎めなく、親父に怒鳴られたあげく、今度こそ、信用してっからなの一言に涙腺を緩ませてしまう。もちろん、ウルウルする前に再び怒鳴られ、家からたたき出されるのだが。この設定とキャラで、もっと面白い展開が期待できるのだがなあ。そういえば、このぐうたら父のはずれっぷり、映画秘宝でみうらじゅんが書いていた遅刻魔の友人にちょっと似ている。タモリに「あんた、時計もってんのか!」とこっぴどく怒られたそうだが、後日、あのときはすげえ落ち込んだと言ったかと思えば、「タモリさん、きっと時計買ってくれると思うんだぁ」と顔を輝かせたという。さらに「F1レースのあれだと思うんだ」と予想までしていたとか。 漫画で言えば、福本伸行の「最強伝説 黒沢」もちょっと面白い。中条省平さんも紹介されていたが、44歳独身で女性に一度ももてたことのない、現場監督の話が全編主人公の劇的なモノローグで語られていく。ボルテージは連載当初のほうが高かったように思うが、これまでの人生の空しさにふと気付き、人望を集めようと昼休みの弁当に、こっそりとアジフライを忍ばせ、しかも誰にも気付かれないというエピソードが抜群におかしかった。

11月29日 先日のコンサートの流れで、吉祥寺・曼陀羅でのライブが思い浮かぶ。印象的だったのはやはり三上寛だが、毎月10日に開催している歌人・福島泰樹の「短歌絶叫コンサート」もすごかった。どうやら現在も継続されているようだが、この方、お坊さんでボクシングのトレーナーもされ、坊主の声で中原中也の短歌などを「二日酔い 無念なるかな僕のため もっと電車よ真面目に走れー!」てな調子で絶叫する。僕が見に行った頃は石塚俊明さんなどとよく共演されていた。リズムはタンゴっぽいものテンポもあったが、音楽性はやはりジャンル分け不可能。ある日のライブでは、現代詩の雑誌でお見かけしたことのある詩人が一番前に陣取っていたのだが、福島さんは歌い出し早々その詩人の脳天を紙を丸めた筒(と記憶している)でスパーン!といきなり殴りつけたのだ。しかし、詩人は反撃も何もするわけではなく、微動だにせず聞き入り、福島さんも歌い続ける。ものすごく張りつめた緊張感がぴーんと会場を包んだが、理由はまったくわからないながら、二人の間に何かあって、その返事を演奏中にパンチで返すという行為をすべて許容してしまう雰囲気がライブに漂い、これも福島泰樹の面白さなのだと感じたものだ。それにしても、こういうこともあるんだよね、表現者の間には色々とという納得の仕方は面白かったな。また、福島さんは86年だったか、浜田剛史がレネ・アルレドンドを3分9秒で破った世界ジュニア・ウェルター級戦で、興奮覚めやらぬまま会場入口でバンザイ三唱し、一年前に海で溺れ死んだタコ八郎もバンザーイ!とやった人なのだ。 福島泰樹が友川かずきと知り合ったのは、友川さんの実弟、及位覚が亡くなった頃だという。及位と書いて「のぞき」と読み、覚氏は大阪と和歌山を結ぶ阪和線の回送列車に身を委ね、31歳で亡くなった。三上寛は放浪ばかりして友人のいない覚の唯一の人生の師といえるような存在で、詩を書いては三上寛が兄がわりに読み、ここをこうすればもっとよくなるぞとアドバイスをしたそうだ。死後に覚氏の遺稿詩集が編まれ、友川だけでなく三上寛と福島泰樹も追悼文を寄せている。福島氏の文章は、サトル、君は最後にラーメンを食ったのか、ラーメンがこの世の食い納めであったのかと呼びかけ、厳しくもあり温かくもあり、そして淋しげな言い回しに何度読んでも心を打たれる。最後に、それではサトル、風の線路を越えて短歌絶叫コンサート、いってくるぞと言って、句を一句詠んで締め括るのだが、福島さんはこんなことも背負いながら、歌っていたのかと聴いていた。「無残の美」は兄・友川が弟のことを歌った挽歌だ。

11月28日 毎月演奏していただいているSWITCHの前日のライブはかなり内容が充実、ウネウネとのせてくれ、同バンドの今年最後の演奏を飾ってくれた。一年間お疲れさまでした。 先日は中古屋でジミー・ジュフリーの「トラベリン・ライト」を発見し、ようやく購入。ボブ・ブルックマイヤーとジム・ホールとのトリオ盤で、ドラムスとベースが存在していないながらも、ビートがビシビシきまり、とくにブルックマイヤーの表現力が素晴らしい。なんといっても素晴らしいのはジャケット写真で、巡業中にホテルの一室でリハを行っている風景。たしか、神戸JAMJAMのカウンターにも飾ってあって、これほしいんだよなあとものほしげに眺めていたものだった。このほか、レッド・ロドニーの「ファイアリー」を入手。新潟にはディスクユニオンとも提携し、通常のCDショップでは発売していないシブ所ばかりを扱う良心的なジャズ専門のレコード屋を発見。「MZY&トレーン」というお店だが、ドルフィーとラロ・シフリンの共演盤を入手。ちょっと録音悪すぎ。ついでに森山浩二のTBM盤も。この人のバリバリやるスキャット、けっこう好きなんだなあ。

 11月27日 三上寛、友川かずき、遠藤ミチロウの3人が登場する恐ろしいライブに行ってきた。これはすごかった。しかし3時間強という演奏時間に、終演後はただただぐったり。が、覚醒し充実の疲労感という心地よさがあった。この3人ともに50年生まれの同年齢、しかも全員東北出身というのが面白い。パンクはあまり縁がなく、遠藤さんだけは10数年前の「フィッシュ・イン」(これ、カッコいい)しか聴いたことがなかったが、いいじゃないですか。とくにアップテンポの曲はみんな好きだなあ。友川さんのライブは初めて見ることができたが、女性ファンの多いことを発見。黄色い声援の多かったこと。対称的に男汁をたくさん発散する三上寛の声援は野郎の「オー」とか「ヨッコイショー」という怒声のような太い声ばかりで、実にうなづけたというものだ。三上寛の歌は、チマチマクネクネはシャラクセーと言わんばかりの迫力ある歌声をもっているようで、繊細で摩訶不思議な歌詞とメロディが同居し、やはりジャンルに括るなどということの不可能な人なのだと思う。「夢は夜ひらく」を歌っていた初期の頃はまだフォーク、演歌、ポップスが同居するイメージがあったが、90年代以降、ますますジャンル分け不能でジャズミュージシャンとも自由に往来しながら、ますます純化してきた気がする。 昨日も終盤歌った「美術館」という歌などもなんなのだ。「爆破すべき美術館そうすべきではない美術館」の延々としたリフレイン。そうすべきではない美術館とは、「上板橋の橋の下、新聞配達少年が密かに描いたテロルのデッサンを飾ってある美術館」。そうすべき美術館は上板橋から遠くペルシャに飛び、「駱駝に乗った品々を盗んでは飾る美術館」。こんな歌詞で歌を作っちゃう感性もすごいが、歌のほとんどは「爆破すべき美術館そうすべきではない美術館」のリフレインで終始する。三上寛の歌にはロマンやら感傷やら精子やら攻撃性やら挽歌やら様々なことを感じたものだが、距離だの時間だのがあまりにも縦横無尽に行き来するので、つい小宇宙的なゾーンに引き込まれてしまうのだ。しかもライブではあの三上寛にしか出来ないカクカクとした動き!(その歩きっぷりは檻の中でうろうろするライオンやら豹やらのようにも見えた)。男汁も出てるし。個人的には海や川にまつわる歌が好きで、昨日は歌わなかったが「大感情」は、「宮古に行けば遠い古代の海から幾億幾万幾千の白い帆船が見える」というゆったりとしたリフレイン。気がつくと自分は海の底で死んでいて、と死体が歌う歌もすごかった。 東京在住時はよく曼陀羅で三上寛のライブを見ていた。10何年振りにライブを見たが、迫力、数倍は増しているな。俳優としての三上寛という人もいて、東映実録ものに出ていた三上寛も素晴らしい。たいがい下っ端ヤクザで悲惨に死んでいくような役だったが、ピラニア軍団のために全曲作詞作曲した「ピラニア軍団」もよかった。正月映画の打ち上げの晩に小道具の関さんと朝まで飲んだよ。関さんこの道50年で俺はまだペイペイ。長い間やってていろんなことあったけど、仲間がやめていくのが一番辛かったって関さん言ってた…。野口貴史に歌わせたあの歌には泣けた。俳優としていちばん印象に残るのは日活ロマンポルノ「女の細道 濡れた海峡」だろうか。三上寛は素晴らしい。三上寛は素晴らしい。初めての方は、上野にパンダを見に行くようなつもりで行くのがいいのではないだろうか。

11月26日 18日から23日まで新潟へ。初めての土地だけに行きの飛行機から地上を眺めながら旅行気分を堪能。何せ下北半島と津軽半島がくっきりと肉眼で確認でき、下北側には大間崎が見え始め、するとあそこは恐山、ここは青森市、ということはあの湖が十和田湖で、てっぺんだけ白くなってるのが八甲田山か、じゃあこの下の見えないところに三上寛の生まれた小泊があるんだねなどと、外を見ているだけで退屈することはないのだった。もちろん新潟といえば震災直後で、市内の状況がどのようなものだか、まったくわからなかったのだが、新潟市内はまったく影響なし。市内の光景もいつもとまったく変わりがないという様子だった。ただ報道のヘリコプターがかなり飛んでいたようだ。うちの者は先に船で新潟へ発ったのだが、災害活動に向かう自衛隊が同乗していたらしい。 初日の夜は早速例のジャスラック問題で有名になってしまった「スワン」へ直行。実に温厚なご夫妻の経営されている素敵なお店で、それだけに何故このお店があれほどジャスラックの標的にされてしまったのかと釈然としない。やはり直接お店のお話を聞くと、ジャスラックとの具体的やりとりにはますます釈然としない内容が多かった。表沙汰になる前の時点でジャスラック側から事前にマスコミに情報が流され、意図的にスワンが悪いというイメージを先行させたやり口もあったようだ。確認が必要だが細部の条項について曖昧とされる箇所がある点、さらに僕はまったく知らなかったことだが、84年の段階から錚々たるジャズ喫茶がこの問題に関し、話し合いの場をもっていたこと、そのことでスワンと某有名ジャズ喫茶に確執が生じたらしいことなど、様々な話題が噴出した。某有名ジャズ喫茶についてはホームページ上の発言に、釈然としないものを感じていたところだったのだが…。読みにくい書き方になったが、この問題はお店とジャスラックという問題ではなく、ミュージシャンや客側も含めて考えていくべき問題だと思う。 翌日は村上という城下町に宿泊。町屋や武家屋敷も残る実に風情ある町で、ここに4年前にオープンした「楽屋」というジャズ屋を訪問した。場所は村上駅前のタクシー会社の2階。えっ!ここなのと思ってしまうほど、駅の目の前なのだが、しっかり看板が出ている。マスターはまだ34歳という若手なのがうれしい。以前もこの場所にお店が入っていたそうだが、つぶれてからは放置されたまま。父親からはジャズ屋をやるなどもってのほかと猛反対され、村上では2階にあるお店は儲からないという風潮もあるらしく、そんなこんなにまったく耳をかさず、この若マスターは実にいいお店をオープンさせたのだなあ。いちばん自分が気に入ったのはマスターが大の浅川マキファンであること。彼のホームページをみると、アルバムを紹介したコーナーの一番先に浅川マキが登場している。まあ、そこをみてこのお店に行こうと思ったようなものだが、そんなもの信用できるに決まっているではないか。お店のレコードリストにはジャズ以外のコーナーもあって、いやあ実に趣味がいいと思った。三上寛とか入ってるし。南正人とか入ってるし。はっぴいえんどとか入ってるし。11時以降じゃなきゃかけないという浅川マキがいつの間にかかかってるし。ニーナ・シモンのボロと古鉄までかかっちゃったし。泡盛までご馳走になって、しこたま気持ちよく酔ってしまった。 ところで新潟は鮭で有名なところでもあって、しかし醤油漬けにするなど北海道とはまったく食し方が違うのが不思議。見たことも聞いたこともない鮭料理がたくさんあった。スワンのお客さんに教えていただいた「あげしん」なる料理は、魚のすり身を揚げたものにソースをつけて食べるのだが、なかなか美味だった。村上では村上牛、佐渡島では甘エビ食べ放題、さすが米所、ご飯は抜群においしく、しかし、かにはまずかった。市内にはアイリッシュパブがあって、キルケニーというアイリッシュビールがクリーミーでめちゃくちゃおいしいのも発見だった。しかも一杯500円。そこのマスター、たぶんアイルランド人なんだと思う。アイルランド人が経営するパブのある新潟市って素晴らしいと思う。あと、不思議だったのは、駅前を除き、繁華街では街頭放送がいっさいなかったこと。あれは震災があったことへの自粛なのだろうか。市場の魚屋を通りかかっても、だみ声で呼び込みする様子はなかったし、県民性なのかなという気がした。

 最終日はアイリッシュパブに続いて訪問した「ジャズフラッシュ」もいいお店。老舗ジャズ喫茶!という店構えで、マスターもしぶい。その後は再びスワンでライブ。お客さんは大人しい方が多いように見えたが、新潟ではジャズストリートが成功しているように、ジャズ度は高いという。ジャズストリートの際はどこのお店でもお客さんは満員。市内だけでなく、村上の楽屋もその一店に加わっている。楽屋マスターのお話によれば、野坂昭如氏の兄がたいへんなジャズ好きで、知事だったか副知事だったかを務めた頃、市民へのジャズ普及にも大いに貢献したのだという。それが新潟のジャズの土壌になっているのだ。スワンライブの後はミュージシャンの方々に、かなり料理のおいしい居酒屋に連れていっていただいたのだが、旅の疲れと飲み過ぎで、早々につぶれてしまった。

11月17日 ヘンリー・コスターの「気まぐれ天使」をようやく観る。とんでもない話だね、これは。ケーリー・グラントが天使を演じるのだが、デビッド・ニーブン扮する牧師の願いをかなえようと降臨したにも関わらず、どうやら牧師の奥さんに惚れたらしく、やたらとかまいまくるのだ。本物の天使であるだけに、相手の過去や行動はお見通しで、ニーブンを除く万人に好かれるものだから、牧師は面白くないことこのうえない…。良質のハリウッド映画の一本。それにしてもグラント、希有な俳優だなあ。明日からは新潟行きだ。

11月16日 母が亡くなって丸一年が経つが、一年前のことをあれこれ思い出していると、それぞれに抱える思いはあるだろうけれど、ああきついなあと思わせたのは通夜の日ではなく、告別式が終わり、親戚縁者の方々がそれぞれ帰路につき、家族だけが残されたときだった。そう考えると、「東京物語」で原節子がご主人が亡くなり、そこまでする必要がないにも関わらず、尾道に一週間も滞在したのは、残された笠さんと末の妹にとってどれだけ心強いことだったろうと思う。蓮實さんの指摘する「とんでもない」の台詞など未だに発見されない何かを残す小津監督ではあるが、その深みが後で響いてくることもあるのだと思った。

11月9日 中島貞夫監督へのインタビュー集「遊撃の美学」が面白く、最近立て続けに中島作品を観たり観直したり。深作の実録ものとはまた違う役者の躍動感、とくにいいなあと思ったのは松方弘樹、千葉真一、渡瀬恒彦あたり。松方さんは貫禄を感じさせるようになっているし、千葉真一は役がいい。「日本の仁義」のサングラス姿で文太に尽くす子分。「沖縄やくざ戦争」ではイケイケのウチナンチューヤクザで、ヤマトのヤクザの歌をさえぎり、「誰かサンシン弾けえ」と言ってテーブルに飛び上がり、踊りではなく空手の型を披露する。作品でとくに印象に残るのは「実録外電 大阪電撃作戦」。インタビューでも述べている通り、山下耕作の「京阪神殺しの軍団」の山口組の話をチンピラ側から描いている。この作品にものすごい宴会シーンがあって、明日は死ぬだろうという狂犬たちが踊り飲み明かす中で、渡瀬恒彦はじっと椅子に座ったままビアグラスをかじっているのがすごかった。そういえば「京阪神殺しの軍団」にも印象的な宴会シーンがあって、被差別部落出身者の話であることがわかる歌を歌ったのではなかったかな。 このインタビュー集で抜群に面白かったのは「日本の首領完結編」の演出時のエピソード。何せ主演者に佐分利信、三船敏郎に加え片岡千恵蔵が加わり、三人が登場するシーンの演出はさすがの中島監督も困ったというのだ。これは誰が三人の中で一番えらいのか見極める必要があり、その一番えらい人に色々と頼み込もうと。というわけで中島監督はセットの隅で三人の様子を観察する。すると最初に三船が二人のもとに挨拶にいく。ここまでは監督も読めたというのだが、佐分利と千恵蔵さんはどっちがえらいのか。このエピソード、読んだときは思わず爆笑してしまったが、これはこれから読む方のためにもお楽しみにしておいたほうがいいだろうな。 

 ところでもう11月も中旬に入っていくが雑誌は暦の上では12月号が進行中で間もなく新年号と年末進行に入る。まったく早いものだ。そんな忙しい時期に入るのだけれど、18日から新潟へ行くことになった。余震はまだまだ続いているだろうけど。それから、くうの「映画音楽秘宝」はまもなく再開予定です。

10月19日 45周年パーティ、来店いただいたみなさんのおかげで無事終えることができた。ミュージシャンの方々もフォークソングの弾き語りに始まり、ライブで出演いただいてる方々が代わる代わる演奏と歌を披露し、最後に駆けつけてくれたT氏の「ジョージア・オン・マイ・マインド」で大盛り上がりと、愉快なひとときでした。お祝いの品々、本当にありがとうございます。R子ちゃんからいただいた「45」の数字のろうそくのともったケーキにも驚かされました。ありがたいことです。当日撮影した写真はデジタルのものも入手されれば多少HP上でもUPしようかなと思ってます。

10月9日 ふとしたはずみで買ったダニー・ハサウェイの新譜ライブ、素晴らしいですねえ。「ライブ」「イン・パフォーマンス」のほか未発表音源を含めた企画ものだが、構成がいいので統一感もあって。このへんのジャンル、あまり詳しくはないのだけど、ただただ名曲の山、黙って聴いていればいいんだってお手本みたいな内容。「WHAT'S  GOIN'ON」などくずした感じがマービン・ゲイよりいいかも。ハマってしまいました。聴いていないジャンルって本当にまったく知らなくて、先日も網走でのジャズ取材の中でサンタナの話が出て、「キャラバン・サライ」がすごいと。アドリブ表現の奥深さを知るきっかけになりましたと。このあたりも僕は詳しくないので、中古屋に行った際に物色した。それはなかったけれど、ティト・プエンテの曲を演奏しているレコードが100円くらいで売っていたので、購入するとちょっと面白い。色々あってほんとに困ったものだ。 ところで8月の話だがフィルムセンターが日独合作の「武士道」がロシアで発見されたと発表していたが、1926年公開というと「新しき土」より古いではないか。主演の岡島艶子って川谷拓三の義理の母? ロシアにはまだまだフィルムが残っているのだろうか。山根氏、蓮實氏あたりに任せるのではなく、発掘にあたる若手の存在が求められるのだろうなあ、これからは。

10月5日 ようやくジャズ風土記の原稿書きを終了。今回はこのスペースだけの執筆なので春先のような「惨事」にはならずに済んだ。ほっと一安心。とはいえ、こうしたジャズ雑誌の部数をアップさせていくのは容易ではなく、第3弾まではこれまでの路線を維持するが、来年以降の内容は見直しを図っていくことになる。寺島さんのメグを中心に構成するジャズ集団の発行するフリーペーパーの内容が好調で、今出版への働きかけも行われているところとか。毎月、専門誌の編集・取材を行いつつ、部数と営業の拡張を志してはいる(つもり)ではあるが、あらかじめパイを制限される専門誌の難しさ、競争の厳しさはつきものとはいえ、勉強しないことには進まない。読み手べったりでは買う必要がなくなっていくというものだし、とんがりすぎても売れない。微妙な突出度というものがいつも課題で、取材現場の人間にとってはインタビューそのものが命となるわけだが、蓮實さんのインタビューを読んでいると未だ言葉を失う。 ところで「モンスター」っての監督の対象への執着度がものすごく、どっぷりと疲労する映画だった。シャーリーズ・セロンの顔をずうっと観ているのは辛い。これは映画に向けて作られた映画なんだろうか。「バイオハザード2」、ゾンビをもっと活躍させてくれえ。先日テレビで放映した「火山高」の解説をした綾戸さんが内容が深いと大絶賛していたがその意味理解できず。

9月24日 23日から24日にかけて旭川方面のジャズ屋へ。くうのマスターも同行し、一件目はVIRの取材。東田マスターのさりげなく繰り出す危ない話に爆笑。その後、エヴァンス、ピアノ。網走の疲れも抜けないままの強行軍で、さすがに翌朝の散歩も足に来る。新横浜のラーメン街にも出店している、蜂屋というラーメン屋、麺がふやふやしているけれど、まあまあうまかったです。日本全国、ジャズ屋をめぐる雑誌の編集を通して、まだまだ一部しか回っていないけれど、ジャズ屋をめぐる盛衰ぶり、その表情は実に多彩だ。当然、それぞれの町との密接な関わりの中で育まれるものだけに、多くのお店を回ることでそこから浮かび上がってくるものもあるだろう。が、何にせよ、経営が安定してくれていればもちろんのこと、何とかかんとかでもお店を続けてくださっていれば、ほっとするし、それだけでうれしいことだと思う。震災を乗り越えてオープンした神戸のJAMJAMがつい最近4周年を無事迎えてくださったのも、心底うれしかったこと。

9月21日 18日から20日まで網走方面でジャズ屋巡り。初日は仕事を終えての移動で午後3時過ぎに出発、午後9時網走着。約6時間の移動は北海道の広さを嫌でも感じさせる。列車に乗っているだけで疲れるのだから。到着後、網走駅すぐ側にある「あんじろ」を取材。来年で30周年を迎える老舗。壁一面に貼られた定期、切符、膨大なお客さん書き込みノートの量など、人々に愛されてきたお店であることがよくわかる、木造の内装とほのくらい照明が心地良い。閉店時間が10時なので長居できなかったのが残念。翌日は「デリカップ」。ママさんの美人なこと。しかも気さくで親切。途中でマスターも顔を出し、人生論や生き様など、強烈に聞かせていただいた。これまでに日本のジャズ屋さんでお会いしてきたような、個性の強いマスターの一人がここにもいらっしゃった、という印象。さらに翌日は昨年オープンしたばかりの「ちぱしり」。マスターがお店に入って早々、「昨日歩いてました?」「え?」「信号無視しませんでした?」。へっ!見られてる。詳しく聞くと、どうも我々一行に間違いはなく、笑いながら「網走の人は信号青で渡るんですよ」と。どこで誰に見られているかわからないものだ。奥さんは窯で焼き物をされている方で、お店の真ん中に展示。ライブを行うにも十分な空間を持ったお店で、ライブ回数もかなり増えているよう。気さくなお店なので、昼間から完全に飲み屋モードで飲んでしまった。そのままアルトサックスの吉井義満さんが経営するラーメン屋「楽愛麺屋」へ。吉井さんがいないのでビールと餃子を食しつつ、帰ろうかなと思ったところに吉井さん。ご挨拶をして、再び軽く飲み始め、奥さんを交え歓談。そのまま駅まで送っていただいてしまった。網走は親切な人が多く、場所柄、鯨も食せ、なぜか首輪をした老犬がとぼとぼ歩いている、大好きな町のひとつになってしまった。

9月18日 最近、清水宏の「東京の英雄」(35年)と「恋も忘れて」(37年)を観たのだが、製作年度はたった2年しか違わないにもかかわらず、前者はサイレント、後者はトーキーと映画の製作過程が決定的な変遷を辿った清水の足跡を辿ることもできるだろう。小津安二郎との比較で言うなら、小津は35年に「東京の宿」を撮影し、36年にトーキー第一作となる「一人息子」、37年は「淑女は何を忘れたか」を撮る年となっている。ちなみに37年は山中貞雄の遺作「人情紙風船」が公開された年でもある。清水、小津、山中の比較論など大事になってしまうので、そのつもりはないのだが、昨年からようやく少しずつ観ている清水宏の作品を何本か眺めてみると、例えば「有りがたうさん」や「暁の合唱」などのまあほのぼのとした終わり方の作品がある一方で、「東京の英雄」や「恋も忘れて」のあまりに暗いエンディングは何なのだろうと思うほど、暗い題材の作品だった。清水の全貌を知らないため、ただの印象ではあるのだけれども。 もちろん小津や山中だって暗い題材の作品は扱っているわけだが、それにしても「恋も忘れて」の物語はあまりに重い。「東京の英雄」と「恋も忘れて」に共通する題材は母親の職業だ。実ははじめ観てもよくわからなかったのだが、2チャンネルの清水のコーナーにふと記すとある人がそれは「チャブ屋」で、いわば娼館だと教えてくれた。女給さんとはこれほど差別された職業だったのかとどうにも不思議だったが、それで合点がいった。なんせ「東京の英雄」では吉川満子演じる母親の経営する商売のせいで、妹は即刻離婚され、弟はちんぴら風情に成り下がってしまうのだから。「東京の英雄」にはこれに藤井貢演じる兄がおり、彼だけがまともな道を歩むわけではあるが、それにしても「東京の英雄」とは何ともシニカルなタイトルだ。 「恋も忘れて」のほうは「東京の英雄」の親子関係をさらに母と子に凝縮、その分物語のもつ暗さがよりヘビーなものになっている。撮影所システムが完璧に機能した映画全盛時代にあって、即興的かつロードムービー的な清水の映画撮影スタイルはいかにも自由奔放な魅力に満ちているが、今、「東京の英雄」と「恋も忘れて」という2作を観て、題材においても清水は突出した存在だったのかと思った。「恋も忘れて」でも子供たちが大きな役割を果たしているが、ユニークだったのは日本に連行された人々の子供たちが登場するシーンだ。主人公の男の子が突貫小僧演じるガキ大将から母親の職業を理由に仲間はずれにされ、彼が次に遊び仲間にしたのが彼らで、そのことを説明するのに、はじめに子供たちの集団の騒ぎ声だけを聞かせる。これが日本語のように聞こえてくるようでよくわからず、そのわからない感覚の長さも何か不思議なのだった。「有りがたうさん」にもふとした登場人物に、松竹映画路線とは何か違うものが露出する瞬間があった。後に、人柄が松竹にふさわしくないと追い出されたという清水宏、ますます気になっている存在だ。

9月16日 ジャズ・マスターズ・マガジン第3弾の準備がすでに稼働中。前回の書き手に加え、某出版社の編集者ほか書き手がどんどん多彩になり、ジャズ喫茶風土記、ジャズ伝言板は仙台、東京、大阪、神戸、奄美大島などに拡大。僕は道内で函館の「マイルスの枯葉」の取材をすでに終え、今週末から網走方面に行くことなった。メイン特集は第2号で評判上々だった山口氏が取り組み、吉祥寺ファンキー等の協力を得て、「イケメン・リクエスト(仮題)」をテーマにお届けする。4号以降も企画段階で、来年も続投することになっている。応援、よろしくお願い致します。 ところで、当ジャズ・バー、ロンドは細々と、最近ますます細々と営業を続けながらも、今年の10月17日で満45周年。ちょうど日曜に当たっているのだけど、常連さんの強力な申し出も追い風に、ささやかながらパーティを計画中。商売もお店の規模も小さいもので、本当にささやかなものだけれど、当日5時予定で開こうと思っております。詳細は後ほどHPのトップページに掲載しますので、もしお時間と関心をもってくださればぜひどうぞ。

9月5日 先日、日本で再評価が望まれる監督、鈴木英夫の「悪の階段」。完全犯罪を狙う強盗一味が内部崩壊し、全滅するまでをクールなタッチで。的確なキャメラワーク、簡潔明瞭な語り口。単純な物語をクールなタッチでぐいぐい魅せる。鈴木氏の演出もツボを心得ているのだろうが、撮影所技術陣のスタッフワークの見事さ。何の引っかかりもなく、さらさら観られる映画の陰には有能な職人スタッフたちの活躍がある。西村晃が好演。三隅研次の「酔いどれ博士」はスラム街に住みついた医者の話。喧嘩に強く、女子供にも優しい、ややスーパーマン的なところが(脚本は新藤兼人)嫌みなんだけど、勝新太郎が演じるので泥臭く好感がもてる。これが役者の力というものか。こんな俳優、最近全然いませんねえ。「六三制愚連隊」は西河さんがかるくこなしたって感じ。「マン・ハント」、フリッツ・ラングはどれも素晴らしい。とくに洞窟で弓矢を数分で作るシーン、すごい迫力です。「ビッグヒート 復讐は俺に任せろ」の車爆破シーンが後の「ゴッドファーザー」などに影響を与えたように、ラングはハリウッドの先駆的な「仕掛け」を考案する天才でもあるなあ。アンソニー・マン、「胸に輝く星」の保安官事務所の設計。内部からL字型に外が見える。この光景だけでもものすごく興奮した。「ゲロッパ」はペケ。「人妻集団暴行致死事件」、ひょっとして室田日出男さんの最高作かも。「ラバーズ」、金城君があまりよくない。「英雄」よりだいぶんおちるなあ。以上、最近観た映画から。

8月31日 8月中旬からあちこち体調を悪くし、しまいには狭心症の疑いまで出て、今日はかかりつけの病院で心エコーやらトレッドミル検査。今のところ、とくに異常なしとの結果で一安心。しかし、ときどき痛むのが心臓という箇所だけに油断禁物。だんだん大病してもおかしくない年齢になってきたものだ。映画のほうはここ数日かなり観まくっている。劇場では話題の「華氏911」。マイケル・ムーアという人は完全にジャーナリストの人だと思うので、作られる作品は時代に向けられ、映画に向けられてはいない。その意味で例えば10年後に観たとき、「華氏911」は評価の対象になるだろうか。これはかなり厳しいものがあると思う。ドキュメンタリー映画という区分け方はおかしいと思うが便宜的に使うなら、同じドキュメンタリー作家の土本典昭のほうが遙かに素晴らしい。最近観たのは「ある機関助士」と「ドキュメンタリー路上」。どちらも40年程前の作品であるにも関わらず、しっかり「映画」として撮られているので古びることはない。「ボウリング・フォー・コロンバイン」や「華氏911」は40年もつだろうか。 大女優アイダ・ルピノが監督となって放った一本「ヒッチハイカー」、これは最近の思わぬ拾いもの。ヒッチハイクしては強奪、殺人を繰り返した男の実話を映画化したB級映画。この犯人、片目が不自由で夜眠るときも決して瞼が閉じないというのが効いていて、夜は人質に顔と拳銃を向けたまま眠る。人質は逃げようにも犯人が常にこっちを凝視しているので、眠っているのか起きているのかわからず、つい逃げるタイミングを逸してしまう。70分ほどの凝縮した作品で、アイダ・ルピノ、あなどるべからず。最近、刊行された蓮實さんの「映画への不実なる誘い」(NTT出版)でアイダ・ルピノについてふれており(「ヒッチハイカー」は登場しませんが)、ビデオだけ撮っていたものを観たら、やたらと面白かった。そうそう、清水宏の「暁の合唱」は「有りがたうさん」をリフレインするバスものだったのですねえ。ローカル路線バスの中でおにぎり3個たいらげちゃう花嫁さん、突然産気づいてバスの進行を止めてしまう妊婦さんなど、おかしなエピソード満載の清水節が堪能できます。 最近観て最も感動したのは、いや、大感動したのはアンソニー・マンの「愛のセレナーデ」。オペラ歌手を目指す農家の青年を夭折のテノール歌手マリオ・ランツァが演じている。青年はすでに才能は開花するところまで行っており、あっという間にニューヨークの舞台に立つ。しかし、彼を発掘した社交界のイケズ女がジョーン・フォーンティーン。男がのしあがるとさっさと別の男を漁りに行くことを繰り返し、その気になった男を駄目にしてしまう。そんな彼はニューヨークの大舞台を途中で投げ出して…。圧巻なのはカラフルな映像美。とくに闘牛士の土地で撮影される群衆と町の飾り付けの色合いの素晴らしさ。これはいかん!と途中で我が家のプロジェクターをセッティングし、大画面で見直した次第。アンソニー・マン、頭がクラクラするほど美しい映画をみせてくれる人。また、失意の中から歌声を回復した青年が歌う瞬間、なんとこれが「アベ・マリア」なんだけど、ここの演出もかなりのみもの。脇のヴィンセント・プライスも実にいい味を出している。これは観た後、讃え合いたくなること必至。思い出すだけでも幸せな気分になる作品。「グレン・ミラー物語」といい、アンソニー・マンは西部劇だけでなく音楽ものも本当に素晴らしい。日本未公開だったことが信じがたい作品だ。

8月12日 北海道では珍しく厳しい暑さが続いたせいか、今週体調を壊し気味でとうとう昨日は38度近くまで発熱、風邪かなと思って診療所へ行くと原因は扁桃腺らしかった。締切中の発熱なので今週はまだ仕事をしなければ。ぼーっとしながらも何本か映画は観ていて、見逃していた、たけしの「座頭市」、CG使いまくりの殺陣は意外と迫力がなかったけれど、やはり面白い。90年代、あれだけ飛ばしながら「ソナチネ」という恐るべき傑作を生み出し、その後スタイルを微妙に変化させてきた最近の数作。「ブラザー」「ドールズ」「座頭市」とアベレージは高い。浅野忠信ってあほな映画にもけっこう出ていて最初はあまり好きな俳優ではなかったけれど、黒沢さんの「アカルイミライ」といい、得体の知れない役をやると、右に出る者はいないんじゃないだろうか。あの不気味な目の輝きがかなり怖い。昨日はカウリスマキの「過去のない男」。いつもの不幸な登場人物たちによる淡々とした進行で、今回は元溶接工の主人公が公園で暴漢に襲われるところから始まる。重症を負って病院で治療を受けるが心停止状態になり、あっという間にご臨終。看護師がシーツを頭までかけたところで、息を吹き返すというデタラメぶりがもうカウリスマキ節。男は記憶をまったく無くしており、0からの再出発、といっても世の中は不況で、記憶をなくす前も後もろくな人生じゃないって感じがやはりカウリスマキ節。登場人物たちの境遇はいつも不幸で貧しいのだが、それに輪をかけるように登場人物たちの顔は疲れ切っている。どこでこんな俳優見つけてくるんだろうね。男と不器用な恋をする救世軍のあの女性は「マッチ工場の少女」の人じゃなかったかな。会社を差し押さえられた元社長が銀行に自分の預金を強盗に行くシーンもあって、男と元社長が飲む酒場には亡くなったマッティ・ペロンパーの顔写真が飾られ、ちょっとぐっとくる。カウリスマキ、語り口がどんどんうまくなっていて、人生のわびさびみたいなものまで感じさせる。ラストなど、ふいにぼろりと泣かされた。近作では「浮き雲」もすごかったけれど、愛さずにはいられない監督の一人だなあ。 ところで最近どこの誰だかわからないがこの日記に中途半端な文句をつけてくる方がいて、どうも理解しかねた。本人に向かって「語りを何とかしてほしい」と呼びかけてくること自体、妙ではないか。公開の形であれ、私的な日記に内容の変更を求めるというのは理解しがたい。こっちはそれに応じる必要があるわけがなく、嫌なら読まなければいいだけの話なのだ。カウンターの人数をみればわかるように、このページを見てくださっている方は、本当にわずかなもの。吹けば飛ぶようなこのサイトに文句をつけるのは、余程腹に据えかねるものがあったのだろう。では、どこが? 「知った風なことを…」とあるだけで書いていない。他人に文句をつけるにはそれなりの理由が聴きたいし、でなければ、無責任な文句のたれ流し状態であり、イタズラ電話とか、迷惑メールとか、そんな低レベルの自己満足的な話になってしまう。文面からして、若い人ではなく或る程度の年齢のいった男性かなと思っていたが、やっていることから想像すると、通りすがりのカキコか、どこかのガキ。文句のつけかたというのはあるわけで、はっきり言って、この方、あまり頭のいい人ではないなと思ってしまった。まあどうでもいいことだから、あまり言ってストーカーに変身されても怖いのでやめておこう。

8月5日 ハリウッド映画の古典を観ていたかのような錯覚さえ覚えさせる「スパイダーマン2」は一作目以上の素晴らしい出来映えで、サム・ライミの充実ぶりには目を見張るものがある。いや、ライミは我々の前に鮮烈に登場した「死霊のはらわた」から、蓮實さんの指摘する通り、「ごく普通の場面をごく普通に撮れる監督」だったのだ。これも、蓮實さんの指摘していることだが、スパイダーマンの活躍するシーンもさることながら、叔母とのやり取りや物理学者との夕食時の語らいシーンの素晴らしいこと。キャメラをどこに置き、何を語らせ、何を説明するか(それは何を見せずに省略するかという聡明さとも言える)。あるいは編集長のキャラクターをはじめとする人物描写。すべてを的確かつ簡潔にみせていくライミの手腕は紛れもなく、ハリウッドの素晴らしき伝統を受け継ぐものだ。最も感動したのは暴走する地下鉄を必死にくい止めるスパイダーマンの活躍シーンだ。地下鉄の最前部に立ち、左右に粘着性の糸を繰りだし、限界まで堪えたところで止まる車両。彼の顔を見た者たちは無言ですべてを了解し、その正体を口にする者は決して現れることはないだろう。ここは涙なくして観られないシーンだった。しかし、震えるように感動したのは暴走地下鉄と糸のイメージがハワード・ホークスの「リオ・ロボ」の列車とロープを連想させたからなのだった。「シネコン」の青山氏の言動を真似るならば、「スパイダーマン2」を観てわからないやつはバカ!と断言したいくらいなのだ。 ところで映画をいかに観るかということを考えさせてくれる最近の書籍として、「映画の授業」(青土社)も参考になるだろう。人は映画を観ているにも関わらず、いかに映画を観ていないか。なのになぜ「映画を観た」と言うのか。こうしたことを初めに言った蓮實氏の批評を出発点として、映画美学校の講義をもとに書籍化したもので、今世界で最も重要な監督の一人である黒沢清をはじめ、塩田明彦、高橋洋、万田邦敏、青山真治、たむらまさきらが講師を務める。万田氏の「ダーティハリー」を題材とした講義なども面白く、生徒とのやり取りを通して、観たはずの「ダーティハリー」がいかに観られていないかが授業の中で鮮明にされる。それは例えば、僕もくうで述べたことがあるが登場人物が水平に配されることがほとんどなく、全編、ほとんどが上下の視線によって成立する高低のイメージ(ニコラス・レイの映画を観たことがあるだろうか。レイの作品、例えば「理由なき反抗」だって視線の上下のやりとりが豊かな画面を生み出している)。あるいは最初に何が映っていたか。それは警察バッジであり、ラストシーンもバッジで終わること。あるいは冒頭のプール、銀行強盗のシーンで吹き出す消火栓の水、さそりが最期を迎える場面に共通する水のイメージ、あるいは銃撃戦シーン、公園でハリーがこづき回されるシーンなどに共通する十字架のイメージ(それは他のシーンにもいくつかあったことが授業の中で明かされ、30回以上観た自分も驚いた)。映画はいかに具体的なイメージによって成立しているか。そんなことを気付かせてくれる面白いパートになっている。その他の講義内容もかなり面白く、映画をいかに観るか、映画とは何か、では何がだめな映画であるのか。映画を観るためには訓練が必要なのだけれども、そのためのツールとして参考になる書籍だと思う。映画をストーリー(物語)のように語り、あるいは文章で筋を説明するとき、それは最早映画とはまったく別物になっていることも気付かせてくれるかもしれない。 映画と音楽は似ているというとき、青山氏とたむら氏の対談の中で、クリス・カトラーというドラマーと別の演奏者が打ち合わせなしで、相手の音も聴かず、お互い触発を受けないように意識しつつ影響されながら、ひとつの音の時間を作り、その音がどんどん触手のように伸び、お互いの意識の中で触れあうとき、それは「カオスの縁」だと話されるところもちょっと面白いのだが。 ところで最近購入した三上寛の「ソロ・シリーズ完結編 1979」、素晴らしいです。とくに気に入ったのは「五百子先生と山羊」。今日初めて聴いてもう何度も聴いている。浅川マキもすごいけれど、三上寛も一人でぜんぜんオッケーなすごい歌手だな。小手先のジャズなどより、断然素晴らしい。要はジャンルなどどうでもよいのだが。曼陀羅の流れで言えば、福島泰樹と友川かずきがこのパワーに匹敵するのではないだろうか。札幌には来ないだろうけれども。福島さん、短歌絶叫コンサート、まだ継続されているのかな。7月27日 映画音楽家のジェリー・ゴールドスミスが亡くなったのはやはりちょっと感慨深いものがある。エンニオ・モリコーネの一つ年下の29年生まれ。活躍し始めたのは60年代初頭だから、映画の仕事に携わる身としては50年代の最後のハリウッド充実期を体感し得なかった不幸な世代に属したわけだけれど、不毛の60年代を乗り切り、70年代に大輪の花を咲かせながら映画音楽の素晴らしさを世界にアピールした突出した人だと思う。ゴールドスミスの著名な作品と言えば「オーメン」が筆頭に挙がるだろうが、ポピュラーなメロディメーカーとして思い浮かぶのは「パピヨン」「パットン大戦車軍団」くらいだろうか。ジョン・ウィリアムスのように壮大で誰でも一度聴いたら覚えてしまえるような曲は意外と作っていなかった気がする。派手なようで黒子に徹しながら映画というジャンルに奉仕する作曲ぶりを貫いたプロフェッショナルの映画音楽家、と見たほうがこの人にはふさわしい。その意味では伝統的、正当的な映画音楽家の流れをしっかりと汲み、どこか匿名的な存在であり続けた、映画への畏怖を忘れなかった人なのだ。映画のわからない人が間違って作曲をすると、すべてを否定するつもりはないが、久石譲になり武満徹になってしまう。そのような音楽家は間違っても津島利章や鏑木創のような音楽は書けないだろうし、自分のスタイルを強烈にアピールしつつも映画に奉仕した伊福部昭やモリコーネやバーナード・ハーマンやジョルジュ・ドルリューやフランソワ・ド・ルーベやらのやっていることも理解できないだろう。タランティーノ以降、既成曲を映画に取り込むことが珍しいことではなくなってしまった時代にあって、ゴールドスミスは映画音楽のあるべき姿を常に見せ続けてくれた巨人だった。この人の作品は有名な「猿の惑星」や「トラ・トラ・トラ」、「エイリアン」などの大作ばかりではない。リチャード・フライシャーの「ラストラン」、ロバート・アルドリッチの「合衆国最後の日」といった仕事ぶりなど実にうれしいではないか。近作では「ザ・グリード」の若々しさ、バーホーベンとの「インビジブル」などの仕事ぶりもうれしかった。面白かった映画を振り返り、映画音楽が思い出せないこと。これは映画音楽家の有能ぶりを言い表すひとつの褒め言葉であると言えはしないか。ゴールドスミスは60年代以降の映画を支えた素晴らしい逸材だった。 

7月24日 タクシーの忘れ物に注意、という教訓を最近得たにも関わらず、大失態。何と財布を忘れてしまった。降りた瞬間上着が軽かったので即気付き、目の前のタクシーを目で追いつつ、ズボンのポケットと鞄をまさぐるもない。しかし、タクシーはもう目も声も届かない距離。不思議なものでそのときはタクシー会社と乗務員の名前を覚えていたので、会社に電話。無線で乗務員に確認してくれたが、すでに次の客が乗車中、「財布の忘れ物はない」という答えが返ってきた。ああ、やられたなあ、これはと。まあ、駄目元でこちらの連絡先を告げ、ハイヤー協会にも連絡、交番に遺失物届けを出してきた。俺、財布にはカードやらキャッシュカードのほか、免許証、保険証、家の鍵など大事なものは全部入れてるんだよねえ。途方に暮れ、家で待機してると1時間後にススキノ交番から電話。「財布落としましたあ?」「はいはいはい。私です。さっき琴似本通り交番に届けも出しました!」「現金入ってましたあ?」「2万円程」「(笑い声で)それは抜かれましたねえ」。というわけで、現金以外は返ってきたので、最悪の事態は免れることができた。財布はススキノ繁華街の自転車置き場に捨ててあったらしい。思えばあの日は札幌でも珍しい大雨が降った先週の土曜の午後。あまりの雨の激しさに前が見えず、こんなのは珍しいねえ、ここまで降ってくれるとうれしくなっちゃうねえ、などと運転手と談笑した直後のことだった。いやほんと、タクシーを降りるときは座席確認したほうがいいですよ、みなさん。タクシー会社の対応なんて、やっかいごとに巻き込まれたくないものだから、こっちがいくらいっても早く電話を切りたがるんだよね。雰囲気としては。

7月23日 最近、これまで見逃していた映画を何本か。とくに感動ものだったのは「K-19」。なるほど、イーストウッドに続くアメリカ映画の逸材としてキャスリーン・ビグローがあがるという青山氏の指摘(「シネコン」)に納得。どうもアメリカ人に嫌われている節のあるケビン・コスナーの「ポストマン」、思いの外の傑作。「シネコン」は、最近の映画を語る書籍として、映画批評不在の中で読んだほうがよい一冊ではないか。同様に阿部和重の「映画覚書」も映画好きを自称するのであれば、このくらいは読むべき書籍だと思う。例えば「アメリカン・ビューティ」への批判を通して、映画とはどのようなものであるかを理解させてくれるだろう。それは構造主体の映画であって、物語は主人公が死ぬためだけに紋切り型に描かれるだけで、監督は対象への執着が足りないためにドラマの構造を覆い隠すことができない。映像の強さは物語を凌駕する。といったような指摘。そこで重要なのは物語ということよりも、なぜ映画で表現をするのかということだ。映画は映画なので、ジャンルなどどうでもいい。物語にしか興味がないのなら映画を観る必要はないだろう。小説でも読んでくれと。キャメラがどこに置かれ、どのような演出が成され、どのような映像が生み出されたか。「ゴースト・オブ・マーズ」の突出ぶりも、そのような視点で理解できる。ところでミニシアター系、というような分け方は何なのだろう。それは上映形態の違いでしかなく、映画とは関係のないことだ。ゴダールは大型館では上映されないのでミニシアター系となり、カーペンターはそうじゃないから観ない、ということになるのだろうか。そういう人がペドロ・コスタをちゃんと観られるのだろうか。

7月9日 先日、アケタライブ。僕はこの人のピアノが大好きで、ときに黒々ジャズ、ときにアフロ歌謡、ときにセンチメンタル民謡といったイメージで最も自分の琴線にふれてくる音を出す人だと長年感じていた。その意味ではいわゆるジャズとも異質の世界を許容するのだから、アケタさんが苦手だという人もいることだろう。しかし響く人にはめちゃくちゃ響く、それがアケタさんなのだ。生で聴いていてふと思ったのは、先日読んだ小泉さんの母音にまつわる話。アケタさんのピアノは母音の強いジャズではないかということなのだった。ライブの際、本人が勧めてくださった「マジック・アイ」、素晴らしいです。

7月7日 長い間観たい観たいと思っていた神代辰巳の「悶絶!!どんでん返し」。神代映画でこれほど爆笑したことはないかもしれない。主人公は東大卒のエリート・サラリーマンなのであろう。この男が酔ったふりをしてキャバレーホステスのアパートにおしかけると、ヤクザもどきの男に絡まれる。ヤクザはお前が賭に勝ったら女と寝ていい、負けたらお前は犯されろと脅す。なんだ勝っても負けても同じではないかと、賭に応じ、案の定負けるのだけど、犯すのはヤクザのほうでおかまをほられてしまうのだ。実はほるほうも、この時が初めてで、やがてお互い病みつきになってしまう。東大を卒業してオカマに変貌してゆくサラリーマンのあっけらかんとした様が妙におかしい。神代さんは天才的なほど音楽の使い方がうまい人だが、ここでも男たちは呟くように唸るように歌い続ける。あるいは矢野顕子や藤圭子の歌が断片的に流れる。とてつもなく笑わせてくれる映画ではあるが、ここに登場する人物たちはみな何者にも成り切れぬ悲しみをそこはかとなく背負っている。ヤクザもどきの男もついに美人局の罪が刑事にばれ、意に反して刺し殺してしまう。車に乗って逃げるときのドタドタとしたスピード―オカマになった男が俺も連れて行けと掴まっているからでもあるのだが―それは神代映画に見られる、だめな登場人物たちを思い起こさせる。「四畳半襖の裏張り」、「恋人たちは濡れた」、「濡れた欲情・特出し21人」…。山田宏一さんも指摘していた「四畳半襖の裏張り」の男は「間に合わない、間に合わない」と言ってドタドタ、ぐにゃぐにゃ、無様に走るのだ。神代さんの映画は悲しいようで可笑しくてやっぱり悲しい。「赤線玉の井・ぬけられます」「黒薔薇昇天」…、まだまだ観たくてたまらない映画はたくさんあるなあ。山田氏は神代の「四畳半襖の裏張り」について、「美しさだけが、肉体だけが、女の瞳だけが、愛する女のきめ細かい肌の感触だけが、映画のすべてだ」というジャン・ルノワールの言葉を思い出さずにはいられないという。ここまで書いてきて今ふと思うのだが、映画をジャンルで分けて観る人間の言うことなど、まったく信用しない。アニメもポルノも同じただの映画なのであって、それ以上でもそれ以下でもない。はっきり言わせていただけば、神代も観ずに日本映画を語ることなどしてほしくはないのだ。 青山真治、阿部和重、中原昌也の「シネコン!」という本が出たばかりだが、いいものはいい、だめなものはだめという言い方が痛快で楽しい。伊丹十三やら「シュリ」やら「ハリーポッター」やら、わかりやすい程にだめなものではあるが、公然とだめなのだと言っておく必要、あるのだと思う。「赤影」観ました? 「観てないけど、あいつもクズですよ、きっと!」と返す青山氏の発言も当然だと思うのだ。その一方でジョン・カーペンターの「ゴースト・オブ・マーズ」の超傑作ぶりがしっかり評価される。うーん、この感覚胸が痛むと思ったのは同じカーペンターの大傑作「ゼイリブ」を観て映画館から泣きながら出てきた男の話。何を言うかと思ったら「みんなこれを駄作と言うんだろうな」と。どうしてこれほど世間的な評価とかけ離れていくのだろう。どうしてイーストウッドの新作が1週間のみの上映で、「ハリーポッター」だったか「ロード・オブ・ザ・リング」が複数館でのロングラン上映という現象が起こってしまうのだろう。このようなことを言うと「映画を特権化しようとしてません?」と言ってくる馬鹿もいて、本当に殺意さえ覚えそうなのだが、青山氏は「単純に『ファム・ファタール』つまんないっていう人はバカ! 『ゴースト・オブ・マーズ』わかんないとか言ってるやつはバカって言うしかないんですよ」という。その発言には激しく同意するのだけれど、喧嘩するほど突っ込まれないんだよなあ。映画が好きですとはよく聞く言葉だが、本当に映画が好きな人など、実はそれほどいないのではないだろうか…。

6月23日 世界各地を実際に渡り歩き、音楽や音の研究を続けた小泉文夫は大脳生理学の研究者との対談にも及び非常に興味深い。例えば機械から出る純音をノン・バーバル(非言語音)の代表、人間の声を材料に「あ」の音を「あー」と伸ばし持続母音として聴かせる。正常な日本人だと、母音は左脳、純音は右脳が優位になる。ところが西洋人の場合、純音は同じなのだが母音も右脳で聴いているというのだ。これはポルトガル語を話すブラジルやベネズエラ、ペルーなどのスペイン語圏の人間も同じらしい。アメリカや南米で育った日系2世3世にも同様の実験を試みたところ、これも西洋型。従って音の認知に関する違いは遺伝によるものではなく、言語によるものであることが判明している。日本人と西欧人の右脳と左脳の活用の仕方は大きく異なり、整理すると日本人は左脳で言語音、子音、母音、感情音、動物・虫・鳥等の鳴き声、邦楽器音などを聴き、右脳で音楽、西洋楽器音、機械音、雑音を聴く。これに対して西欧人は左脳で言語音と子音を聴くだけであとはすべて右脳で聴くのだ。研究者の角田忠信氏はこうした研究のとっかかりが「コオロギの鳴き声」に端を発したことを述べている。日本人はコオロギの鳴き声に情緒的な反応を示すと思うが、それは言葉を理解するほうの左脳で聴くからで、西欧人の場合は雑音を処理するほうで聴くという違いがあるからなのだ。日本人は理性的なもの、感情的なもの、自然界にあるものを左脳で処理するが、西欧人は理性的なものと音節単位の音は左脳で処理し、それ以外を右脳で処理する、つまりロジカルなものと感情的なものをはっきり分けて考えるという違いが明確に示されている。  

 音楽的なことでは楽器に関する聞き分け方の違いもある。三味線、尺八、笙などの伝統的邦楽器の音は日本人の場合、左脳の言語脳。ところがヴァイオリンやフルートなどの西洋楽器は右脳にいってしまう。意識的なものではなく無意識に処理されるという。音楽とは耳で聴くのではなく、脳で聴くものなのだ。楽器別にどのような違いによって処理をするかといえば、これは日本語のもつ母音の強さに起因し、母音の構造に似たスペクトルをもった音が入れば、日本人は言語脳に組み込むようにスイッチが入ることになるのだ。このような形で考えていけば、日本人は左脳の使用が過多の状態であり、西洋音楽を聴くことは日本人の空いている非言語脳を活用することになる。母音を伸ばした音を西洋人はあくまでノン・バーバルなものとしてとらえ、日本人は言葉でとらえることになり、母音の差は非常に面白い。だから西欧人の作曲家が尺八などの邦楽器の手法をフルートやオーボエに使ってもノン・バーバルなとらえ方になるし、邦楽器そのものを導入しても同様の解釈になるわけだ。これは日本人が聴いたときの違和感を説明する、ひとつの回答になるだろう。日本語には雨が「しとしと」降る、「さめざめ」と泣くなど副詞的表現が多いが、形容詞は少ない。それは本来、音でないようなものも擬声語で表現してしまうからで、ノン・バーバルな音さえ言葉にしてしまう日本人の特異性といえる。犬の鳴き声の表現は日本人と西洋人でまったく違うものだが、聴いた通りに表現する西欧人に比較し、「型」にはめがちな日本人という側面を示すものではないかと両者は指摘している。知的というよりも情緒に走ってきた日本人の音楽的感性。それはバランスのとれた脳の発育が必要だという方向性を示すことになるのだが、この対談は、実は30年近く前に行われたものなのだ。その間に日本人の音楽的感性もずいぶんと変わってきた印象があるけれども小泉氏から学ぶことは未だ多いと思うのだ。

6月17日 ひょっとして小津安二郎ほどパンクで変態で謎だらけでなかなか理解されがたい映画監督もいないのではないだろうか。変で変で変で変で、こんな変なことする人いないよな。小津シンポジウムを読んでいるとあらためて背筋が凍りそうなくらい、変な映画を撮っていたことがわかってくる。いわゆる映画の文法を無視した逆目線にしても(要は会話している二人の目線が合ってない)、澤井監督は退屈なカットバックを避けようと絶望的な格闘をした果てに体得した相似形の様式美、という説明をするのだが、初めて観るものにとってはどこか居心地の悪さがあるのではないだろうか。ある監督が静的なシーンを撮影した作品を海外で上映した際、「禅・俳句・小津」という言われ方をしたという。小津は日本的なイメージから最も遠い作家の一人、それは単に映画であるということでしかないとも思うが、例えば小津の描く女性像についても、戦前の作品では着物姿の女性に拳銃を持たせたかと思えば、戦後は拳銃を手ぬぐいやタオル、洗濯物、背広や和服に持ち替え、それをドサリと投げ出すことで女性たちが怒りを表現する手段に使われる、と蓮實氏は指摘する。これは静的などではなく、とんでもなくアクション的なシーンなのだ。「監督小津安二郎」を読めばわかりやすいが、決して階段が映されないことで宙づりとなる日本家屋の2階。これは女性の聖域としても表現されるのだが、一度階段が撮影されることになれば、それは「風の中の牝鶏」で田中絹代が転げ落ちる惨劇の場と化す。黒沢清氏のコメントが面白いのだけれど、あの死んだはずの田中絹代はゆっくりと立ち上がるし、他の登場人物も死んでいるとしか思えないと説明するので、黒澤さんが話すとそれはもうホラー映画のように聞こえてしまうのだ。

 小津映画、それは静かで退屈で同じような物語ばかりで、などと思われている方はいないだろうか。吉田喜重監督は「反復とずれ」という表現によって、小津作品を説明する。それは人生もまた同じなのであって、小津は淡々とした日常を繰り返し描きつつ、最後には繰り返すことのできない瞬間、それは人間が死ぬことである、という文脈で語っていく。観れば観るほどはまりこんでいくのが小津映画であるし、わからないことだらけになっていくのも小津作品の魅力だろう。監督たるもの必ずやこの小津的なものに影響される時期があって、「小津抜き」の時期が必要だったと語るのは青山氏。黒沢さんは小津など存在しなかったのごとく振る舞いながら撮影に臨んできたと語っている。阿部和重氏は「映画覚書」で「ハリー・ポッター」のクリス・コロンバスを批判するにあたり、ハワード・ホークスの「酋長の身代金」から何を学んだというのだと述べるが、同じ原作で撮影された小津の「突貫小僧」などコロンバスはかすりもしていないだろう。「突貫小僧」は「酋長の身代金」を上回る面白さなのだ。ホークスを上回る小津安二郎のすごさとは何なのだ。あえてここであげる必要もないが、そのような次元で映画を考えていくとき、日本の巨匠として必ず名前のあがるもう一人の黒澤など、あまりにも映画に対してまっとう過ぎて観ていられないではないか。映画への畏れなく観ることも撮ることも本当は許されないのではないだろうか。

6月16日 昨日巻上公一氏のライブ。巻上の新ステージということで、かなり刺激的な内容。巻上、声&テルミン、にコンピュータとターンテーブルという編成。そうだった巻上さん、ホーメイの人だった。思えばヒカシューのボーカルもテクノを能で歌うというイメージがあって、「ずれ」というか「違和」というか、テクノでは括れない妙な突出感があるのだ。ホーメイやら名称は忘れたが、声帯を使って妙な声を出す技巧をいくつか活用しながら発声する、変な声の数々。あの「違和」が今、いかに変な声を出すかという、つまり「歌唱」からいかに離れていくかという「違和」へ向かっているのだろうか。昨日見ていて痛感したのは、人間ってかなりの音をもっているのだなという発見はもちろんなのだが、つくづく声とは呼吸と筋肉なのだなあということだ。筋肉ってことは鍛えられるということ。パワーアップもすれば、老化もする。己の知らぬ可能性も秘めている。声へのこだわりはその人間を改造もするだろうし、思考を変える可能性があるとさえいえるだろう。 巻上パフォーマンスの面白さはそれだけにつきない。テルミンをそこに組み合わせ、しかも自ら「少林テルミン」というように、ブルース・リーがテルミンを演奏するかのような身振りで面白おかしく自分のものにしてしまう(顔は座頭市に似ていた)。正直言ってあのテルミンというやつはどうやっても面白い演奏のできる楽器には思えなかったのだが、巻上ワールドにあっては自然にとけ込むひとつの楽器となり得ていたし、何より身体のパフォーマンスを導く装置として機能している。それにしても、テルミンを前にしたときのあの動き、カンフー映画を観ての真似だけじゃないのだろうな。ブルース・リーのようでそうじゃないし、かといって何だか形になっているし、そのようなこともきっと修得されているのではないだろうか。何となく気になったことなのだけど、あれだけ身体を使っていながら、汗をかいているように見えないのが、不思議でしょうがなかった。拳法やら呼吸法に関することやら、身体的な訓練がきっと成されているに違いない。

 少林テルミンはとくに前半爆笑さえさせてくれる面白さだったが、巻上さんに好感をもつのはいい意味のデタラメさを感じさせてくれることだ。トゥバ語だっけ。あれ、勘違いだったらごめんなさいなんだけど、デタラメにやってると思うんだよね。大目的のためにはけっこうデタラメな部分があっていいんだって面白さをみせてくれる人が最近全然いない。ジョン・フォードとか小津安二郎のデタラメさってすごいよ、だって。だいたい何かってと秩序に向かうご時世でしょう。とくに若い世代の方。えっと思わないでほしいけど、こんな言い方したくないけど、煙草への異常な排除指向とかさあ(公共の場での喫煙廃止はナチスドイツが最初)、あほみたいに生真面目なことを言うのは若い世代のほうがすごいんだよね。世代論なんかするつもりないけど。スポーツと映画に絡めたそのへんの指摘、蓮實さんの「スポーツ批評宣言」読んでくれたほうが早い。若者は秩序に向い、老人のほうがデタラメなことを平然としているというところ。で、巻上さんのライブにもそんなデタラメぶりが感じられるということなんだけど、もっともっといっちゃってほしいということは感じました。6月14日 締切を引きずってるもんで、なかなか本がゆっくり読めなくてもどかしいのだけど、小泉文夫の著作は音楽の根元性を考えるうえでとても勉強になる。実は自分も見に行ったことがあるのだが、インドネシアに銀細工の街があって、コタ・グデという名前だと思ったが、ここの工房のおっちゃんたちは大小のハンマーをもっていて、大きなハンマーを持っている人はガーンガーンと大きなハンマーで叩いて、中くらいのハンマーのおっちゃんはトントンと早めに叩く。で、もっと小さなハンマーのおっちゃんはテンテンと刻むわけ。小泉さんはそこを正確に再現するのだが、大きなハンマーひとつに対して中ハンマー2個、小さなハンマーの音4個がそこにぴったりと入る。仕事の具合で打てない場合ももちろんあって、ときどきとぎれるのだけど、再び打つときはしっかり他の人の音を聴いたうえで、それに合わせてぱっと入るのだ。人数が多いとこれはシンフォニーになるのですねえ。そんなふうに小泉さんは風土とリズム、ということで各地の音を紹介してくれる。当然こうした視点は西洋と東洋の違いについても言及していくことになるのだが、水田農耕の地域にあっては身体的重心は腰にあるから常に安定し、つまりそれはどんな動きのときにも静止可能な「静」的な動きを生む。阿波踊りの腰の低さはアクティブなようで実に東洋的なものだ。一方、ヨーロッパの民族舞踊には跳躍やステップを基本とする身体の上下動がよくみられる。これはその土地のもつ風土から当然派生するもので、アフリカ人の踊りだって乾いた土地から生まれた特有のものだといえる。沖縄でさとうきび畑の刈り取りのバイトを住み込みでしたことがあるが、鎌で刈り取るおっちゃんが歌を歌うと、後ろで皮をむくじいちゃんとばあちゃんがそれに歌で返す。それは誰もレコーディングなどしやしない、まさにその瞬間でしか聴けない感動的な労働歌だったのだけど、風のイメージのような歌だった。生活の音、ということで言うと、イランの物売りは詩情があって豆や木の実を子供に売る行商人は歌のように詩のように朗々と綾を成して唱えると小泉さんはいう。かつての日本の行商人たちも、豆腐屋、錠前屋、飴屋、風が吹くといっせいに鳴り出す風鈴屋など実に風情があったではないか。そういえば山中貞雄の「人情紙風船」には、金魚屋が登場しますねえ。あれも物語にはあまり関係ない人だけど、よかったなあ。たしか「こう毎日、金魚金魚といってると俺が金魚なのか、何がなんだかわからなくなっちゃうよねえ」みたいなことを言ってグチるんだよね。実は今ホッピー飲んで酔っていて、話をどこにもっていこうかまるで考えていないのだけど、つくづく現代は音に風情のない時代になったものだということは確実に言えるな。

6月11日 締切の中、蓮實さんの「スポーツ批評宣言」読了。時間がちょっとでもあればむさぼるように読んじゃったという、めちゃめちゃ面白い一冊。サッカーと野球にちょっとでも興味があれば必読。映画論といっしょで目からうろこ、しかも爽快。映画と一緒でだめな人はだめであろう。過激だがつき合うべき人間をセレクトさせてくれそうな本でもある。映画関係では注目書が2冊。阿部和重の「映画覚書VOL.1」、そして今日ようやく昨年開催された小津シンポジウムをまとめた「国際シンポジウム小津安二郎」が発売された。小泉文夫の本とこの2冊、平行して読んでおり、今週は読書で忙しい週。今日、阿部氏、ぱらぱら読んでぽんと膝うったところ、「ハリー・ポッター」のだめさぶり。言うまでもないが、「駄目だ駄目だと聞いてはいたがあれほど駄目だとは思いも寄らず…」のくだり。まあ、言うまでもないが、以前、「ホームアローン」を観て卓袱台をひっくり返したくなったクリス・コロンバスの低脳ぶりのリフレインだ。中原昌也氏との対談が9.11の翌日というタイミングもものすごいものがあるが、我が意を得たりとちょっと思ったのはクリストファー・ノーラン。「メメント」、かなり面白かった一本だ。

5月29日 最近「東京JAZZ」という本を読んだのだけど、これ、タイトルがイマイチ中身と合ってないような気がするが、日野元彦が亡くなるまでの話を書いたもので、日野兄弟を通した戦後の日本ジャズ史という内容で、かなり面白い。ジャズ好きの日本人が、物真似から始まりながらも演奏者として、どう世界に通用するようになっていったか。登場する人物が多彩で、後に日本のジャズの成熟ぶりに貢献した主要な演奏家がほとんど登場してしまう。伝説のモカンボセッションでの秋吉敏子、守安祥太郎、渡辺貞夫らの若き日の姿の描写に始まり、白木秀雄の異常なまでの人気ぶり、アート・ブレイキー来日時の日本人の熱狂ぶりの凄まじさ、そして銀巴里セッションへと至り、金井英人と高柳昌行を核とする「新世界音楽研究所」のエピソードに移行しながら戦後史が浮かび上がる。ここに日野兄弟はもちろん、富樫雅彦、菊地雅章、稲葉国光、中牟礼貞則などなど錚々たるメンバーが集結し、セッションを繰り返しながら、世界に追いつき追い越せというむんむんした熱気が十二分に伝えられる。日野元彦が晩年、地道に行ってきた「クラブ・トコ・セッション」は90年代初頭の日本のジャズ界の現状を危惧し、若手が腕を磨き、現状を打破するために始めた場であった。もちろんそれは、日野氏自身がかつて自分が体験してきた道程だったのだ。 ここで描かれる演奏家たちの姿の凄みは常に世界を想定しているということなのだなあ。この志の高さがさらに高いものへという具体的なステップを指し示し、そこに向かって全力で努力を重ねていく。凄まじいまでの向上心。そういえば、青森・Diskの鳴海さんにお話を伺った際、南郷のジャズ・フェス時のことだと思うが日野兄弟のお話が出て、元彦氏が両手の平を痛くて何ももてないという様子で上に向け、氷を要求したことがあったという。鳴海さん、「これは兄貴にしごかれたな」と思ったそうだが、十分名を成しているにも関わらず、この練習ぶりは、表向きの華やかさとはまったく裏側の、人前には現れることのないエピソードだ。照準をどこに設定するか。それによって到達できるものはそれなりにしかならない。あるいは、それなりになる。要は技術論など軽く越える。そんなものプロならばあって当然ではないか。再び鳴海氏の言葉を借りれば、いかにハートを撃つかでしかない。ハートで聴いてんだよ、音楽はよ。以下、いろんなこと考えると何故かだんだん腹が立ってくるので省略。

5月27日 「キル・ビル」のvol.1、どうも僕はだめだったのだが、vol.2、いいじゃないですか。するってえとvol.1もちょっと見直さねばならない面があるのだが、タランティーノの最早定番となった時間軸の交錯する物語構成を理解するにはvol.1とvol.2の一挙上映をお願いしたいところだ。vol.2では冒頭のモノクロ場面が圧倒的によかった。あそこ、西部劇だよね。扉が開いて外が見えてと言ってしまうと、もう「捜索者」ですから、いくら何でも褒めすぎになってしまうんだけど、あの空気感は素晴らしい。それとデビッド・キャラダインがいいんですねえ。それと、ほんとの最初の場面、青いスポーツカーで走るユマ・サーマンのところ、あれやはりスクリーン・プロセスでしょうか。実写を加工してるんじゃないよねえ。いずれにしても、ああいうのやられると弱い。映画といえば、これはスクリーン・プロセス! この嘘が俺は大好きで大好きで。しかもばっちりキャメラ目線で説明するでしょ。ユマちゃんが。この掟破りは快感だ。まあ全編通して観ていると、アメリカ映画があって、日本映画があって、香港映画があって、セルジオ・レオーネがあって、本当にエンニオ・モリコーネがかかって、チャールズ・ブロンソンもにおってきて、と。タランティーノって人はシンプルに映画好きなのがよくわかる。これだけ高らかにというか、愚直なまでにというか、映画好きであることを臆面もなく映像化できる人間はやはり貴重だと言わざるおえないのではないだろうか。CGではなく、スクリーン・プロセスへのこだわりということだけでも、いいじゃないですか! と言いたくなってしまう。困った人、タラちゃん。 ところで先日、今年のアカデミー賞授賞式っての見たのね。まともに授賞式見たの、気づけば初めてだった。司会はビリー・クリスタル。冒頭からミュージカル調で、主要映画作品について替え歌もどきで冷やかすわけだ。今年は「ミスティック・リバー」があるので、手前にティム・ロビンス、後ろにショーン・ペン、その後ろにイーストウッドが座っていて、クリスタルはミュージカルの歌曲にのせて、イーストウッドさん、あなたは作る作品すべて当たる人だが、孤高の人、猿と共演したこともある(ダーティ・ファイターのこと?)し、「ペンチャー・ワゴン」では歌まで披露した、でも歌だけはもう歌わないでえー、なんてやって大受けするわけだ。アメリカ人のエンターテイナー精神ってのはやはりすごいものがあると思ったなあ。この点、日本人は徹底していない。 アカデミー賞って、まあ賞そのものは歴史をみればわかるように、評価すべきものを評価せず、たまに勘違いしてまぐれ当たりして(「許されざる者」のときのように)、全然権威のない賞じゃないですか。海外向けで、商売のための賞と言うか。でも、人のたくさん出てくるところが面白いと思ったなあ。当たり前の話なんだけど、映画って人が作ってるんだなあってことを感じた。というのは一部とはいえ、裏方さんも出てくるからなんだよね。美術やら録音やら特撮やらメイクやら。んで、みんな、感謝すべき人の名前を忘れないよう、紙に書いてきていて、壇上で一々ポケットから紙を出して読み上げるわけ。スタッフと最後に妻やらママやらパパやら家族の名前を呼ぶのがパターンで。これはみんなやることが同じなんで、さすがにあきてくるけど。ただ、名誉賞は競うものではないので、あらかじめ決まっているからリハーサルができる。今回はこれをブレーク・エドワーズが受賞したのだけど、車椅子で横からビューッと飛んできて、オスカーだけかっさらって逆側の壁に激突すると。で、ぼろぼろの風体で再び壇上に戻り、スピーチでちょっと気の利いたことを言うわけだ。そうすると、エドワーズごときでもなんかすごいことをした人に見えてくるから不思議。イーストウッドが映る場面もそうなのだけど、老人が登場するからいいのだろうな。老人は叡知の象徴的な存在で、若い世代がそこから知恵を授かっていくという映画的な感動を生むんじゃないか。 物故者を追悼するところでも、キャサリン・ヘップバーンが出ると、やはりため息ものだったからなあ。「赤ちゃん教育」の1シーンなどやはり素晴らしい。あの会場の人達、どのくらいホークスを見ているかは疑問だけどね。「ミスティック・リバー」チームは観てるよね。コッポラ家も観てるよなあ。「ロード・オブ・ザ・リング」チームはどうだろう。あやしい。まあ、エドワーズの名場面集を見ていると、ああもう全然だめ、この人なんて思ってしまうんだけど。人がたくさん出てくるのは面白かったけど、顔がだめになってきたってことも実は感じた。しかも、今時の映画、映画終了後のタイトルロールをみればわかるけど、半端じゃない数の人間が映画製作に関わっている。一体いつから人間がこれほど関わらないと映画はできなくなったのだ? 人が多い分、リスクも高い。しかし、ゴダールを観れば分かるように、人がいなくても傑作は生まれる。人間の数の多さと顔のつまらなさ。これが今のハリウッドかとちょっと厳しいことも感じたが、しかし、映画にこんだけ人が集まってくる国もないのだから、これは悲観的な意味ではない。さすがに「ミスティック・リバー」チームは存在感あったもんな。あとトム・クルーズ! いいですねえ。  

5月21日 大友良英という人はやはりかなり面白い人ですね。たとえば、40~60年代のジャズの録音に関して、今より遙かに機材はよくなかったにもかかわらず、録音はよかったと。ところがある時期以降はすべてがハイファイになって、肌のぽつぽつまでみえちゃって面白くない。ところが昔の時代劇のテレビは暗い、陰影のある良さは録音にも当てはまることなんだってなことを語っている。昔のテレビって表現が全然映画を知らないことを暴露しちゃってまずいんだけれど、映像についてはその通りだと思う。撮影技術的なことで言うと、フィルム・ノワールの―戦時下体制の電力制限による現実問題を孕んだ撮影方法ではあったのだけど―イメージで捉えることもできるし、それ以前に映画黄金時代(明快に30年代~50年代)の撮影、というより演出の問題、それは何を見せ、何を見せないかという聡明な映画のあり方と重なる発言なのだと思う。すべてを明確に見せる必要はない映画と同様に、ジャズもすべてを明快に聴かせる必要はないのだという視点は面白い。ハイビジョンは鮮明で美しいかもしれないが、では「人情紙風船」の三村明の撮影はどうしてくれるのだ。グレッグ・トーランドは? 光があって闇があるという当たり前のことを感じさせる録音が本当はあってもいい。そのことについて大友は、シカゴの音響派にはあるのだと指摘する。別にジャズと映画を結びつけながら考えていこうと思って書き始めたわけではないが、20世紀に発達したジャンルとして、比較的歴史の長さも近く、どこかつながりを感じてしまう。そもそも音楽と映画はよく似ているではないか。両ジャンルとも70年代に急激に失速したのは面白いことだ。60年代、映画史はテレビ台頭、撮影所システムの崩壊、やがてあの悪名高き(好きな方も多いのでしょうが)アメリカン・ニュー・シネマの登場、などといったことから映画は完璧に壊れてゆく。一方、ジャズはモードとフリーの嵐が吹き、デューク・ジョーダンがタクシーの運転手をしたとか、ミンガスが郵便局に勤めたとか(本当?)、米国で活躍したジャズ・ミュージシャンたちがどんどん職を無くしていく。 70年代のジャズ・シーンはフュージョンの登場とベテラン勢の復活といった特徴はあったものの、ジャズ離れが加速した残り香のような時代だったのではないか。しかし、ジャズと映画の違いは技術の継承という点が最も大きいことだと思う。音楽は当然個人がいかに楽器を演奏できるかという力量が求められるので、ひたすら練習し音楽理論を学び先達に学ぶ姿勢が必要だ。マイルスやパーカーがやってきたことへの評価、その後進となる世代への評価、幾重にも時代の裾野を広げながら、先達に学ぶ姿勢は当然あるでしょう。映画にはそれが感じられなくなってきているのだなあ。若い人がパーカーを発見するようには、マキノ正博は発見されていない。そんなもの挙げていくときりがない。技術を学ぶという姿勢において、スタジオシステムの崩壊後は分断されたイメージがある。技術が継承されていない。感動してないんだろうね。というか、どこに宝物があるのか全然わかられていないと言うべきか。遡ればいいだけの話だと思うのだが。なんでジャズではできて、映画はだめなのだろうか。もちろん技術偏重はよくないし、技術力をもって特権意識をもたれるのも困る点だ。話はとめどないが、所詮日記上の戯言なのですから。技術力による特権性みたいな優越感をもってジャズが聴かれた時代はあったのでは。大衆性を馬鹿にするジャズ・ファンみたいな構図もあったのでは。これはどっかでジャズへの入口を狭くしてきたのだろうなあ。カサンドラ・ウィルソンだっけ? もっと音楽家を尊敬すべきだなんて言った奴。彼女の音楽はたいへんなものだと思うし、好きなんだけど、そのようなことを言われると、なんぼのもんじゃいと。どこぞの世界にも居丈高な人間というのはいるわけで。いや、話は大友さんだったのだな。録音に闇があっていい、という素晴らしく想像力を刺激してくれるような発言を聴いたので、つい色々と思いが巡り。この人のスタンスでジャズをどうできるかというのも面白いのだけど、要するに、音響でアドリブは可能かと。音そのものがそのバンドにしか出ない音であれば、そのアンサンブルはグルーブ感も出るのではと。この人にとってはエリントンもベイシーもギル・エバンスもそのように聞こえるというのだから面白い。で、メンバーに要求したのは、反応するな、盛り上がるな、響くアンサンブルだけ考えろと。ここに録音の話がシンクロしていくのだけれども。ONJQで取り上げたきた曲はオリジナルの他、チャーリー・ヘイデン、ジェームス・ブラッド・ウルマー、レノン・マッカートニー、ミンガス、ウエイン・ショーター、ジム・オルーク、そしてエリック・ドルフィーなど。やっぱりドルフィーなのかあ。この人は本当に未だに何をしようとしていたのか謎だ。興味津々だものなあ。「アザー・アスぺクツ」があるでしょう。あれを聴いてしまうと、現代音楽とかインド音楽とか、完璧にジャズのフォーマットから逸脱して、次の音楽を想像しようとしていたことが伝わってくる。あまりにも未完成なのだけど、たいへんなものを残してくれたものだ。大友さん、いつか本格的にドルフィーを取り上げると言っていて、これは興味ありますねえ。

5月20日 函館出張時、「ドーン・オブ・ザ・デッド」。もちろん、タイトルからして、79年公開の「ゾンビ」のリメイク。ホラープラスアクションという新たな金字塔をうち立てたジョージ・A・ロメロの傑作を踏襲し、アクション仕立てにはなっており、それなりにがんばっている。何と言っても、今回のゾンビ、全力疾走で追っかけてくる。しかも死んだ後、即甦るところが新解釈。全力疾走って聞いただけで怖いんだけど、その分アクション度確かに高まってはいた。でもなあ、ゾンビものって言い方変えると、釘と板の映画じゃないですか。それでバリケード作って、少しずつゾンビに浸食されていくところがいいんだよねえ。食われるときも、一気にいかれるんじゃなくて、少しずつ食いちぎられる、拷問のような感じ。スピード感が増した分、そのあたりのじっとりとした描写がなくなってしまったのが残念。ゾンビはいったんつかまるとやばいんだけど、とろい分、走り抜けられると、それでも捕まってしまうというサスペンスがやっぱり面白くて、トラックやら梯子やら使ったサスペンスがロメロ版、やっぱりよかったなあ。サビーニ版の「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 死霊創世記」もしっかりそこを発展させた上での展開で楽しめたし。袋詰めのゾンビ、撃つところなんかイカしてたんだけど。ビルの屋上のこっちと向こうのやり取りなんか、今回面白かったけどね。でも、ラストのちらちら見せる島上陸後の映像は余計。物語を全部見せればいいってもんじゃないと思うのだが。

 ところで昨日久々に「真夏の夜のジャズ」再見。けっこう散漫なところ多い映画でした。一応、これもドキュメント風に作ってるけど、相当作り込んでるね。冒頭、車で演奏しながら来る人たちが最後寝ちゃってますとか、パーティのようなシーンでビール飲むのに、苦労するおじさんとか、海岸をふらふら酔って歩くねえちゃんとか、完璧演出。ロバート・フラハティの「アラン」など観てしまえば、もはやどうってことない演出なのだが、つまりドキュメンタリーという区分けなどにまったく意味はないということだけど、意外とやりすぎてる印象。ミュージシャンばかりみせる必要はないと思うけど、観客と海岸くらいでいいような気が。それと最後はマへリア・ジャクソンで終わってますが、マへリア嫌いじゃないけど、映画的に余計だった気もする。あそこ長く感じる。サッチモで終わりでいいだろう。意外とケチをつけたくなる映画だったな、昔は感動して観ていたが。それにしてもレッド・ガーランド、最近惚れ直しちゃって。この人、何やってもいいね。ソロ・アルバムもいけてるもんね。「マンテカ」もやっぱりいい。

5月19日 3月下旬から東北取材に始まって原稿書きアンド会社の締切で怒濤の日々がほぼ二月。その間、身辺の変化といおうか、生活パターンの変化がいろいろとあった。朝、早起きになってしまったのも不思議な変化なんだけど、原稿って夜書いたほうが完全に行き詰まる。そういうとき考えても全然だめ。諦めてさっさとホッピー飲んで寝て、翌朝書いたほうがずっと能率的なことを身をもって体験。朝の寝ぼけた状態で、昨夜苦しんだ原稿、なぜか3枚も一気にいってしまったこともあった。一番の変化はふとしたきっかけで食の嗜好が変わってしまったこと。肉より魚、間食なし、野菜大好き、ラーメンなどほとんど食べることなし、そのかわり蕎麦大好き、と一気に変わってしまったのだ。何ということだろう。しかも、あれほど早食いだったのに、ゆっくり食べるようになっちゃって。どれも無理してやろうとしたことじゃなくて、自然の成り行き。それは突然やってきたのだ。気づくと体重も激減(といっていいと思うんだけど)、3月下旬からみると、もう、一気に7~8キロもおちてしまった。これって歳をとったってことなのかな。こんなふうに嗜好の変化って突然やってくるものなんだろうか。俺の場合、ケンタッキー・フライド・チキンに行って、フィレサンドを注文、食べようと中を見たら、脂がギトギトしていて突然気持ち悪くなったのが、ことの始まり。それとも何かの病的な症状なのだろうか…。5月16日 書くべき原稿すべて終了。あとは校正のみ。終盤は会社の締切と重なり、ほぼ死んでました。でもこの一月半欠かさずホッピーちゃん飲み続けました。この飽きなさぶりもなかなかすごい。ジャズとホッピーはかなり合うのではないか。ジャズもすごいがホッピーもすごい。やっぱり愛すべき存在だ。だめな人は全然だめ。好きな人は大好きとまっぷたつに分かれるホッピーちゃん。これはアルコール界の徒花。これだけではアルコール飲料として成り立たないという、か弱き存在。私はそんなホッピーちゃんを愛さずにはいられない。断固擁護するぞ! ホッピーちゃん。

5月10日 父が弘前のスガでもらってきた土産、アート・アンサンブル・オブ・シカゴのチケットなんだけど、ただのチケットじゃない。レコード一枚がすっぽり入る袋になってて、デザインむちゃくちゃかっこいい。面白いことやるよなあ。で、そこで聴いて感動したとCDを買ってきたのだが、ビリー・バンの最近のリーダー・アルバムで、ベトナムがテーマ。これ、かなりいいです。ビリー・バンって検索すると、ほとんどビリー・バンバンばかり出てきます。ところで大友良英のONJQ、ドルフィー、ショーターの曲の他に、ジム・オルークの「ユリイカ」やってたんだ。いいじゃん。

5月5日 本日ようやく書くべき原稿すべて終了。残りは伝言板の取材数件程度。はー感無量。3月下旬からの長い日々だった。新聞ほとんど読まず、テレビ完璧観ず、長いジャズ合宿から帰ってきた気分。もちろん、明日から本職の締切とジャズ本の校正の同時進行で気が抜けないのだけど、ゴールデンウイーク丸つぶれだし、いったん勘弁してくれ、という感じ。めちゃくちゃ集中してジャズ聴いてました。感慨多数。あらためて惚れ直した人、レッド・ガーランド、ジミー・ジョーンズ、マーティ・ぺイチ、複雑な思いになっちゃった人、ジャッキー・マクリーン。聴いてて興奮させてくれた人、アール・ハインズ、聴きながら泣けた人、レスター・ヤング、サッチモ、ぶっとんだ人、ディジー・ガレスピー、笑わせてくれた人、ディジー・ガレスピー、オーネット・コールマン、聴き惚れて原稿書けなくなった人、ブラウニー、背筋に寒気が走った人、ハービー・ニコルス、マイルス・デイビス、しみじみさせてくれた人、アート・ファーマー、ズート・シムス、アート・テイタム、こいついい奴じゃんと思った人、ブッカー・アービン、おかずが気に入った人、アラン・ドーソン、近寄りがたいけどやっぱりいいなと思うけどやっぱり怖いと思った人、アル・ヘイグ、はっきりとしろ!と思った人、ウエイン・ショーター、いい組み合わせだなと思った人、エリック・ドルフィーとトニー・ウィリアムス、しびれた人、デューク・エリントン、意外にやな奴だとわかったけど、でもすごい人、スコット・ラファロ、天才と思った人、フレディ・グリーン、単純にカッコいいと思った人、ジェリー・マリガン、ナット・キング・コール、ウエス・モンゴメリー、弱っちーと思った人、デューク・ジョーダン、好きだけど疑問符が頭に残る人、ジョニ・ミッチェル、変態だけど好きと思った人、ドン・エリス、頭いいなあと思った人、バリー・ハリス、実はずっと支えになってくれたような気がする人、カウント・ベイシー。

4月26日 未だ毎晩原稿書き。もう一ヶ月、こんな生活。視力たぶん落ちました。体重減りました。別に愚痴じゃないけどね。けちつけてくる方もいるし。毎日こんなジャズ漬けの生活をするのも久しぶり。ある方と盛り上がってあらためて聴いたブレッカーの入ったマイク・ノック盤、やはり傑作。マイク・ノックって検索すると、横山ノックがマイクを持って…とかいう文章が出てくるんだよね。ちょっとハマったのはアケタ・西荻・センチメンタル・フィルハーモニー・オーケストラ。アケタさんらしい頭の中でふらふら浮かんだメロディーをオーケストラでやっちゃうという馬鹿馬鹿しさ。のようでやっぱり切なくて感動的な演奏なんだ。昨日何度も聴いていたのは、トニー・ベネットとカウント・ベイシー楽団の共演盤。一曲だけ、フランク・ウエスのフルートとフレディ・グリーンのギターだけで歌っている。「グローイング・ペインズ」という思春期の痛みを歌った曲なんだけど、じーんときました。

4月17日 ジャズ雑誌作業佳境に入ってる。締切間に合うか。ちびしーかも! それにしても世の中どうなってんだ。馬鹿、ますますうすら馬鹿の時代に入っていくぞ。それはCCCDの話。要は国内盤として発売されているCDの輸入盤は法律で国内発売が禁止される。そういう法案がまもなく成立しようとしているわけ。当然格安のネット販売もできなくなるだろうし、弊害はいろいろ考えられる。おまけにその国内盤となるCCCDなるもの、くうの方のお話では非常に音質悪いと。ジャスラック問題もあれば、日本の音楽業界、いったいどこへ行こうとしている! わかりやすくまとめたサイトがあるので興味のあるぜひご覧になって。署名運動も始まっている。http://sound.jp/stop-rev-crlaw/四谷いーぐるの掲示板でもそのことについていろいろお話出てます。別の話。書店で小説を短く要約したものが売れてるっての、あれなに? 単に筋がわかればいいということなの? ちょっと意味がわからないのだが、小説を全部読むのは面倒だから、筋をまとめたってことなんだろうか。だったら読まなきゃいいと思うのだが、筋を知りたいというのがわからない。それ小説じゃないよね。そういう発想だと音楽はどうなのか、映画はどうなのか。まさかね。短編のブーム(があるかどうかは知らないが)、ショートフィルムへの関心はそれに近いのだろうか。要は体力がなくなってきたってことで。わかりません、僕には。以前、身近なところにいたやつで、よくよく映画について話していくと、そいつ「映画は筋」って言い出して、そりゃあマキノさんは「1スジ 2ヌケ 3動作」って言ってたわけだが、それとはもちろん違う話で、原作物は必ず読んで映画と比較するわけだ。筋を。で、小説のほうが面白いと発言することが多かったりして、こっちは映画と小説を筋で比較するってなんなのと、映画は筋じゃないじゃん、この映画面白いじゃんって言うんだけど、結局彼にはわからないの。もちろん筋も重要なんだけれどもね。で、たまに会うと最近映画観た?って話題になって、結局そういうやりとりになって、同じ話の繰り返しになるんだ。いい加減こっちも頭に来て、じゃお前映画好きじゃないんだよ、映画観んなよと言って、つき合いをやめることにしました。そうなっちゃうんだよね。彼には彼の人生があるし。

4月10日 昼夜別々の締切におわれながらの生活パターンで万年睡眠不足状態だが、気がはっているので疲労感はあまりない。妙に規則的な生活になって、食生活もすっかり健康的でかえってよかったりして。今日は早朝5時過ぎに起きたので、例によってスカパーの録画をしようとテレビをつけると「接続」という韓国映画。最近映画を観る時間があまりないのでしばらく観ていたが、ひどい出来。映画のお仲間とときどき韓国映画はひどいと話題になることがあるのだが、あらためて観るとあまりにもひどかった。とくに切り返しを使った室内での男女の会話シーンなど、テレビですかと思っちゃったくらい知恵も工夫もない。目線のキャメラポジションだけ律儀に守りながら(それが本当に馬鹿がつくほど律儀なんだが)、要は映画的な感動を覚えたことのない人たちが、なぜ映画を撮るのかという疑問さえ持たずに、職業的にこなしているようにしか見えないのだ。そこには映画的アクションもダイナミズムも震えるようなセンスも、ああこんなやり方があったのか!という感動も何も生まれようがない。物語はメールやチャットでしかコミュニケーションをとれない男女が…ってまあぱくりネタなんだろうけど、それを日本の一頃のトレンディドラマみたいな感じでやっちゃう、解説によると新感覚の韓国映画だったんだそうだ。おしゃれな雰囲気と人気俳優と、あと適当な物語があれば映画が出来るのだろうか。やっぱりテレビだよね、それ。冬のなんとかの人気俳優が来日して、女性が群がっていたけど、あれでいいんじゃないの、テレビで。別にテレビを馬鹿にするつもりはないんだけどさ、「接続」レベルを映画でやるなんて、あまりにも映画を馬鹿にしている。思えば以前「シュリ」を観たとき、怒ったもんね、俺は。映画を自分の国のものにしようという志がなく、アメリカ映画を真似しただけ(それもだめなほうのアメリカ映画)で、なんでこれが大ヒットするのか理解できなかったんだ。映画のお仲間と韓国人は日本映画を観ていないのが致命的、という話題になるんだけど、韓国人の友人の話を聞くと、見事なくらい日本映画の知識がない。それも映画雑誌のカメラマンなんだから、映画への関心は高いはずなんだけど、黒沢明は知ってても小津は観てないし、山中貞雄を知っているはずもないし、マキノももちろん知らない。黒沢明は知ってても、黒沢清の名前が出てこないというのはもはや恥ずかしい事態ではないか。映画史的重要性はすでに逆転しているのだぞ! 今日は朝からとても腹が立っているのだ、俺は。

4月7日 ジャズ原稿はようやくレコード紹介へ移った。お題目はジャズ喫茶全盛時代の100枚。といっても俺自身はジャズ喫茶全盛時代を知らないわけなのだが…。今日は歌もの中心。サッチモの「プレイズW.C.ハンディ」。セントルイス・ブルースから始まるこのLP、じっくり聴いていると泣けてくる。いいですねえ、サッチモ。しかもブルースばっかり。もう何もいらん、俺はサッチモでいいんだって気になってくる。続いて「ビリー・ホリデイ・アット・ストーリーヴィル」。ああ、これもたまらん。「水辺にたたずみ」のいいこと。さらに「ニーナ・シモンとピアノ」。この最後のジャック・ブレルの「デスペレッド・ワンズ」の選曲が不思議でしょうがない。アレンジも奇妙。どっかに連れてかれそうな感じ。と書きつつも、書き始めるまではキップ・ハンラハンを聴き、朝はソニック・ユースを聴いていたという節操のなさ(でもないか)。ソニック・ユース、前から気になっていてようやく最近、というか今頃になって聴いたのだが、いいですねえ。すっかり気にいった。最初は家でベースの小田島君と聴いたのだが、彼のほうが反応してたようで。初期の作品もぜひ聴いてみようと思う。

2004年4月2日 このところ毎晩、ジャズ雑誌のための記事執筆におわれる。東北のジャズ屋巡りのルポ、思い入れが強くなってしまって、書いちゃ直し書いちゃ直しの繰り返しで。日中の仕事の締切も近づいてきているので、のんびりもしていられない。それにしても64年にジャズ喫茶を開業し、しかもジャズというジャンルにとらわれることなく柔軟な姿勢で音楽と向き合ってきたマスターの話は非常に勉強になる。決して教条主義的な意味でばなく、音楽の聴き方教わりましたーってところがあったものなあ。「ジャズなんてレコードの時代で終わってんだよ」という一言、やっぱり誰にでも言える台詞ではないだろう。この人の一回り下の世代のマスターから聞いたエピソード、もう完全にいっちゃってて、他県のジャズ喫茶マスターをも巻き込む大騒動で、あまりにも面白すぎる内容で、俺はそれを書きたくてしょうがない。しかし、これは地元の人達からこそ述べられるべきもの(実際にそのような動きがあったらしい)だろう。こんな破天荒な人、いや、だった人だけど、いまどき珍しいよ。 最近仕事中に聴いてるのはノラ・ジョーンズばっかし。あとはドン・エリスかな。「エレクトリック・バス」も傑作ですねえ。

 

2003年8月22日 ぼうっとテレビをつけっぱなしにしていたら、「アトミックトレイン」という作品を放映していて、いわゆるパニックものでそれなりに楽しめた。ロシア製の核爆弾が密かに積み込まれた列車のブレーキが突然きかなくなって、この先はほとんど下り坂でやばいですと。近くに居合わせたロブ・ロウがヘリから飛び移って、いわゆるヒーローになるのだけど、列車が止まりそうになるまでに約1時間。後半はロシア製の核爆弾が積み込まれたことでのテロものになっていて、近くの町の住人が逃げまどいつつも電器屋から略奪したりで無法地帯と化し、結局、核爆弾は信管をはずせず爆発するんですな。で、町一個だめになって相当な数の人間が死ぬ。もちろん、ロブ・ロウ及び再婚したばっかのかみさんと、継父に馴染めずに反抗していた息子などはコンクリ管に隠れたおかげで助かるのだけど。で、最後は全然人望のなさそうな大統領が「このような間違いは2度と繰り返してはならない」って演説しておしまい。日本に原爆を落とした国の人が、よく「このような間違いを」てなことを言うもんだって感じですけど。いやあ、ロブ・ロウも全然魅力ないんだけど、けっこう楽しめたぞ。 そういえば先日は風吹ジュンが仮面をつけた男に監禁されているので、ちょっと観ていたら、内藤剛志がそのだんなで刑事という設定で、誰か重要人物の警護をしている最中なのだった。で、屋外でビルやら周囲やらに人を配置しつつ、守備を固めているのだけど、内藤さんが遠くのビルを見て「あのビルはチェックしたのか」と言うと「いいえ」という返事が返ってくると。その直後にVIPの方が車で到着して、さっと警官が回りに集まって慌ただしくなるのだが、内藤さんがふとさっき指摘したビルを見ると、ライフルの照準スコープのレンズが太陽光線でキラーン。で、内藤さんが「あっ」と言って窮地を救うわけ。おいおい、未だにこんな手なのかよ、と最初からさして期待していなかったくせに、がっくりきたりして。30年前の「ジャッカルの日」でさえ、もっと気がきいてんぞ。金かけないにしても、知恵しぼれっての。って今更テレビに文句をいうつもりもないが、ちょっとテレビでうけると踊るなんとか線みたいに、映画に進出したりしますからな。 手抜きとしか思えない簡単なドラマ作りをしちゃってですねえ、西部警察の危うさについて佐々木監督もカキコしていたが、安易さにおいてそれも無関係ではないだろう。「アトミックトレイン」が楽しめたのは、パニックもののパターンをしっかりふみつつ、ささやかながら知恵をしぼっていたからだ。スコープ、キラーンをやるなら、クリント・イーストウッドは「目撃」でどんな手を使ったかとかですねえ、いくらでも学べると思うのだが。こんなこと日記にぐだぐだいったところで、どうにもならないけどねえ。

8月20日 ジャズ雑誌で紹介したお店に先日お伺いしたところ、即反応があって来てくれたお客さんがいたそうだ。市内だけでなく、道外からの方もいたとか。うれしいことだ。お盆中は東京在住の友人が訪ねてくれ、深夜自宅で恒例ピアノセッション(もちろん、こっちは適当に弾くだけ)になるなど、楽しいひとときを過ごした。

8月14日 ああ、もうずいぶん更新してなかったのね。最近、持病がぶりかえしてかなり調子が悪い。先週は体の3カ所から出血があったりして、どうもいかん。今日も点滴でステロイド注入。この段階で点滴やら手をうっておかないと入院は必至ということが痛い程わかっているので、仕事は休みだが無理をして通院。帰りは歩けるようになったので、ふらふら歩いていると、くうの山本さんにばったり。ちょうどくうの前。このばったり2回目だな。ジャズ雑誌のほうは未だ売れ行き良いようで安心。村田さんのライブは千歳鶴ミュージアムでみた。ベッキー、がんばっていたぞ。館長さんに20年ぶりくらいでお会いできたのもうれしかった。

7月22日 連休中はロンドの常連さんら4人と函館へ。目的はY氏の治療(といってもいいのかな)で、まあとにかく受けてみてと紹介したわけだが、結果は今のところ、恐るべし!と言っていいだろう。受診したお二方のお話はこれからまた継続してお聞きするとして、信じない人は信じないし、信じる人は信じるということではっきりは書かないできたこと。それにしても、私の母の例をとっても前代未聞の好調さだ。自分としてはなかなかはずれにあるため車がなければ不便な「マイルスの枯葉」を再訪し、マスターとお話できたことが収穫。日本に10本しかないスピーカーの威力! とくにドラムスの音の切れ味の良さは一聴の価値あり。何せ我が儘な人間が多いため、車中一触即発の喧嘩腰状態に突入する寸前まで行きながら、音の素晴らしさに全員笑顔で店を出るという異空間ぶり。その夜はさらにJBハウスにて爆笑ものの飲み会。函館ジャズ屋巡り、一人で回るときとはまた別の楽しいひとときでございました。ところで卯月妙子って変なおねえちゃんですねえ。

7月16日 来週24日は2カ月開けてしまった、くうの映画音楽秘宝再開。もう直前なのだけど、一応夏をテーマに考案中。ってなわけで真っ先に頭に浮かんだ「避暑地の出来事」を再見。久しぶりに見直したが、いやあ、実にいいですねえ。親と子の世代の愛の形のお話。マックス・スタイナーの音楽、パーシー・フェイスの演奏で未だにいろんなところで聴けるポピュラーだけど、名曲ですなあ。

7月8日 どうやら夏風邪をひいてしまった。周りで風邪っぽい症状の人は皆無で、日中何となく迷惑がられています。ところで最近、とくに健康増進法以降、喫煙マナーにやたらとうるさくなっているが、とうとう医療機関では喫煙場所さえ撤去し、敷地内はいっさいノースモーキングのところができた。しかも複数。がんのおじいちゃんでもう煙草しか楽しみがないって方と同室だったことがあるが、そういうことさえ否定しちゃっていいのだろうか。嫌煙に関してはほとんどファシズムの状態だよなあ。ジャズ屋さんに対しても、お宅もそろそろ全面禁煙にしてはどう?などと提案するもちろん煙草を吸わない客がいたりして困ったものだ。禁煙のお店は実際にあるし、ポリシーなのだからあってもいいけどね。

7月7日 ジャズ雑誌入稿が一段落したと思いきや、今週から通常雑誌の締切。なかなかゆっくりできません。どうも体調も思わしくなく、早くのんびりしたいものだ。そうそう、「黄泉がえり」、僕は買いでした。先週のスイッチライブは6月の13日金曜とは一転、まずまずの入りでよかったね。スイッチのみなさん、ご苦労様。色々と葛藤しながら選曲してるのかな。

7月2日 本日編集後記を発送し、ようやく「ジャズ・マスターズ・マガジン」の原稿作成作業が終了。思ったよりも難航したが、これでやっと一息つけるなあ。よかったよかった。ホームページの表紙でも宣伝してますが、180ページで1800円とちょっと高めですが、広告なし、カラー128ページという形態なので、何卒ご了承のうえお買い求めいただけるとうれしいです。札幌のお店では、ジャズ喫茶風土記でジャマイカ、CDの紹介をくう、ジェリコにお願いし、その他ジャズ喫茶のある風景という写真ページで、アフターダークカフェ、グルーヴィー、ガスポイントjr、エバンス、スモークカフェ、ロンドが登場しています。圧巻なのは東北のオクテットとグリーンベイのレコード紹介企画なので、ジャズファンの方、お見逃しなく。くうの「映画音楽秘宝」も今月24日から再開しますので、もともと集客力弱いだけによろしくどうぞ。

6月14日 雑誌準備と通常の雑誌のほうの締切が重なり今週は、はっきりいってもうぼろぼろの状態。朝9時から深夜3時までひたすら原稿を書き続けた木曜などは頭の中が乾いてきた感じ。そんな中、香港の渡辺夫妻から向こうで終わったばかりの「小津安二郎映画祭」のポスターが届く。上半分に「東京物語」の着色写真が配置され、薄いブルーの地に小津さんの横顔がうっすらと浮かぶレイアウト。なかなかかっこいいポスターです。裏面には上映作品が香港タイトルと英語の両方で書かれ、「お茶漬けの味」は英語では「THE  FLAVOUR OF GREEN TEA OVER RICE」、「小早川家の秋」は「THE END OF SUMMER」、「麦秋」は「EARLY  SUMMER」というのね、うんうん、「お早よう」はやっぱり「GOOD  MORNING」かーなどと一人で感心。ところで、G・ペックが亡くなったといって思った以上に新聞の扱いが大きいので驚く。正直いってこの人の作品にあまり感動したためしはなく、「アラバマ物語」などテレビ時代の産物でしかなく、芸達者の揃った「ナバロンの要塞」ではたったひとり大根ぶりを恥ずかしげもなく露出し、せっかくのヒッチコック作品も「白い恐怖」では代表作となり得ず、女優も共に最低な「ローマの休日」など論外で、まあ実は「ナバロン」は好きなのだけど、それにしてもこんなに扱う程の俳優じゃねえだろうと少し怒っている。怒るというのはもっともっと亡くなった際に大きく扱うべき映画人がいたにも関わらず、あまりの無知ゆえにその事実さえ把握できぬまま、あろうことかペックごときをこんなに大きく扱ってしまうマスコミの無能ぶりに対してだ。日常生活の中で映画僕も好きなんですといって、「ローマの休日」よかったですよねー、と言われても、積極的にだめだという気はないが、あれは女優と呼べる代物? くらいの皮肉を言いたくなるのをぐっと堪え、それなのに「あれを観て、新聞記者になろうと思ったんですよ」と追い打ちをかけてくるので、思わずあんたばかなんじゃないの、という台詞が頭をかけめぐるのだけど、もっといい映画たくさんありますよと題名をあげたところで興味をさほど示しそうにないほど幸せそうな顔をしているので、口をつぐんでしまったことがある。あのような記者がこのような記事を書くのだろうか。50年代ならもっと観るべきものがあるだろう、このすっとこどっこい。ジャズの50年代なら聴くくせに、映画の50年代はすっかり過去の産物とされ、ノスタルジーでしか語られないのか。映画の観られ方にはおかしなことがあるものだ。俺はジャズの50年代を聴くように映画の50年代も観る。50年代の作家に影響を受けた監督ということで、その後の世代の作品も観る。じゃあ起源はどうなのかということも気になる。ジャズも同じでしょう。なんにもできないペックとオードリー、そんな二人じゃいいわけないだろうと呟くと、予測せぬ方向から「だってオードリー、可愛いじゃないか」という反論?が飛んできたこともあって、だめなものをだめといってもおしぼりや割り箸や石をぶつけられそうになる映画愛の足りなさ。そういう意味ではアメリカ人も相当ばかなようだが。6月6日 音楽を聴くときは音楽を聴くべきなのだが、ついついBGMにしてしまうこともあって、そんなときエンドレスで流していると、かけ終わった後、しかもしばらくの期間、頭の中で鳴りやまないことがあって、ここ数日、外を歩いていると必ず蘇ってくるのが、マリオン・ブラウンの「ライブ・イン・ジャパン」。その中の「ノベンバー・コットン・フラワー」1曲だけが、何度も何度も蘇ってきて、頭の中で鳴っている音楽にずうっと感動していたりする。ゆらゆら揺れるようなマリオンのソロが溜まらなかったりして。ちゃんと聴いたときだって、もちろん後から蘇るのだけど、BGMにしてしまったときは不意打ちのように後で突然鳴り出したりして、これをサブリミナル効果というのだろうか、妙なものだ。そういうのが最近もうひとつあって、山之口獏の詩をいろいろな歌手が歌にしたCDがあって、その中の嘉手刈林次が歌う曲だ。BGMにしたときよりも、後で反芻するときのほうが歌詞がよく聞こえてきて歩きながら笑っちゃったりして。山之口さんなんで歌詞など実に他愛ないもので、お金ばかり借りて歩き回っているうちにとうとう僕は死んでしまい、あの世に行くと死んだ父がお盆のご馳走がないとむくれた顔で待っていて、なんだ、あの世もこの世も変わらねえじゃねえかってことをおかしく語るだけなのだ。でもいちばん感動的なのは林次さんの歌いっぷりがあまりにも父親の林昌さんに似てきたってことかな。

6月5日 このところ昼夜の一日18時間労働という感じで仕事をしていたせいか、昨日は家に戻って夕食をとった後そく眠くなり、深夜まで爆睡してしまった。思えば昨日は久々に居丈高な人間の取材をしたところであまりに失敬なやつのため日中ずうっと頭に血が上りっぱなしで余計に疲れてしまった。それにしてもあの居丈高な人ってのは何なんでしょうね。日常の中でもよく遭遇するものだけど、やっぱり職業的にえらいポジションについている人には多いのでしょうが。週刊誌の記者時代もさんざん、そのような取材をしたので慣れてはいるつもりだが、こっちに尊敬の念もなにもあったもんじゃないので不愉快になったり疲れるだけ。政治家T・Kの元秘書だったH・Sとか政治評論家のH・Rとか。まあそのへんは職業的にいてもおかしくないが、どこにそのような人がいるかわからないもので、時代劇俳優の息子のT・Tはいい人なんだけどそのマネージャーがおそろしく居丈高だったり(取材前に歌舞伎町の喫茶店に呼び出され、横に若いねえちゃんをはべらせ、パシリのあんちゃんをこづきながら、さんざん脅された。まるで●●)、ルポライターのI・N、売れ始めたばかりのタレントでもそんなのがいた(和田アキ子のいそぎんちゃくみたいなやつ)。実際あってみると実はすごくいい人だったり、こいつ外面だけよくて普段とんでもないんだろうなとすぐにわかる人など、世の中色々。こわもて俳優・歌手のU・Yはとりまきか付き人かわからないがぞろっと後ろにいて、おしゃべりをしたりそっぽを向いてると「てめえら、記者さんに向かって失礼だろうが!」と一喝、全員がぴっと膝も顔もこっちをみたので思わず吹き出してしまったことがあった。

6月3日 全国ジャズ屋リストの作成にとりかかり、今日も遅くまで仕事。この2,3週間やたらと追いつめられた気持ちで仕事しているので、どんなに寝る時間が遅くなっても酒を飲んで頭を緩めないとどうも眠れない。インターネットなどでもリンクからリンクへネットサーフィンしていくと全然知らないジャズ屋がけっこうあったりして、ジャズ床屋なんてのもあったりして、ひょっとして日本人ってジャズが好きな人がかなりいるの?なんて思ってしまう。そんなこたあねえよなあ、ジャズ屋なんてどこいったってヒマなご時世なんだから、とクールになってしまうけれども。クールになってしまうのは最近ジャズ喫茶でその全盛時代のエピソードを聞いたから余計にそうなんだけど、ジャズ喫茶でウハウハだった60年代から70年代ってほんとにすごい儲かりようだったのですねえ。まともにやっていればビルが2,3軒は建っただろうって話もありました。そんな時代はまったく知らない俺は本当に若い世代に入っていることを痛感。昔のジャズ喫茶はだねえ、なんてうんちくは全然いえないのでした。ところで、結局一度も行けなかったのだけど、清田の「KAZEMACHI」は営業をやめてしまったのですね。面識はなかったけれども、やめてしまうってのはやっぱり寂しい思いがしてしまう。

6月1日 「ジャズ・マスターズ・マガジン」のジャズ喫茶ルポがようやく仕上がった。さっき郵便局に行って発送を済ませ、一段落。とはいえ、あとはジャズ喫茶リストを作らなければならず、また怒濤の日々。しかも今度は日中の仕事の締切と重なるのでこれからが山かも。それにしても先週は直接取材、電話取材、メール取材に原稿書きが重なり辛かった。これだけ通信網が発達すると沖縄も神戸も西宮も弘前も札幌市内も等距離に感じる。

5月29日 沖縄のミュージシャンたちは無事に沖縄に戻ったかな。台風が近づいているようだけど。沖縄のミュージシャンといっても、サックスの千葉さんは小樽、ベースのガンジーさんは大坂、ピアノの久万田さんは四国出身ですべて移住組み。唯一ドラムの島袋さんだけが沖縄出身で面白いメンバーだった。台風といえば、地元の人は大の台風好きだという。何故なら、職場も学校もそく休みになるから。飲み屋なんか台風のとき大繁盛してるってよー。東北で地震がありましたが沖縄から「大丈夫なのか」って心配する連絡があったらしい。向こうからみると、あまりに遠すぎて東北も北海道も同じような場所にある感覚なのでしょうね。それにしても沖縄の話しを聞くと血が騒ぐ。いつまでも聞いていたい気になるのだった。先日、ジャマイカを取材してきた。ジャマイカの歴史を聞いていくと札幌のジャズ喫茶史がみえてくる。とても原稿には出来ない話も聞けて非常に面白かったです。

5月26日   今、朝の4時30分。原稿書きだった。月曜の朝からこんな寝不足で仕事に行くとは…。今週は寝る時間あるのだろうか。今、沖縄のライブハウスで知り合ったミュージシャンの方々が札幌でライブをしている真っ最中。見に行くのが楽しみ。

5月23日 昨夜8時から今午前3時までジャズマスターズマガジンの原稿書き。ふー。来週はやっぱりジャマイカにも取材をお願いすることにした。明日いや今日は普通に仕事があるのだけど、こんな時間まで仕事をすると頭がぎんぎんに冴えちゃって眠れない。睡眠薬がないので焼酎を飲んで緩めるしかない。そういえばよー、先日「たそがれ清兵衛」を観たがありゃぜんぜんだめだぞー。ちょっと怒っちゃうなー。「子伏ダンの物語」のほうが遙かにいいぞ、モーニング娘。最近はあと何を観たかなあ。あ、再見で増村「陸軍中野学校」田中「続・悪名」マキノ「悪名十八番」沢田「反逆の報酬」ってところかな。全部たそがれの100倍はいいです。「サイン」ペケ「ラストキャッスル」ペケ「メメント」ペケ。

5月22日 副島輝人氏の「日本フリージャズ史」、なかなかの読み物ですねー。60年代から90年代にかけての日本のジャズの逸材が総登場。とくに70年代の新宿ニュージャズホールを巡るライブの紹介が面白かった。出張時のバスで読み耽ったが、ミュージシャンのプレッシャーがのりうつり、弦のないベースを持ってステージに上がるといういや~な夢を見てしまった。でもなんでベーシストだったのか。

5月20日 昨日は久々にジャマイカに顔を出した。夕刻、お客さんは一人もいなく、ママさんとしばらく話した。札幌のジャズ屋の顔ジャマイカも最近は客数が減ったという。東映の地下にあった時代の話にもなったが、たしかに当時はいついっても混雑し、ジャズ馬鹿としかいいようのない人たちも多かった。かくいう自分自身も高校へは行かずまっすぐジャマイカに直行、その後映画館、その後またジャズ喫茶なんて日々があって、留年寸前までいったりして。久々のジャマイカで30分くらいのつもりだったが、じっくりジャズを聴いているうちに場所は変わったけれどもここは自分にとってジャズの原点だなあなどと思い耽ったりして、ついつい2時間程聞き込んでしまった。西宮市のコーナーポケットのマスターはジャズ屋と演奏者と聴き手の三角形をオープン当初から念頭に経営してきた人だが、これは堂々巡りになりかねない深刻な問題。ジャマイカの後、ジェリコに顔を出し、マンデーナイトライブを聴いて帰る。しかしやばい、ジャズマスターズマガジンの原稿が遅れてる…

5月19日 W夫妻より香港情報。SARS騒ぎの当初は香港が発信地のように報道されていたが、今香港では「大陸の奴ら、隠していたな」という感覚だという。最近では一時のピークも過ぎ、マスク姿の人は減った印象があるとのこと。ピーク時でもマクドナルドや吉野屋などほとんどの飲食店は営業し、繁華街は人でごった返していたそう。DVDショップでは日本ではお目にかかれない商品が多いというので頼むこともできるぞ。

5月16日 前歯の詰物がとれてしまったので歯医者へ行く。虫歯部分、思ったより深いので神経をとって新たに詰め直しすることになった。自分の前歯の上の歯茎部分にはなんとあと2枚過剰歯という余分な歯が埋まっていて、この歯のせいで前歯の根が人より浅い状態になっているという。とりあえずほっといてもいいのだけど、前歯から中の歯に感染すると鼻のほうまで切開がいる全麻の手術が必要になるそうだ。そんな話を聞いた後で不安感いっぱいの治療。「痛かったら左手で合図して」と言われたけれど、一度も合図はしなかった。脳外そばで交通事故者の治療などもやるだけに、噂通りかなり腕のいい歯医者であった。親知らずをかなり昔に一本抜いたことがあって、さらにあと一本奥のほうに残っている。そのうえ、あと2本歯があるというのだから、人より歯が多めの分、俺は野蛮人ということなのだろうか。

5月15日 3月に香港に旅立っていったW夫妻からメールが届く。SARS騒ぎですっかり心配していたが無事な様子で安心。今、香港では映画祭で小津特集をやっているそうだが、やはりSARSが怖くて断念。代わりにDVD三昧だという。日本では観られないDVD,VCDがあれば言ってくれと言うが、何があるのだろう。気になる気になる。Mr.Booファンの奥さんはホイ3兄弟のサイン入りハンカチとサミュエルの手形を手に入れ発狂しているという。みんな、笑わないでくれ。そういう気持ちはよくわかるぞ。

5月8日 昨日は誕生日であった。ここ数年はこの時期締切におわれる時期なので、しみじみと誕生日を想う余裕もなく、何の感慨もないというのが正直なところ。でも最近は入稿がますますぎりぎりまで引っぱる傾向があって、10日前後がいちばん精気のない状態かな。それでも昨日は残業しているのが嫌になってアフターダークで飲んでしまったが、別に今日は誕生日ですと告げるわけでもなく、いつもと同じように飲んで、気付けば日付が変わっていましたって感じ。隣に座っていた方とレコードショップというか今はCDショップといったほうがいいけど、お店側の失礼な対応を巡って盛り上がる。つい、ディスクユニオン時代のことを思い出したが、ジャズフロアには強力なおじさん客が多く、「お前はまだ俺の趣味がわかってないのかー!」なんて無茶苦茶な怒られ方をずいぶんしたものだ。でも気に入られるとご飯をおごってくれるんだよね。そういえば、昨日は仕事の合間、というか、現実逃避でタワーレコードへジャズのCDを物色しにいくと、背後からおなかのあたりをくすぐる人がいるので振り向くとギターの泉氏。有限会社を立ち上げて、ジャズをメインとしたフリーペーパーを発行する準備のまっさかりで、7月から8月には創刊できそうとのこと。けっこう長い立ち話になって時間切れとなり、共にCDは物色せず引き上げた。タワーに行ったの数ヶ月ぶりですが、売場が変わって品揃え少なくなったのね。グラント・グリーンのほしいものがあったが、きっとなかったような気がする。

5月6日 神戸の人は神戸が好きですね。もちろん、自分の話をした人に限られるわけだけど、話していてそれがよく伝わってきます。jamjamのmasayoさんも生粋の神戸っ子で、神戸でしか生きたくないと言ってカウンターにうずくまる姿が可愛らしかったけれど(といっても子持ち)、周りからは「他の町は相手にしてくれないんや」と冷やかされていた。voiceの太(だい)ちゃんは大阪にはまず行かないそうで、「あそこに行くとどこがどこやらわからず、外国みたい」に思っているくらいで。ここ数年で神戸には3度足を運んだけれど、そんなことをよく感じます。voiceのマスターに録画してもらったビデオを観ると、関西の音楽大の客員教授を務めるハンク・ジョーンズは必ず神戸に宿をとるらしい。ライブの一方、神戸の町を散策しながら、voiceやsoneやらm&mに顔を出したり、街頭のジャズ演奏を聞き入ったり、ハンクはすっかり神戸の町にとけ込んでいた。神戸には住んでますって顔をした外国人をよく見かけるが、それも神戸らしいところなのだろう。だが、それにしても映画好きとしては神戸はやっぱり別の意味で思い入れのあるところ。武田明には「広島極道はいもかもしれんが、旅の風下に立ったことはいっぺんもないんで!」と言われましたぞ。

5 月5日 本日、神戸より帰札。全日程、晴天で北海道でいえば真夏の暑さ。神戸の中でも古くから栄えた町である新開地に宿をとっていたのだけど、さすが淀川長治氏の出身地だけあって、2009年の生誕100年に向けたイベントを開催していた。新開地の老舗食堂「金プラ」で早速ハヤシではなくハイシライス(店のばあちゃんはハイライと略して言う)を食す。美味です。夜、なつかしのjamjamでマスターと再会、取材のための話を聞く。その後、常連のM君、Tさんもやってきて、最近お店のスタッフとなったMさんらと盛り上がる。家の者とも話したことだが、神戸はいろいろな意味において趣味の良さが光る町だ。jamjamにおいても、カウンターやテーブル、椅子などそこに置かれているものからして、気取りなどではなく、趣味の良さというものを感じる。震災で町の表情が一変したとはいえ、まだまだ古い良さがあちこちに残っている。ジャズ屋では西の宮のコーナーポケットのマスターとお会いできたのが大収穫。近々リンクするのでご参考までに。それからボイスの太君にも話を聞いてきたので、7月20日発刊の「ジャズマスターズマガジン」を買って読んでください。それにしても、向こうは立ち飲み屋が多くてぐっときます。昼間から飲んで何が悪い。これでいいのだ。神戸には札幌と違っておじさんたちの居場所がたくさんあるぞ。そこには、若者もおねえちゃんも共存しているぞ。沖縄にも東京にもちょっとだけ函館にもそういうニュアンスはあるのだけど、は~、札幌は住みにくい町だよな~、とついつい思ってしまう。

5月2日 本日、神戸に取材旅行に出るため、早起きしなければならないのだが、ここ数日時間があれば歌謡映画を観るというパターンで、先ほどまで、もう何度目かの「鴛鴦歌合戦」を鑑賞。すごいよ~、この映画。傑出したオペレッタ映画ですよ~。マキノ正博だからね。小泉文夫という民族音楽の学者が昔々「人生の半分を捧げても惜しくない芸能がこの世にあって、それを知らずに死んでいく人間が多いことを嘆かずにはいられない」ってなことを言っていたが、「鴛鴦歌合戦」を観ずに死んでしまうのもそういうことだな。もっとも映画は人生の半分どころじゃないんだけど。先日は「いつでも夢を」と「上を向いて歩こう」を一人2本立て。すごかったよ~。あ~幸せ。しかし、今日は「青春ジャズ娘」を途中で挫折してしまった。

5月1日 昨日今日と函館出張。函館っていい意味でのローカル色のある町。今日乗った市電の運転士さんは非常に若い人なのだけど、停留所に止まる度に一言二言話しかけるおばあちゃんがいて、聞き耳を立てると、運転士の父親もやはり運転士で、彼はつい最近から一本立ちしたらしい。彼の父親のほうもまだ現役で、何時ころ、この駅から乗れば父親の電車に乗れるな、などと函館弁で会話しているわけだ。仕事は何時までだって質問にも7時までだと答えながら、よく聞き取れない二人だけの暗号のようなやり取りがあったりして、仕事を逸脱して過剰に話すわけでもなく、とても微笑ましい光景だった。おばあちゃんが降りると大きく手を振ったりしてなかなかの好青年だったぞ。小津映画のように結婚相手を世話したくなっちゃうなあ、もう。嘘だけど。

4月29日 まったく日テレっつうのはどうしようもないな。従軍記者の特番なんて、よくやるぜ。女性従軍記者の今泉さんって「私たちの部隊は~」って連発してたおめでたいおねえちゃんだよね。従軍記者なんてのはしょせん、米軍のプロパガンダにしか使われないわけだし、「私たちは」発言で戦争賛美丸出し。戦争の悲惨さを伝えてるつもりで、米軍に同化してるのってどういう心境なのでしょうか、他人事としか戦争を考えていないどころか、米英支持丸出しのマスメディア。

4月28日 先日のくうはクリント・イーストウッド特集。イーストウッド映画の見方が変わったなどというメールを後でいただいたりして、反応があるとうれしいものです。ところで、我が家には不定期的に家の者の友人が犬を預けに来るのだけど、最近自分も犬なれして散歩に連れていくようになった。自慢じゃないが、これまでの人生で凶暴な表情をした犬に追いかけられたことが3度あって、どこかで怖がっていたのですね。3度目などはインドネシアの灯りもない田舎道を一人で歩いているときに、野犬に襲われるという非常にやばい状況だった。ときどき預かるというその犬は、オールドイングリッシュシープドッグという、やたらと愛嬌のあるやつで体重は40キロ近くある巨大犬。毛がモップ状になっているやつです。家の者の話では毛で目が隠れているため、ときどき電信柱などにぶつかるという。温厚な性格のうえ、もうおばあちゃんの年齢になっているのだけど、散歩がやたらと好きなようで行くときは半狂乱状態でおだっちゃうし、散歩を終えてつなごうとすると、足を絡めてきて家に入るのを阻止しようとする。最近は自分もその両方の段階で散歩をさせられるようになったのだけど、昨日は連れていく際、半狂乱状態のまま下腹部に頭突きをしやがって、やや前屈みになった格好のまま散歩をすることになってしまったのだった。 あさってから再び函館に二日間出張。翌日から神戸・大阪方面の取材旅行に出るので、来週頭まで札幌を離れるぞ。

4月23日 ニーナ・シモンが亡くなりましたな。かなり好きな歌手だったので、ちょっと驚いた。このご時世で70で亡くなるのはちょっと早いよね。一番好きなアルバムは「ニーナ・シモン&ピアノ」かな。B面に何とかワンってユニークな曲があった。浅川マキと「ボロと古鉄」「トラブル・イン・マインド」など何曲か共通の曲があったので聞き比べをしたこともあったりして。、と書いてる今、テレビから浅川マキの「少年」が聞こえてきたぞ!。スカパーでした。自由奔放でときにとんでもないわがまま女だった生き様は自伝で楽しめる。たしか、もと亭主というとんでもなくだらしのな男のせいで、えらい借金を背負ってたんだよね。はあー。4月22日 いかに自分は方向に音痴な人間であるか、またしてもさらけだしてしまったなあ。19日の日記で書いたアドレスは南6ではなく北6なんですね。読まれた方はどうして南8で札幌駅北口なんだと思ったことだろうなあ。以前、沖縄の与那国島でさとうきび畑の刈り取りのバイトを住み込みでしたことがあるのだけど、そこのおじさんはいつどんな場所にいても、方向を東西南北で説明するんですね。「竜也、そこの鎌を取って」「え、どこ?」「東、東」。そう言われてもいつもどっちだかわからなくて、きょろきょろしないとわからなかった。常に東西南北がわかるってすごいことだよな。ところでアフターダークではこれから、テレビモニターを設置して、映画もみられるようにするそうな。ビデオ貸し出しの協力を依頼された。もちろん、喜んで。でも、30年代から50年代が多いのだけど、どうだろうか。19日はアントニオ・ハートのライブ。それぞれの技量はすごいものがあるけど、バンドとしてのバランスがちょっとって感じ。アントニオってアルト奏者だけど、テナーサックスのイメージで吹く人なんですね。ところどころコルトレーンのフレーズがでたりして。ジェブ・パットンのピアノソロは面白かったな。

4月19日 連日の飲み屋通いでばて気味。本当は今日もアフターでS氏のボーカルを聞きたかったのだけど。ところで先日、あるライターの事務所に行く途中道に迷い、方向感覚がわからなくなっている最中に発見したという焼肉屋に、まずは探すところから家の者と挑戦。私の頭の中のコンピュータは南6西8あたり、という住所をはじきだしていたのだが(あたり、というところがすでにアナログ)、行けども行けどもない。この間、すでに25分経過。うーん、ではどこから道を迷ったのか原点に返ろうと、飲み会のためのビールを購入したコンビニに向かう。すると何と、正面のほうから「鎌田さ~ん」という声がするではないか。それは例のライターと事務所のS君で、正直に「この前発見した焼肉屋なんだけどね。行けないんだよね」と告白。では、我々もお手伝いしましょうと、同行してくれることになった。いやあ、私の間の抜けた方向感覚のおかげで、4人の捜索隊のノリになってしまった。しかし、頼れるのは私の脳の北6西8という情報のみ。あっという間に行き詰まってしまう。ではと、そばの酒屋のじいさんにこの辺に焼肉屋はないかと尋ねると、「ない!」と一喝されてしまった。ここでもう50分経過。すると方向音痴で機械音痴のライターAさんが、「このへんに止まっていてもだめ。西4方面にいくつかお店があるので、そっちに行ってみましょう」と強く発言。内心、あの店は今日はあきらめることにしようと思いながら、黙って従う。確かに、札幌駅北口のちょっと先というあたりはお店がぽつんぽつんと見える。しかし、私の追加情報は焼肉屋の周囲にお店なし、というものだったので、「今日はつきあってくれてありがとう」と感謝の言葉をかけて、あきらめる気になったのだが、ふいに例の焼肉屋が目の前に出現! おおおーとうなり声をあげながら、AさんとS君の手を握る。いやあ、ご両人に会わなければ、絶対に発見できなかったよなあ。二人の夕食が済んでいなければご馳走するところだったのに。お店に入りまず店員さんに住所を確認。北8西4だという。ああ俺の記憶って…。肉はおいしいものを使っているが、たれが上品過ぎて正直なところ、ものたりなかった。家の者は店員の若いお兄ちゃんに元気がなさすぎと言う。たしかに、カフェバーの店員みたいだった。味の好みもあるでしょう。そこはY・Mというジンギスカン屋。お客さんはけっこう入ってます。

4月15日 次回4月25日のくうの映画音楽秘宝は「俯瞰20世紀 継承と孤立 クリント・イーストウッドの美学」なんてテーマでイーストウッド特集にします。ってなわけで今「マディソン郡の橋」を観終わったところなのだけど、またしてもさめざめと泣きました。は~、切ない。

4月14日 昨日は友人がとあるボーカルスクールの発表会にでるというのでおつきあい。友人は「Allright,o.k.you  win」を気持ちよさそうに歌って、まあまあ楽しかった。しかし、まあスクールの発表会だから俺が文句を言う筋合いはまったくないのだけれど、ボーカルスクールの発表会ってみんなこんなにへたなのと逆に驚いてしまった。いやあくまで途中経過なわけだし、人前で歌うことも大切だからいいのだけど。もちろん、じゃあお前歌ってみろよ、と言われてステージにあがれば、自分は昨日の他の誰よりもへたであろう。懸命に歌ってるのはいいのだ。うまくなくても。でもなあ、おばちゃん数名で上がってきて同じ歌詞をえんえんとがなりたてる歌を聴かされた日にはほとんどテロリストの心境になってしまったぞ。内輪ののりでかけ声や手拍子が出るのはやっぱりあそこで何らかの人間関係を培っておかなければ、なかなか出来ないことだ。要するに、どっかお客さんのつもりで聞いているこちらの心構えが悪いのだけれど。でも、あえて言わせてもらえば、選曲ってものがあるよねってこと。この日本でそれなりに不自由なく健康的に育ってきた女の子が、日本語訛りの英語でアース・ウインド・ファイアーを歌っても、全然のれませんよ。いやあ、大きなお世話だよね。俺の言ってることって。でも、昨日、ワン・ノート・サンバを歌っていた女の子二人組はなかなかよかったです。ところで今日、くうの松永さんよりメール。10日のライブはジャズボーカルで、むちゃくちゃ感動的なライブだったとのこと。ああ残念。お店の前まで行ったというのに。10日という日は自分にとってますますぼけぼけの一日だったってことね。

4月13日 昨日のライブには胡弓演奏家の夢さんがお客さんで来てくれて、休憩時間に胡弓演奏を披露し、盛り上がった。楽器の魅力ってのはすごいもので、あっという間にその空間の中心になってしまうのね。ましてや胡弓という見るのも聞くのも珍しい楽器だけに、お客さん、ミュージシャン含めて、胡弓に目が釘付け。演奏後は胡弓をめぐる話題に花が咲き、ついでに夢さんが持ってきたCDジャケットで着ているドレスがすけすけだという話に、僕ともう一名のお客さんで異常に反応していたりして。お恥ずかしい。

4月10日 風邪気味だったのと締切が重なって調子が悪い。今日は残業を切り上げ、くうに顔を出そうと思ったがジャズ以外のライブだったのでやめ。ではグルービーかと徒歩で行くも定休日。じゃあ夕食まだなので裏参道のダイニングに向かうと休みだった。3件ものお店にふられ、円山のフードセンターに向かう。ああ、自分って健康的。道すがらとぼとぼと考え事。非常に不愉快な気持ちになってきたのは、某ジャズ屋のホームページで解釈によってこれは喧嘩を売っているのかと思える発言に行き当たったからだ。ここで明らかにはしないし、事を荒立てるつもりはないが、でもやはり非常に不愉快。ハリー・ケリー・jrの「ジョン・フォードの旗の下に」を読み終える。何たる面白さだろう。これはまるでジョン・フォードの映画そのものではないか。今、ジョン・フォード、と名前を聞くだけで体中の関節がぽきぽきとはずれてしまいそうなほど、めろめろな気分。ジョン・フォードが好きだという人間は誰でも全面的に信用するぞ。そのくらいのものなのだ、ジョン・フォードとは(かといってリンゼイ・アンダーソンでは困ってしまうのだけど)。早速、「三人の名付け親」をみなおし、細部を堪能した。

4月5日 昨日はライターの集まり。道内の出版状況がお寒い中でメンバーの活躍もそれに大きく影響されている。ライターズネットワークの全国組織は地域発展の手助けとはならず、結局は東京指向が強まり、当然東京近郊の技能者に仕事が集中する傾向が強くなる。でもそれって、東京に出版社が多いのだから、もともとそういうものだったのであって、話は最初から何の進展もしていないのだ。寿郎社のように、IT化が促進される現代にあって、どこでも本は出せるというスタンスで札幌に出版社を興した方もいるのだけど、ようするに人材の問題でしかないのかもしれない。昨日は女性の機械音痴、方向音痴の話題で盛り上がる。集まりの中心人物が女性なのだけど、S氏が「ねじは右左どっちにまわすと締まるか」と訊くと、「う~ん、回して締まるほうかな」。ぷぷぷ。こうした初歩の機械的なことにまったく通じていないのが、女性の傾向で、彼女はいかに車の運転に向いていなかったかなど爆笑話題が飛び交った。しかし、そういう自分自身、何度も行き慣れているはずの彼女の事務所に、何故か昨日は行き着くことができず(札幌駅北口から5分という距離)、とんでもないところまで歩いて行って、結局到着に20分もかかってしまったのだ。方向音痴と機械音痴は別物だよね、と自分を慰める。そのおかげでいい感じの焼肉屋も発見できたし。でも一発で行ける自信なしだなあ。 そうそう、スピルバーグの新作「キャッチ・ミー イフ・ユー・キャン」を観たぞ。冒頭のアニメからノリがよくって、面白い。必見作。

4月4日 函館では「青いポスト」編集のSさんとYさん宅を訪問。Y氏の職業は何とも説明が難しいのだけど、生体エネルギーの調整師、とでもいえばいいだろうか。うかつな説明で誤解を招いてもしょうがないので、詳しくは講談社文庫から出ている「『超能力』から『能力』へ」という本を読んでもらうと一番話が早い。Y氏はこの著者山岸隆氏の流れを汲んでいる方なのだ。その能力に関してはただただ驚くというほかない。また、Y氏はものすごいジャズファンでもあって、マイルスがことのほか好きだという。来日公演の際、仙台の空港で正面から歩いてきた黒人があのマイルスだった、というエピソードを聞かせてもらったのだけど、Y氏が声をかけるとマイルスはY氏をしっかりと抱きしめ、写真嫌いで通っているにも関わらず、快く記念写真に応じてくれたという。しっかり写真を見せてもらったが、かっこいいぞマイルス。Y氏にとって仙台は特別な場所らしいのだが、仙台ではウエイン・ショーターやハービー・ハンコックにも会うことができたそうだ。 ところで先週末はエスニコの移転パーティに出席。外国人の医療サポート、チャイナドレスの仕入れ販売を両輪に、今後外国人への日本語教室も開くそうだが、人が来ること来ること。ずいぶん広い事務所に移ったもんだなあと思ったが、あっという間に参加者は50人を越え、満員状態に。あっという間に名刺がなくなってしまった。とっても綺麗な女性がいたので、さあっと寄っていくと胡弓の演奏家だった。リクエストなんでもどうぞと言うので「ラストエンペラー」もできますかというと、本当に演奏してくれて感動。ジャズ演奏家との共演にも感心が高いそうだが、誰か一緒にやってみたいという人いませんか?

4月1日 早いもので、もう4月に入ってしまった。昨日はくうで映画音楽秘宝。アフターダーク関係者の方々も来てくれてうれしかったっす。70年代中心に有名な映画が多かったけれどもお話のほうはどんなもんだったのかなあ。くうに参加して、紹介した映画にもし興味をもってくれたならば、貸してほしいと一言言ってくれれば、どんどん貸し出しますのでよろしく。金曜は東京在住の相変わらず音楽馬鹿の親友とアフタダークライブ。福川さんCDのお披露目でした。最近ロックというものはまったく聴いていないのでわからないのだけど、今いわゆるロックっていうやつはないのですか。親友の話なんだけど。奴は世代的にパンク、ノイズミュージックなどに影響を受けながら、自分でもバンドを組んでいるのだけど、最近はデスメタルだの何だのとか、古いシャンソンを聴きまくっているという。うーん、では青山の「ユリイカ」で使っていたジム・オルークという人は? と訊くと、「それは癒し系ですねえ」と言っていた。わかったようなわからないような。明日から二日間函館行き。声のバイブレーションだけで健康状態をあててしまうという、ジャズ好きの癒しのプロに会ってくるぞ。

3月27日 沖縄から戻った後は二日、ジャズのお店で飲み続け、明日も飲まねばならないので、今週は飲み過ぎだ。金もかかるぞ。沖縄の飲み屋の始まる時間が遅いのは(もちろん早くから営業している居酒屋も多いけれど)、暑い土地だし日も長いので、どうしても仕事が終わったすぐの時間には飲む気になれないと。いったん、家に戻ってから食事や着替えをすませ、それから家を出るので、お店もそれに合わせてどうしても遅くなるのだと、バスガイドさんが言っていた。でも当然、飲み終わる時間も遅くなるわけだから、やっぱり沖縄の方々ってお酒強いのだろうなあ。泡盛、オリオンビール、実にうまかった。現地で食べたゴーヤチャンプルー、ラフテー、アーサーソバもみんな美味。みやげに買ってきた、海ぶどう、まだ手をつけていないけど、楽しみにしているもんね。

3月25日 沖縄にいってきたぞー。14年振りとなった那覇の町、国際通りはすっかり若者向け観光スポットと化し、ちょっとつまらない場所になっていた。しかし、やっぱりこの土地には人をあまりにも惹きつける何かがあるのですねえ。14年前にも確かにこの土地に魅了され、アパートと地元の人に頼んで仕事を探してもらうところまでいったことがあったのだ。那覇のライブハウスでは北海道出身のミュージシャンが二人もいたのだけど、その気持ちが自分なりに理解できる。そのうち一人は千歳出身の26歳の女性で、何と自分と同じ開成高校出身だというのでびっくり。もうひとつ驚いたのは、カムズというライブハウスの出演ミュージシャンが村田浩さんだったのですねえ。沖縄まで行って出会うとは。村田さんも沖縄という場所にとても魅せられているのだということを言っていた。とにかくとてもらくーな気分になれた日々。前回の旅行のように2ヶ月間もいついてしまったことをしっかりと思い出す数日間だった。

3月21日 今日から沖縄行き。インタリュードの与世山澄子さんに事前に手紙を出しておいたのだけど、電話を入れると取材を快諾してくださった。東京でのライブから戻ってきたばかりだそうだ。インタリュードでは、今は毎日のライブということではなく、お客さんがいてその場の雰囲気で始めるとのこと。ピアニストは呼ぶと飛んでくるそうだ。14年前に歌を聴いたときは客は僕一人だった。すっかり忘れていたことだが、沖縄は飲み屋の始まる時間が全体に遅い。コザのナンタ浜という民謡ライブハウス(嘉手刈林昌の息子、林次さんが歌っていた)は午後9時営業開始。その代わり、平日でも明け方、というか朝まで営業していたと思う。僕が行ったときは9時から11時過ぎまで客は僕一人。休憩時間はミュージシャンの方々が僕のところに来て、ずうっとしゃべっていたと記憶している。12時近くになると、かなりお酒の入ったおじさんたちが、踊りながら乱入してきて、ふと振り返ると満席になっていた。「そうじゃない、こうね!」と踊りを教えてくれるおじさんやら、指笛やら、掛け声やら、平日だってのにものすごい盛り上がり方をすると驚いたものだ。年期の入った泡盛の飲み方とオキナワンパワーに、こっちがついていけるわけもなく、半分意識不明になりながら千鳥足で退散したんだっけなあ。酒は強い奴が強い。

3月19日 月曜はラジオ出演。思ったより緊張せず何とかこなしたって感じ。ジャズより映画の話が多くなっちゃって、気分は関光男。ディレクターの女性に帰り際「話し慣れてますね」なんて言われてちょっとうれしかったりして。それもこれも、くうで毎月話してきたおかげです。最初の回なんてしどろもどろでけっこうやばかったもんね。お客が少なくてよかったと。でも今回のラジオ出演はせっかくの機会なので、しゃべりのチェックに録音しておいたのだ。自分のしゃべりを聞くのは何とも恥ずかしいものだが、実際聞いてみると聞き苦しいところだらけ。まず、えーと、とか、えー、って言葉が異常に多いの。聞いてて気になるくらい言ってるので、これは気をつけねば。きっと、くうでも言ってるんだろうなあ。全然気づかなかったぞ。それから、鼻が詰まり気味だったのか、息を吸うときにくんくん鳴ってるのね。これがマイクを通してばっちり入っていて、恥ずかしかった。他にも気になることがいっぱいあったのだけど、まあ別にプロじゃないのだから細かいところはいいとしても、鼻くんくんは気をつけような。

3月16日 今日は宣伝。アフターダークカフェなどでライブ活動を行っているボーカルの福川有美さんのライブCDが完成した。メンバーは福川(VO)、山下泰司(P)、瀬尾高志(b)、池田伊陽(g)、黒田佳広(ds)という布陣。「デイ・バイ・デイ」「ブラックコーヒー」「マイ・フェイバリット・シングス」などスタンダード中心で全12曲。28日(金)には完成記念ライブをアフターダークカフェでやります。ロンドでのライブも計画中。CDは定価2000円でロンドでも発売中なので買ってね。ちなみにライナーノーツは僕が書いています。

3月15日 今週は締め切りの週。朝から晩までびっちり原稿を書いていると精気を吸い取られ、ゾンビになったような気分。今日最終校正を終え気分すっきりといきたいところだが、月曜くうの山本氏のピンチヒッターでラジオでしゃべらねばならない。ジャズ番組だけど、やっぱり映画にひっかけてしゃべっちゃおうかな。くうの企画でやったように、ハワード・ホークスの「教授と美女」やらカサべテスの「アメリカの影」やらはCDがないのでだめ(三角山放送はCDしかかけられないので)。そう思いながらロンドにあるCDを物色。映画音楽をジャズでやったものってけっこう多いのだけど、ジャズはよくても映画がだめってのがけっこう多いのね。「カサブランカ」のアズ・タイム・ゴーズ・バイなんて死んでもやりたくないし、「死刑台のエレベーター」だってつまらない。「酒とバラの日々」とかさあ、「大運河」ってバディムだっけ。といいつつ今あげた中には好きな演奏が多いのでばりばりかけると思うけど。ベント・エゲルブラダの酒バラもけっこう好きな演奏だ。あとは、クリント・イーストウッドがいますぞ! 「恐怖のメロディ」、エロール・ガーナーの「ミスティ」、どっちも素晴らしいじゃないですか。フレンチノワールとか、ジャズファンも知らないだろう60年代日活映画のもろもろもやっちゃおうかな。

3月12日 ジャ・ジャンクーの「一瞬の夢」、かなりいいです。こんな中国映画初めてみたぞ。ジャ・ジャンクーは必見だ。

3月11日 先週の日曜日、実は我が家で大騒動がありまして。事の発端は前日の土曜、ロンドで飲んだ佐々木監督がマフラーを忘れたこと。後で佐々木から連絡があり、ピアノの下に落ちていたマフラーをうちの奥さんがみつけて、じゃあ明日取りに来てという話になったのだ。閉店後、こっちは袋に押し込んだつもりだったが、翌朝どこを探してもない。ロンドに忘れたに違いないと思い、探したが見つからない。ではやはり家かと戻ってみても、みつからず、再びロンドに戻ってみたがやっぱりない。バイト先のうちの奥さんに電話しても思いあたるふしはなく、途方にくれる。家の中はすでにぐちゃぐちゃになっている。大事なマフラーなのだろうとは察しがついていたし、こりゃ、ちょっとやばいぞと。昨日はタクシーに乗って帰ったので、あとはタクシーかと思ったが可能性は低いだろうし、すっかり探し疲れてしまっている。そこへバイトを終えた奥さんがかっとんできて、かたっぱしからタクシー会社に電話をかけはじめた。数件目で、同じようなマフラーが届いているという。即、急行。へらへらしたおじさんが手にもっているマフラーをみて、あ、これだとぴんときた。しかし、確信はない。でも、最後の手段があったのね。実は昨晩、忘れられたマフラーをみてちょっと酒の入った俺はマフラーを一瞬くんくんかいで、忘れ物ーなんて言っていたのだ。あれは毛糸の香りのようだったし、一瞬だったから、わからないかもしれないが、思い出すかもしれない。おじさんからマフラーを渡され、思わずくんくんすると「あ、これだ」と確信した。警察犬か俺は。おじさんはくすくす笑っていたという。奥さんは一応、他のタクシー会社にも連絡して、他にマフラーの忘れ物がないか念のため連絡。札幌圏のすべてのタクシー会社にかけていた。あとは本人の確認をもらうだけだが、それは確かに本人のものだった。いやあ、よかったよかった。お酒とタクシーの忘れ物には気をつけましょうという大教訓。そういえば、その間、うちにビデオを借りに来てくれた知人もいたのだけど、全然かまうことができず、すみません。 マキノ正博の「ハナコさん」、岡本喜八の「赤毛」、成瀬巳喜男の「まごころ」を観る。「まごころ」本当に傑作。観た後しあわせな気分。よかった、よかった。

3月10日 8日は久々に野球観戦。横浜ベイスターズファンクラブ会員の佐々木監督と巨人戦だ。音楽的にもスポーツ観戦の上での評判の悪い札幌ドーム、こりゃたしかにひどい。あのフェンスの高さってのがどうにも気に入らない。米国では選手と観客の位置が近くて、練習中も選手が快く、ファンにサインしているという。スポーツ選手であると同時にエンターテイナー、サービス精神ってのがあるわけですねえ。これ、ジャズミュージシャンにも言えることだと思うな。スポーツ会場と観客席の近さという点では、アルベールビルでの冬季オリンピック大会のジャンプ競技会場も印象的だった。飛んで来た選手がまさに観客席のすぐ脇を通りぬけていく。讃える声も野次もあるのだろうけど、観客の中で戦う気持ちよさを感じた。札幌ドームはまるで上流階級が奴隷の戦いを高見の見物するコロシアムのようだった。 ところで、くうの山本氏、三角山コミュニティ放送で、DJをしているのだけど、17日、ピンチヒッターで出ることになってしまった。週間ジャズ日和って番組。1時間40分もあるぞ。何をやるかまだ全然決めてません。

3月7日 昨日はロサンゼルス在住のカメラマン望月宏氏を囲んでライターの集まり。望月氏はアメリカの音楽媒体での写真提供がかなり増えており、さすが在住するだけあって、ミュージシャンのお友達がぞろぞろ。秋吉敏子のような日本人だけでなく、トム・スコットだのマントラのギタリストだの、ジャズ、ロック問わずご近所つき合いしているそう。音楽的には強力なパイプ役になってくれるとのこと。ロスきてくださいってものの、やはり英語を自分で話せんことにはインタビューできんぞ。それにしても、アメリカで仕事してるってだけあって、とってもポジティブな方。なんたって、アメリカ行きのきっかけが「抽選で永住権が当たったから」。カメラの仕事は「言葉が通じなくても通用するから」。アメリカはチャンスの国ってことをつくづく強調しておりましたが、仕事発注の際、それまでの経験はいっさい問わないと。いい作品を提供してくれればそれでいいと。ギャラの発生も合理的なんでしょうなあ、フィルムを買いに行く時間、現像を取りに行く時間というものもギャラにチャージしていくと。へえ、なんて感心していたら、「当たり前でしょう、自分の時間を使うのですから」と。話すと元気が出てきます。ライターズネットワークに、会社からリストラされたんだけど、強硬に会社に居座り、給料をもらい続けるナイスな方がいるのですが、望月氏がその彼を高く評価しているのも頷けるというもの。PCIのホームページに「音楽びしばし写真館」という連載コラムを書いているので、興味ある人は以下のアドレスまで。http://www.prosoundcommunications.com

3月5日 月曜火曜と連チャンで飲んだ。飲み疲れっす。月曜は編集者が来札して雑誌の打ち合わせ。「ジャズマスターズマガジン」は約160ページ立て。発刊日は7月22日に決定。定価1500円だけど、ソフト紹介ページは全部4色刷りのカラーです。私はソフト紹介のリライトのほか、ジャズ喫茶風土記を16ページ程書きます。最低3000部は売りたいので、買ってくださいねーって今から宣伝。ジャズフォトカメラマンの荒井さんもがんばります。昨日はアフターダークカフェで、痛飲。坂田さんがUFOマニアとは知らなかった。ギターの滝川さんが歴史好きってのも発見。そういえば4人連れの女性がアフターダーク特性のケーキで誕生パーティをやってた。そのうちの一人が英語圏の女性で、「今日はこの店は英語だけしゃべってくださいねー」なんてばりばりの日本語で言ってた。「おいおい日本語しゃべってるじゃないよ」って言うと、またばりばりの日本語で返事をしてやんの。

3月1日 今日は渡辺夫妻がいよいよ香港に旅立つ日だ。日本人学校の教師をすることになったのだけど、ご主人のほうは異国の地での仕事だけにちょっとびびり気味。奥さんのほうはと言うと、80年代、Mr.BOOシリーズにいたく感激し、そのまま香港に移り住んでしまったという行動派で、久々の香港在住を楽しみにしている、という違いぶり。1週間前にあわただしく、たぶんもうよれないと思うのでと、お別れの挨拶にきてくれたのだけど、愉快な夫婦だっただけにちょっと寂しいものがあるな。

2月28日 泉さんのお誘いで、昨日はザナドゥでディー・ディー・ブリッジウォーターのオンタイム・中継ライブ鑑賞。ようはブルーノートでのライブを衛生中継でみなさんでみましょうという企画で、昨日は試験的な催し。実際はただの映像が流れているだけのはずが、生ということで付加価値がつく。お客さん(けっこう入っていた)は拍手したり、実際のライブのようにかけ声もあげていた。サッカー観戦のノリですな。これでチャージが別につくと、果たしてどの程度お客さんが入ってくれるものか。生の部分に期待ですね。 終了後はカメラマン氏とジェリコへ。業界話をすれば、もう不況の話にしかならなくて。バブル時代、知り合いのカメラマンなんか、ライブラリーに入れてるだけで、お金が入ってくると。一枚あたり、信じられない高額だったと。もう欲望に身を任せるままにお金を使っていましたと。そりゃあ、ないよりあるほうがいいに決まってるんだけどさー。当時、バブルにまったく縁のなかったライターは、「世直し雑誌を作るべし」と騒ぐしかなかったんだけど。お金があってもなくても人間ってすさむのね。 野崎歓氏の「ジャン・ルノワール 越境する映画」を読み始めた。ようやくアメリカに到着したルノワールの小さな帽子をみて、ゲラゲラ笑いながら、帽子を海にほうりなげてしまったロバート・フラハティ。ルノワールに対して、映画のアイデアを深夜一人10枚分のレコードに吹き込み続けたサン=テグジュぺリ。描写はちょっとしかないものの、ジョン・フォードとルノワールとの出会いも感動的だ。フォードはスタジオの片隅にまねき、俳優なんてのはどうしようもない糞ったればかりなんだとフランス語でアドバイスしたという。男が男に惚れること、そんな出会いとエピソードの数々が大らかでとっても美しい。

2月27日 地下鉄で、斜め前に今風のおねえちゃんが座っていまして。ヘアースタイルや服装の流行をおうと、みんな似てるよなあと思うわけだ。何か視線を感じるなと顔をあげると、そのおねえちゃんがこっちを見ているので、「いいたいことがあったら口で言いましょうね」って光線を飛ばしたわけ。まあ、光線はともかくとして、それは見知らぬ者同士が居合わせたときによくあることでしょう。ふと、視線があっちゃうことって。そのうち、やたらと愛想のいい幼女がお母さんに連れられて、おねえちゃんの横に座った。彼女は携帯電話を幼女にもたせて、ずうっと遊んでいるのね。二つ折りの携帯が開けるようになると、幼女は歓声をあげたりして。で、いっしょに手をつないで地下鉄をおりたりして。母性ってことなんでしょうけど、こいつけっこういいやつなんだって、ちょっと思ったりして。これは一人に限るけど、見知らぬ人が周囲で突然人格を伴って迫ってくることがある。携帯電話が普及して、とくにそんなことを思う。隣を歩いてる人が突然しゃべりだしたり、公衆トイレで話し始める人もいますからね、最近は。お金を入れずに公衆電話の受話器をもって、今日あった出来事をずうっとしゃべり続けていたお兄ちゃんも最近みましたけど。2月26日 先日のくうはいつもよりちょっと多めの入りだった。といってもほんのちょっとだけ。Hさんのお話では黒沢清監督が一晩開けてこの企画に参加すると言ってくれているという。実現すると面白いなあ。それにしても、先日、うれしかったのは上映した作品のビデオを貸してくれとすぐにいってきてくれたこと。上映に使用しているのは高価なフィルムではなく、ただのビデオだ。観てくれるというのであれば、いくらでも貸しちゃうのである。押しつけるのは何だが、観たいというならどんどん貸す。我が家にも何人かビデオを借りに来る人がいて、なかばレンタルビデオ店と化しているが、大歓迎なのだ。しかし、くうの上映装置が4月から借りられなくなるというので困った。

2月22日 昨日はジェリコで痛飲。満席でしたよ、よかったよかった。ジャズ屋さんが盛況だとこっちもうれしい。昨日は家の者とときどき書き込みしてくれるバコちゃんという女性も一緒だったのだけど、彼女の友人が面白いホームページを開いているというので、見せてもらったことがある。これが自分のお金を使った詳細をすべて公開していうというものなんですねえ。何月何日、コンサートにいくら、外食にいくら、なんてこの人の趣味や生活サイクルがかいま見えてくる。このフォーマットを使って別の人も公開していて、こちらは食材だのお菓子だの飲み物だので、ああこの娘ってあまり外出せず、祭日はこんなふうに過ごしているんだなあと。想像力がかき立てられたり、ついつい見入ってしまような面白いものだった。まあこれは他人の生活を覗き見する面白さだと思うのだけど、ごみ袋を収集する方がいますよねえ。買い物がINなら、ごみはOUTなわけだ。OUTを収集するってのは病気だよなあ。ロンドにもMちゃんというまだ二十歳を過ぎたばかりの可愛い娘が来るのだけど、夜中にごみを捨てに出たら(夜中にごみ捨てんなっつーの)、若いお兄ちゃんがさあーっともってっちゃったって話していた。もってってどうするのでしょう。もってくなら、俺のごみもついでにもってけって感じ。ところで「東京ゴミ女」って映画はぜんぜんだめ、ごみ。

2月21日 次回のくう「映画音楽秘宝」の準備中。「俯瞰 20世紀」をテーマに、たかだか100年の歴史しかない映画を今一度振り返ろうと思う。映画的貧困さは今に始まったことではないのだけど、貧困である状況さえわからないまま、映画が作られ、映画を観るという環境は絶対にやばい。映画監督の友人は、映画そのもののあり方がイベント化し、なかなか「普通の映画」が撮れない、と嘆く。スポンサーは脚本などろくすっぽ読まず、「誰が(役者)」で「何をするのか」しか考えないし、そのような傾向がどんどん過激になっているというのだ。何百という映画館で「ハリーポッター」が公開され、その影でクリント・イーストウッド監督主演作が単館公開、早期打ち切りという現象を生む今。映画史を振り返れば、映画の豊かさを再確認できる。たとえビデオであっても、映画館よりは遙かに豊かな映画的体験ができる、というのはそういうことだ。「普通の映画」。何と甘美な響きだろう。いや、これが甘美な響きをもつようではいけないのだ。24日のくうではいよいよジョン・フォードの「太陽は光り輝く」なんかもやっちゃおうと思っている。ああ、あの葬儀のシーン。またしても落涙。

2月19日 編集者のTさんから連絡あり。「ジャズ・マスターズ・マガジン」の企画が正式に7月発刊で決まったという。ジャズ喫茶、バーによるソフト紹介、日本のジャズ屋をめぐるジャズ風土記、ジャズをめぐる風景写真、その他など徹底したジャズ屋情報の雑誌となる予定。3月中にT氏が来札し、具体的に詰める。3月以降沖縄、その他地方周りをしなくては。ジャスラックのジャズ屋いじめが進行する一方で、ジャズ屋の商売繁盛に少しでも貢献できれば。

2月17日 それにしても15日のライブは盛り上がったもんだ。帰り際、ちょっとよろめいてしまった方がいたが、あれはべッキーのドラムのせいだろうな。新曲もなかなかのもんでしたよ。今日は「呪怨」。黒猫の出し方、面白かった。「回路」もそうだけど、目張りって怖い。はがれかけて、ひらひらしてるとなお怖い。

2月11日 昨日何十年振りかで「緑色の髪の少年」を観た。戦争の恐怖で髪が緑色になってしまった少年の物語である。さめざめと心の中で泣けてしょうがなかった。これは1948年のジョセフ・ロージーの処女作であり、海外でも大ヒットした作品だが、時代的にはレッドパージの影響でロージー自身、ヨーロッパに亡命することになってしまう。それはともかく、「映画狂人のあの人に会いたい」のインタビューを読むと、ロージーは「エヴァの匂い」の撮影中、マイルスとビリー・ホリデイの音楽を撮影中流していた(実際にビリーの曲が挿入されている)というし、20年代には実現しなかったもののデューク・エリントンの音楽でミュージカルを企てたり、毎晩、ニューヨークの秘密の地下バーで無名のジャズメンたちの演奏を聴いてまわったなど、ジャズとの縁も深い監督だ。「緑色の髪の少年」の主題歌はあの名曲「ネイチャーボーイ」である。ジャズファンなら誰でも知っていることだと思うけれど、若手の歌手の方でもしこの曲を歌うのなら、この作品を観て、あの少年のことを少しは思い描いてほしいと思うのだ。

2月10日 土曜、医療受診で困っている外国人へのサポートをするNPO法人の代表者の方がきた。このAさんはさらに、チャイナドレスの輸入販売およびオーダーメイドも受け付けており、ちょくちょく中国やベトナムに出かけているという。あまり中国語はうまくないといいつつ、一人でふらふら行っちゃうらしく、そんな日本人女性は滅多に来ないので、さすがの中国人も唖然としているうちに商談をまとめられてしまうらしい。中国人のリアクションにはまったく予想もつかないものがあって、町を歩いたりしていると、すれ違いざまに胸ぐらをつかまれたことがよくあったそうだ。なんだなんだ、と身構えると「この洋服はどこで買ったんだ!?」とか「このボタン、なかなかいいじゃないか」ってことを言ってるんだって。おじさんもおばさんもよくやることだそうだ。で、Aさん、向こうにいると、日本人にみられることはないの?と訊くと、「それはまずない。みられても、その地方の言葉ができない北部の中国人だねー」。ついでに、僕に向かって、あなたも全然OKよ。その顔は完全に大陸系。中国に行けばポピュラーな顔立ちよ、とお墨付きをもらってしまった。中国のホテルでは人身売買の現場を目撃したこともあったそうだ。売られるのは乳児から3歳くらいの子供。表向きは養子を迎えにきたという感じだが、実体はほとんど臓器売買だろうということだ。バイバイと子供に手を振られたのが切なかったと言う。それにしても何ともパワフルなAさんで、どこで何を飲み食いしてもおなかをこわしたことはないそうだ。「中国でけっこう飲んで酔っぱらって帰ってきたのね。喉が渇いちゃって、面倒だから水道の蛇口に直接口をつけてジャーッと飲んだんだけど、全然何ともありませんでしたーー!!」と明るく語っていた。昨日は小津さんの「淑女は何を忘れたか」。飯田蝶子さんが目尻にしわが出来ない笑い方を発明したと言って、おホホホホホー、と何度も笑ってみせるのがおかしかったなあ。

2月2日 今年は小津安二郎生誕100年。どうでもいいことではあるんだけど、正月だったか年末だったかに小津の「秋刀魚の味」のリメイクをテレビで放映していた。神をも恐れぬ行為といおうか、あまりにも愚かといおうか、相変わらず小津作品を物語でしか解釈できない人たちがいるわけで、そんな観る前から勝負のついているものをところどころではあるが、ついつい観てしまった。結果。はっきりいって馬鹿じゃないのおって産物。映画って映すものと映さないものがありますよね。何を映して何をみせないかってことが常に発生するわけです。例えば蓮實さんの「監督小津安二郎」を読めばわかりやすいのだけど、小津は階段を撮らない作家です。で、撮るときは田中絹代が突き落とされるような、ものすごい装置として機能するわけです。テレビ版はそういうところがまるで無頓着で、佐野史郎が団地に戻ってくるところで、さあっと何の意味もなく背景に映っていたりするんですね。何の効果もなくキャメラが移動したりするし、どうしてこのような無頓着なことができるのだろう。これは小津映画など本当は観ていないに違いない、と思いました。いちばんばかばかしかったのは、例の軍艦マーチで敬礼をするシーンのリメイク部分。高度成長期の戦士って設定なもんだから、そこでかかるのは「こーんにちはー、こーんにっちはー、世界のー国かっらー」って三波春夫の歌声なのね。小津作品への敬愛の念も畏怖の念を抱くこともない破廉恥なシーンとなっておりました。よかったのは三上真一郎が同級生の一人として出演していたってことだけかなあ。三上さんも到底満足はしてないと思うけれども。

1月28日 本日滝川出張。列車内で居眠りし、ふと起きると到着のアナウンス。あわてて飛び出し、改札を出ようとしたら切符がない。切符を窓際に置いたままだったことを思い出し、駅員さんにおそるおそる申告すると、「後で確認しておきます。今回はいいですよ」とあっさり。これは、やはりここの駅員さんが親切ってことなんだろうか。だよなー、以前札幌駅でオレンジカードの扱いをめぐり、こちらの正当な主張に対してあまりに対応が悪く、大声で怒鳴ったことがあったもの。滝川の古本屋「かぜ書房」で、リンゼイ・アンダーソンの「ジョン・フォードを読む」を買ってみる。だめだと思ったがやっぱりこの本はいかんぞ。ところで、滝川は味付けジンギスカンの本場とのことで、松尾ジンギスカンの本店に行くつもりだったが強風のため断念(軟弱)。で、駅近くの焼肉屋ののれんに「本家松尾ジンギスカン」とあったので、食す。味はまあまあ。だが今何故か腹をこわしています。

2003年1月25日 ようやくこのお店のホームページが完成だ。何分、パソコンが十二分に操作できるわけではないので、周りの方々にずいぶん迷惑をかけました。ライターの佐藤君、デザイナーの美和ちゃん、どうもありがとう。というわけで、このページはたまにしか更新されないと思いますが、ご覧になっていただいたみなさん、これから、どうぞよろしくお願い致します。ちなみに、ホームページはロンドの息子のほうが、すべて担当しております。 今年の7月には、マガジンランド社から雑誌「ジャズマスターズマガジン」を創刊する予定で、今その準備を進めているところです。とりあえずは別冊を一冊出して、ということですが、日本のジャズ喫茶、ジャズ・バーを主体とする画期的な雑誌になります。また、札幌のライブ・バー「くう」では映画音楽企画の集まりを月一回開催しています。こちらもなかなかに珍しい企画だと思うので、興味をお持ちでしたら、ぜひお寄りくださいませ。